ハプスブルク家の女傑として、若き皇帝の背後で実権を握っていた母后ゾフィーは、そんな「田舎臭い」エリザベートに一流の宮廷作法を仕込もうと目を光らせる。素直で可憐なヘレネであれば、姑の手引きにさぞかし感謝したことだろうが、エリザベートにとってはがんじがらめの「くつわ」をはめられるようなものだった。
 第一子のゾフィー(生後一年で赤痢にかかり死亡)が生まれると、乳児は宮廷の定めに従い、乳母・養育係りに預けられ、エリザベートは我が子と母子らしく過ごすことが許されず、はがゆい思いをした。第三子の皇太子ルドルフにいたっては、立派な宮廷人および軍人に育てようとする母后ゾフィーの干渉がひどく、嫁姑は度々激しい口論を交わすことになる。頼みの綱のフランツ・ヨーゼフはこの頃、イタリア独立戦争に奔走しており、愛妻を気遣う余裕も時間もなかった。

出典ハプスブルグ家 憂いの美女皇妃エリザベート [Habsburg] - Onlineジャーニー

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