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9日間の女王 ジェーン・グレイ

数奇な縁でイングランド史上初の正式な女王となった女性、ジェーン・グレイ。しかし、在位9日目にして廃位され、その後処刑されるという運命を辿ることに。王権争いの最中、彼女はただ翻弄されるのだった。

更新日: 2019年12月20日

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ジェーン・グレイって?

イングランド初の女王。
メアリー1世やエリザベス1世の従姪に当たる。

ジェーン・グレイの出自

父は第3代ドーセット侯爵(後のサフォーク公爵)ヘンリー・グレイ、母はヘンリー8世の妹メアリーと初代サフォーク公爵とのあいだに生まれた娘、フランセス。ヘンリー・グレイの父親はヘンリー8世の異父兄であったため、3姉妹の両親は「はとこ」という関係でもある。どちらの血筋をたどっても王族と深い繋がりがあり、グレイ家は王家にもっとも血縁の近い一族のひとつであった。

才能を開花させた少女時代

ジェーンの両親は凡庸ではあっても夫婦仲はよく、目いっぱいの愛を娘に注いでくれる親でした。また、陰鬱な石とレンガの中ではなく、自然に囲まれた、そして、僻地でもなく適度にロンドンにも近い位置に生家があったため、自然のなかでのびのびと育ちながらも、学問を好きなだけ修める事もできたのです。
 10歳の頃には、ギリシア語を含む欧州主要国の言語をほぼマスターし、ラテン語すら習得していました。宗教哲学にも通じた秀才少女です。
 ゆえに聖書はとうに読了済みで、学者たちによる解説書も目を通していた。その立場からすれば、過度に儀礼化され、ゲルマン人への布教の過程で大きく変化してきたカトリックは、聖書原理主義の立場に立ち返って誤りだらけだとするしかないでしょう。理屈と理論だけで考えるならば、プロテスタンティズムにはまるのは、必然といえます。

 ですが、ジェーンは学問に通じていただけではありません。ダンスもマスターし、乗馬もこなし、狩りを趣味にするなど、王族貴族として必要な体育も全て良好だったといいます。

運命の歯車が狂いだす

政治家であるジョン・ダドリーは、自らの血統者を王位に継がせたいと考えていました。エドワード6世が重病にかかった為、好機とばかりに自分の息子ギルフォードを王の血統を継ぐジェーン・グレイと結婚させます。

15歳を迎えたある日、ジェーンを呼びつけた両親は、ノーサンバランド公ジョン・ダドリーの4男で、17歳のギルフォードとの婚約を告げた。仰天したジェーンは、淑女らしく振る舞うことも忘れて思わず叫んだ。「嫌です!絶対に嫌!」。ギルフォードは女癖が悪く、酒と賭けごとが好きな放蕩息子として知られていたし、父のダドリーは黒い噂がつきまとう人物。親が決めた政略結婚に従うのが貴族の娘の宿命ではあるものの、かの一家と縁を結ぶことには不吉な予感しかしなかった。

「陛下はまだお若い。ノーサンバランド公様は、いわば師父代わりです。そんな方の義理の娘になれば、誰よりも輝かしい未来が待ち受けているのですよ! それにもう決まったことです!」
縁談は不自然なほど迅速に進められ、1553年5月21日、ロンドン・ストランドのテムズ河沿いにあるダドリー家の邸宅「ダラム・ハウス」(現在のアデルフィ・テラスがある場所)で結婚式が行われた。

抵抗するも王位に就くことに

「国王陛下が崩御なさいました。陛下はご崩御前に、あなた様を次期女王に定める旨をご遺言として遺されました」
あまりに突飛な内容に茫然としたジェーンは、何のことかすぐには理解できなかった。だが、やがてその重大さを認識すると顔面は蒼白になり、声を震わせながら反論した。「そんなはずはありません。次期女王はメアリー様です」。

しかし、ダドリーは淡々と続ける。「陛下はメアリー様によってプロテスタントへの迫害が起き、国が混乱するのでは、と懸念しておられました。それにメアリー様とエリザベス様のお母上とヘンリー8世陛下の婚姻は無効となっており、2人は私生児として廃嫡されたお身の上。あなた様のお母上フランセス様は、すでに継承権を放棄されております」。
よろよろと後ずさりするジェーンのもとに駆け寄った夫のギルフォードは、彼女の手を取りながら「どうか決断してください、ジェーン」と懇願。そしてジェーンの父や他の諸侯らも取り囲み、口々にまくしたてる。「ジェーン、亡き陛下のご遺志だぞ」「後戻りはできません。すでにメアリー様はご存知です。もし王位を継がなければ、メアリー様は即位後、我々を反逆罪で処刑するでしょう」――。
「あぁ神よ…」とつぶやき、ジェーンはその場に崩れ落ちた。狡猾な大人たちの説得という名の脅迫を前に、両親への絶対服従、新教への献身を教えられてきた少女がどうやって立ち向かうことができただろうか。やがて「女王陛下、万歳!」という歓呼の声が大広間に響き渡った。

ノーサンバーランド公ジョン・ダドリーの強引なやり方に反発した議会はジェーンの不支持を表明。
 ノーフォークに逃れ落ちていたメアリは、ノーフォーク公トーマス・ハワードの助けを借りて挙兵。メアリは、一戦も交える事なくノーサンバーランド公とジェーンを虜囚にすると、議会の全面的な賛成を得て女王の地位につきます。

「長い」9日間の末

諸侯からの支持を失い、ロンドン市民からも見放されたジェーンは、ひとりぼっちで取り残されます。ノーサンバーランド公は、今更になって議会工作をはじめ醜態をさらし、夫のはずのギルフォードも領地に戻ってしまいます。
 ジェーンの父ヘンリー・グレイが玉座を見舞った時、ジェーンの傍には側近のひとりさえいない状態でした。
 ジェーンは父の同意を得て退位を宣言、翌日、女王となったメアリによって幽閉される事になります。

ジェーンとギルフォードは、ロンドン塔内の別々の建物へと移送される。ギルフォードは「ビーチャムタワー」に、ジェーンは看守用の住居「ナサニエル・パートリッジズ・ハウス」に幽閉となった。すぐ後に逮捕されたダドリーも「ガーデンタワー」(後にブラッディタワーと改名)、他の息子たちはギルフォードと同じ「ビーチャムタワー」に投獄された。

ジェーンやグレイ家に対するメアリー1世の措置は、意外なまでの寛大さを含んでいた。ジェーンには侍女がついたし、庭を散歩することも許されていた。父ヘンリーは母フランセスの懇願により、罰金を払っただけで釈放されている。何も知らないままに担ぎ出された「犠牲者」に、メアリー1世が同情の念を覚えていたとしてもおかしくはないが、何よりもグレイ家は、メアリー1世の生母キャサリン・オブ・アラゴンの親友でもあった「最愛の叔母」の家族であるということが、大きな意味を持っていたようだ。

再び狂った運命の歯車、そして・・・

メアリは、母の故国スペインの王子フェリペとの結婚を発表します。フェリペの父カルロス一世の母ファナと、メアリの母キャサリンは姉妹ですから、メアリから見ると従兄の息子にあたります。
 スペインとの結びつきは、カトリックからの独立を目指すイングランドの方向性に真っ向から対立する、カトリックへの回帰でした。
 これで、トマス・ワイアットの乱が起こります。
 このワイアットの乱も、メアリの有利に働きます。

そして、ジェーンにとっては最悪の方向に向かいました。
 ワイアットの乱に、よりにもよって父であるヘンリー・グレイが参加していたからです。もう、心の底から状況が見えていない男だな、と思うしかありません。
 実際、塔にとらわれていたのですから、ジェーンがこの反乱にかかわる事は不可能でしょう。ですが、半年前に王位簒奪を行った人物の父親が、今、また、反乱に加わったのです。
 ジェーンを生かしておく事は、女王メアリがいかにそれを嫌ったとしても、避けられない状況となってしまいます。

メアリはそれでも、ジェーンを助命しようとします。
 王(女王)にはそれを赦す権利があります。ただし、諸侯を納得させるだけの理由が必要です。
 メアリは、ジェーンに対し、カトリックへ改宗するならば助命する、と通達しました。カトリックはメアリの信仰でもあり、それへの改宗は、女王への屈服の何よりの証となると考えたからです。

しかし、ジェーン・グレイは改宗を拒否。
彼女の説得に当たったのは、宗教学者のフェキンハム。
宗教議論が繰り広げられたことでしょう。

1554年2月12日 ー運命の日ー

ついにジェーンの番が来た。ロンドン塔長官に手をとられて、ロンドン塔内にある、教会前の小さな緑地へ向かった。
 処刑台の周辺には、あのフェキンハム博士の、悲しげな顔もあった。
 ジェーンは賛美歌を歌った。それから世話をしてくれた侍女のエレンに形見として、ハンカチと手袋を渡した。エレンは泣きながらジェーンの頭の飾りとスカーフをはずし、マントを脱ぐのを手伝った。
 処刑人はジェーンの前にひざまづき、許しを乞うた。5分間、静寂が続いた。女王からの、最後の特赦を待つ時間だった。しかし、誰も現れなかった。

5分後、ジェーンは自分の手で目隠しをしてから、パニックに陥った。
 必死で手探りをしながら、助けを求めた。
「どうすればいいの?どこへ行けばいいの?」
 見るに見かねて、立会人だった神父がジェーンを斬首台まで導いた。
 ジェーンはやっと台をみつけると、小さくつぶやいた。
「神様、あなたを誉め讃えます・・・・。」

 最初の一撃で斧は深く首にめりこみ、ショックで肉体は痙攣する。
 さらにもう一撃で、切り損ねた腱を切断する。行き場のなくなった血は、切断面から激しくほとばしり、足元に敷き詰めた藁を深紅に染めた。

 ジェーンの体はその場に4時間放置された後、正面にある聖ピーター教会に葬られた。
 1554年2月12日、16歳と4か月の生涯だった。

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