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闘将【星野仙一】70歳・膵臓癌で永眠★野球の女神から愛された男✿名言集

2018年1月4日、野球界の闘将・星野仙一がすい臓がんにて永眠しました。享年70歳。その野球人生を名言集とともに振り返ります。

更新日: 2018年01月06日

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星野仙一ほど野球に恋し、燃える闘将はいません。2018年1月4日、膵臓癌にて永眠。華麗な野球人生に永遠の幕を閉じた。星野仙一の感動の名言集も綴ります。

mizuki36さん

楽天が発表したリリース(一部抜粋)

~昼寝でもしているような安らかな表情

株式会社楽天野球団は、星野仙一取締役副会長が2018年1月4日(木)午前5時25分に永眠されましたことをご報告いたします。

2016年7月に急性膵炎を発症したことをきっかけに膵臓癌であることが判明いたしました。

その後、体調に波はあったものの仕事に支障をきたすことなく過ごしておりましたが、2017年12月末より病状が悪化し、息を引き取られました。

最後は昼寝でもしているような安らかな表情でご家族に看取られて旅立たれました。

故人の強い意志に従い、葬儀は密葬にて執り行われます。

人前では常に強さを貫いた「星野仙一」のスタイルを最後まで全うしようとしたことですので。何卒ご容赦ください。

息を引き取る直前まで「コーチ会議に出られるかな」と言っておりましたように、最後の最後まで野球に情熱を燃やし、野球に一生を捧げた星野副会長でした。

故人に変わり、今まで支えてくださった全ての皆様に感謝申し上げます。

尚、後日にお別れ会を予定しております。

詳細が決まりましたら改めてご連絡させていただきます。

2018年1月4日、プロ野球の中日・阪神・楽天の監督を務めた星野仙一が膵臓癌のため70歳亡くなった。

星野仙一は一昨年、膵臓癌だとわかり闘病を続けていたという。


闘志あふれるピッチングスタイルから「燃える男」と呼ばれた星野仙一。中日ドラゴンズのエースとして、14年間で通算146勝をあげた。

昭和62年には中日の監督に就任。

星野曰く「妥協は絶対にしない」

熱い指導ぶりから『闘将』とも呼ばれた。

チームを開拓し、リーグ優勝を果たす。

その後、阪神タイガースの監督を務めリーグ優勝を果たす。

東日本大震災の直前には、楽天の監督に。楽天を初のリーグ優勝と自身初の日本一へ導く。

【野球殿堂入り】

去年、【野球殿堂入り】した際、

「ずっと、野球と恋をして良かった。野球にもっともっと恋をしたいなと。全国津々浦々に、子どもが野球できるような環境をつくってやりたい。」

と語っていた。

大学時代からの親友 田淵幸一

彼の美学はね。闘将・星野は、絶対に人に弱みを見せない。

70歳の人生、本当に全速力で走って行ってしまったなという感じがするな。

なんだか、走馬灯のようにフワッとしているけれどもやっぱり、何かあったときには、どっかに彼がいるんだよね。

う~ん。いい男だった。

号外を手にした一般市民の声

「本当に残念です。」

「若くて元気なイメージがあったので、突然亡くなって信じられない。」

東北に勇気を与えてくれた

楽天が優勝した時に、東北に勇気をもらって感動した。

すごく残念でならない。

星野仙一の略歴

1947年1月22日生れ、2018年1月4日死亡(享年70歳)・身長180cm・体重80kg

岡山県立倉敷商業高等学校、明治大学、右投右打・投手
 
1968年ドラフト1位 中日ドラゴンズで活躍


【監督・コーチ歴】

・中日ドラゴンズ(1981-1982、1987-1991,1996-2001)

・阪神タイガース(2002-2003)

・東北楽天ゴールデンイーグルス(2011-2014)


2008年北京オリンピック野球日本代表の監督を務める。


【野球殿堂】(日本) 殿堂表彰者

✿ 星野仙一 【名言集】

やるべきことだと思っていることを、本気になってやっていかなければ自分の人生も、何一つ変わっていきはしないのである。本気か、本気でないのかが人生の分かれ道だ。

一生懸命というのは自分で決めるものではない。他人に認められて初めて一生懸命といえるんだ。

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