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【モンスト雑学】超絶と日本神話

モンストの一週目超絶。テーマは「日本神話」!実際の言い伝えをまとめていきます。他のキャラクターとの関係性を交えていきます。

更新日: 2017年12月28日

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Kenbunlifeさん

【黄泉の主宰神】 イザナミ

イザナミ(伊弉冉、伊邪那美、伊耶那美、伊弉弥)は、日本神話の女神。伊弉諾神(伊邪那岐命、伊耶那岐命・いざなぎ)の妹であり妻。別名 黄泉津大神、道敷大神。

「国生み」及び「神生み」

において神世七代の最後にイザナギとともに生まれた。オノゴロ島におりたち、国産み・神産みにおいてイザナギとの間に日本国土を形づくる多数の子をもうける。その中には淡路島・隠岐島からはじめやがて日本列島を生み、更に山・海など森羅万象の神々を生んだ。

イザナギノミコトとイザナミノミコトが次々にお生みになったのは、以下の島々です。   

四国(※古事記には、次のように書かれている。「この島は、身体が一つで顔が四つある。伊予の国をエヒメ(愛比売)といい、讃岐の国をイイヨリヒコといい、阿波の国をオオゲツヒメといい、土佐の国をタケヨリワケという。」)
隠岐島(おきのしま。島根県の隠岐諸島
九州(※古事記には、次のように書かれている。「この島も身体が一つで四つの顔を持つ。筑紫の国をシラヒワケといい、豊国をトヨヒワケといい、肥の国をタケヒムカヒトヨクジヒネワケといい、熊曾の国をタケヒワケという。」)
壱岐(いき。長崎県壱岐郡。飛石状をなす島)
対馬(つしま。長崎県対馬。九州と朝鮮半島の間に位置する)
佐渡(さど。新潟県の日本海最大の島)
本州(大倭豊秋津島=オオヤマトトヨアキツシマ)
このように、八つの島をお生みになったので、この国を「大八島国=おおやしまのくに」というのです。

この後も次の六つの島もお生みになりました。
吉備の児島(岡山県児島半島)
小豆島(あずきしま。香川県小豆郡の瀬戸内海の島=しょうどしま)
大島(山口県の屋代島)
女島(ひめじま。大分県姫島?)
知訶島(ちかのしま。長崎県五島)
両児島(ふたごのしま。特定不可)

イザナギノミコトとイザナミノミコトは、国をお生みになった後、次の十柱の神々をお生みになられました。
オオコトオシオノカミ、イワツチビコノカミ、イワスヒメノカミ、オオトヒワケノカミ、アメノフキオノカミ、オオヤビコノカミ、カザモツワケノオシオノカミ、海の神であるオオワタツミノカミ、港の神であるハヤアキツヒコノカミとハヤアキツヒメノカミ

イザナミの死

イザナミノミコトは十柱の神々を生んだ後、さらに次の八柱の(男女の神は一柱とする)神々をお生みになられました。火の神のホノカグツチの神をお生みになった時に、陰部を火傷(やけど)され、ご病気になられ、しばらくしてお亡くなりになられたのです。

【八岐ノ森の贄比女】 クシナダ

日本神話に登場する女神。『古事記』では櫛名田比売、『日本書紀』では奇稲田姫と表記する。
ヤマタノオロチ退治の説話で登場する。

クシナダとスサノオとヤマタノオロチ

クシナダヒメはアシナヅチ、テナヅチの八人娘の末娘だったが、夫婦は毎年自分の娘をヤマタノオロチに生贄として捧げていた。
高天原を追われて出雲の肥の河に降りたスサノオは川上から流れて来た箸に気付いて上流に向かいそこで、テナヅチとアシナヅチ夫婦に出会った。夫婦はスサノオに毎年の生贄のことを話し、それを聞いたスサノオはクシナダヒメを自分の嫁にすることを条件にヤマタノオロチ退治を請け負った。
スサノオは八つの酒槽に満たした酒を用意させ、クシナダヒメを櫛に変えて髪にさし、ヤマタノオロチが酔いつぶれたところを切り殺してこれを見事に退治し、クシナダヒメを妻に迎えたのである。

クシナダヒメと八重垣神社

ヤマタノオロチを退治するときスサノヲノミコトがクシナダヒメを佐草の里の大杉(奥の院)を中心に八重垣を造って隠しました。  そして大蛇を退治して、日本最古の和歌といわれる「八雲立つ出雲八重垣妻込みに八重垣造る其の八重垣を」という喜びの歌を詠ったそうです。 この歌は、「出雲」の国名の由来でもあります。
この神社の敷地内にある鏡の池は良縁を願う若い女性に人気があります。

【水駆ける雨叢雲の王子】 ヤマトタケル

記紀等に伝わる古代日本の皇族(王族)。
『日本書紀』では主に「日本武尊(やまとたけるのみこと)」、『古事記』では主に「倭建命(やまとたけるのみこと)」と表記される。現在では、漢字表記の場合に一般には「日本武尊」の用字が通用される[注 1]。
第12代景行天皇皇子で、第14代仲哀天皇の父にあたる。熊襲征討・東国征討を行ったとされる日本古代史上の伝説的英雄である。

神話に出てくる英雄

ヤマトタケルは景行天皇の皇子として出生し、後に武神とも軍神とも呼ばれたその体躯は2メートルにも及んだとされ、その姿は気迫にあふれていたと伝えられています。
また、その力は人間離れしたものとして描かれており、当時、強大な勢力となっていた大和朝廷に属していたヤマトタケルは周辺の反抗勢力を次々と打ち倒していきます。
ヤマトタケルの存在はもはや大和朝廷の軍事力のシンボルともなっていたようで、その活躍があまりに大きなものである事から、現在では様々な地方の伝承がヤマトタケルが行ったものとして集約されたのではないかと考えられている程です。

ヤマトタケルと天叢雲剣

天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ、あまのむらくものつるぎ)は三種の神器の一つ。三種の神器の中では天皇の持つ武力の象徴であるとされる 日本神話において、スサノオが出雲国でヤマタノオロチ(八岐大蛇)を退治した時に大蛇の体内(尾)から見つかった神剣である。

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