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国民栄誉賞受賞が決定…今、囲碁の井山裕太七冠に注目すべき理由

安倍晋三首相は5日、将棋で「永世七冠」を達成した羽生善治棋士(47)と囲碁で2度の七冠独占を果たした井山裕太棋士(28)に国民栄誉賞を授与することを決定しました。羽生棋士は誰もが知る人物ですが、同時受賞の井山棋士は知らぬ人も多いと思われます。そこで、井山棋士に注目すべき理由をまとめてみました。

更新日: 2018年01月06日

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かつて世界最強を誇った日本の囲碁界ですが、現在では中国や韓国の後塵を拝しています。そのような状況で唯一中韓勢に対抗できる棋士として認知されているのが井山裕太七冠です。今回国民栄誉賞を受賞することになった同棋士ですが、今ぜひとも注目したい理由があるようです。

羽生善治永世七冠と井山裕太七冠の国民栄誉賞受賞が決定!

日本の囲碁はかつて世界最強であり、中国や韓国の囲碁愛好者はこぞって日本人の教えを受けていました。ところが今や日本人棋士は中韓勢相手に全く歯が立たない状況に陥っており、こちらが頭を下げて教えを請わなければいけなくなってしまっています。かつて隆盛を誇った日本の家電産業などとどこか被るところがあるのではないでしょうか。そんな状況で中韓勢相手に唯一対抗できる棋士が井山裕太七冠です。羽生永世七冠に比べると知名度の低い井山棋士ですが、日本人としてはぜひ注目した人物の一人と言えるでしょう。

安倍晋三首相は5日、将棋で史上初の「永世七冠」を達成した羽生善治棋聖(47)と、囲碁で2度の七冠独占を果たした井山裕太十段(28)に国民栄誉賞を授与することを決めた。

菅義偉官房長官が同日の閣議で報告した。将棋界と囲碁界からの受賞は初となる。授与式は2月13日。

羽生氏は昨年12月、「永世七冠」の資格を獲得した。7棋戦のタイトルの永世称号を得るという極めて高いハードルを乗り越えた。

約20歳年下の井山氏は、羽生氏の後を追うように、卓越した実績を残してきた。最年少の20歳で名人位に就いた。2016年4月には、史上初の七冠に輝いた。

羽生棋士は誰もが知る人物だが…井山棋士を知らぬ人も多い

将棋と言えば日本人なら誰もが見聞きしたことのある国民的なボードゲームである。一方、囲碁も全く聞いたことが無いという人は恐らくいないであろう有名なゲームである。しかし、将棋に比べるととっつきにくいというイメージもあり、近年では人気が下降中である。しかし、かつては囲碁も国民的な娯楽であり、特に政治家や財界人であれば囲碁は当然嗜むべき教養のひとつとされていた。現在でも70代以上であれば囲碁を嗜む人は多い。中国などのエリートも囲碁を嗜む為、エリート同士の交友に利用されることも多いゲームなのである。そんな囲碁界のホープとして注目されているのが井山七冠である。

井山 裕太(いやま・ゆうた)1989年(平元)5月24日、大阪府東大阪市生まれの28歳。石井邦生九段門下。

2002年に12歳でプロの初段となった。09年には名人位に最年少の20歳4カ月で就き、注目を集めた。

7大タイトル獲得は棋聖5、名人6、本因坊6、王座5、天元6、碁聖6、十段4の計38期。

中国で産まれた東洋を代表するボードゲーム「囲碁」

囲碁とは二人で行うボードゲームの一種で、その名前が示す通り、碁盤の上に碁石を交互に打って包囲の戦術で勝負するゲームです。

今から4000年前に中原地区の多くの部落は相手の領地を併合してより広い領域を確保するため、力と知恵の勝負を繰り広げていました。

中国を起源とする囲碁はこの時代の中原地域の戦いを振り返り、ゲームの形で、激しい攻防戦を再現するためのものだったと言われています。

囲碁は5世紀の隋の時代には朝鮮へ、7世紀頃には日本に伝わり、東北アジア諸国の人々に親しまれる遊びとなりました。

囲碁は日本の支配階級の娯楽として長い間親しまれてきた

日本に伝わったのはいつか。6~7世紀の隋の使者、裴(はい)世清(せいせい)が来日して見聞し、「日本人は仏を敬い、碁やすごろく好む」とする記述が『隋書』にみられる

平安時代には貴族のたしなみとして好まれ、「枕草子」「源氏物語」などこの時代の代表的な文学作品にもしばしば碁の描写が登場する。

室町時代に入ると、それまで公家、僧侶階級に愛好されていた囲碁は武家や庶民にも広がり、同時に碁盤と碁石を使った様々な数とり遊びも生み出されて広まった。

戦国時代には、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が囲碁の名手として知られる本因坊(ほんいんぼう)算砂(さんさ)を召し抱えた。

江戸期からは幕府の保護を受ける形で大衆の娯楽として定着した

江戸時代には算砂の本因坊家と井上家、安井家、林家の四家が碁の家元と呼ばれるようになり、優秀な棋士を育て、互いに切磋琢磨しあうこととなった。

四家はそれぞれ幕府から扶持を受けており、それぞれの宗家は血筋ではなく、実力により決められる事となった(血筋も影響したようではある)。その技術の発揮の場が年に一回江戸城内、将軍御前にて行われる御城碁である

大正から昭和にかけ、新聞に棋譜が掲載されるようになり、古作さんは「棋譜を載せるかどうかでその新聞の売り上げが左右された」と話し、囲碁は国民的な娯楽となった。

将棋とは違い、囲碁には数々の国際大会があるのが特徴だ

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