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北朝鮮との融和を演出し盛り上がりに必死な平昌五輪 その裏では外野の場外乱闘がひどい?

スポーツの祭典というよりも南北融和の良い道具に使われている平昌五輪。当然その裏では記念の五輪に見られる空席の多発なため盛況演出に躍起、そして極寒の地でもあるだけにノロウイルスの集団感染などが問題になっているようです。

更新日: 2018年02月23日

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egawomsieteさん

■「五輪に殺される」会場のスキー場貸し切りなのに休業補償なし 用具レンタル店が断末魔…組織委などを提訴

平昌(ピョンチャン)冬季五輪の会場周辺にあるスキー・スノーボード用具のレンタル店が、存続の危機に直面している。

五輪組織委員会は開幕前から会場のスキー場を貸し切っており一般客の利用がないのに、国や行政からの「休業補償」が一切ないためだ。中には全体の7割が閉店を余儀なくされたところもあり、店主らでつくる地元協会が五輪組織委と地元自治体を相手取り、補償を求めて訴訟を起こした。

 「スキー場が閉鎖されて客が来ない。五輪で使わないコースも全てだ」

 モーグルやスノーボード競技の会場となっている平昌のフェニックス・スノーパーク前に掲げられた、「平昌五輪に殺される」と書かれた横断幕。近くの仮設テントにいた地元のレンタル店でつくる「フェニックスレンタルショップ協会」のイム・ジョンチェン代表(48)は、こう吐き捨てた。

ホームページによると、同パークは21のコースを備えた広大なゲレンデで、今回の五輪ではフリースタイルスキー5種目(モーグル、エアリアル、ハーフパイプ、スキークロスなど)とスノーボード4種目(パラレル大回転、スロープスタイルなど)を実施。中には使用しないコースもあるが、五輪開幕の約3週間前から全コースが閉鎖されている。

 当然、周辺のレンタル店を訪れる客はおらず、イム代表の店の売り上げは昨年比で約8割減少したが、国や五輪組織委からは休業中の補償はない。他の店も厳しい経営が続き、昨シーズンまで70店以上あったレンタル店の多くが店を閉めたため、同協会の加盟店は22店にまで減った。

 閉店した店の店主らはパートなどで食いつないでいるという。イム代表は「組織委や国に何度も陳情したが、耳を貸してくれない。五輪の成功は願っているが、地元の人間の生存権を無視するのはおかしい」と訴える。

同協会は1月、組織委と地元自治体の江原道(カンウォンド)を相手取り、謝罪と一定の補償を求める訴訟を起こした。イム代表によると、最低でも1店舗につき約300万円の補償を望んでいるといい、「五輪があったからといって来シーズンに客が大幅に増えるとも思えない。損失を埋めてくれないと、この辺のレンタル店は壊滅だ」とうつむいた。

 こうした問題について江原道庁の関係者は産経新聞の取材に対し、「(スキー場の)借り上げは組織委と会場の契約。組織委にはレンタル店の駐車場や部屋を使うなどの配慮を求めたが無視された」としたうえで、「補償には法的根拠が必要で、店側には提訴するよう勧めた」と明かした。

 一方、組織委は「ノーコメント」としている。

政府の対応で市民が混乱も 北京は農地収容、ソチでは強制労働…

 五輪開催をめぐっては政府の強制的な対応で一般市民が損害を受けるケースが問題となっている。

 2008年の北京五輪では、競技場建設などのために住居の立ち退きを迫られた住民は推計で約150万人に上るとされる。農地も強制収用され、十分な補償金も与えず、大規模な抗議行動が行われた。国家機関の陳情窓口などで拘束された住民は数千人に上るともいわれた。

2014年ソチ冬季五輪でも、ロシア当局が少なくとも1500世帯を施設建設のため、強制的に立ち退かせ、満足な補償や代替住宅を与えなかった。労働者が不当な強制労働をさせられるケースがあったと、国際人権団体が指摘した。

 今回の平昌でもスキー場周辺施設に満足な補償がされていない。ただ、2020年の東京五輪・パラリンピックでは、セーリングの会場となっている江ノ島(神奈川県藤沢市)で操業する漁師に対し、大会組織委員会などが期間中の漁業補償を行うとしている。

 五輪の歴史に詳しい筑波大の真田久教授(スポーツ人類学)は「(平昌の件は)事前に協議の場で丁寧な説明と合意形成がされていないとみられる。運営側は市民への負の影響を最小限にとどめるよう細部まで配慮が必要で、業界や団体も意見を取りまとめて、すみやかに交渉することが必要だ」と話している。

■不満の声が噴出。平昌五輪は史上最悪の冬季五輪なのか?

選手ファーストは無視されていた。 
 今日もジャンプ台の向こう側の丘にある20機以上もの風力発電は、ぐるぐると強烈に回っていた。
 アルペンシア・ジャンプセンターは、2009年に山の上に建設されたジャンプ台で、スタート地点の標高は800メートル。風をさえぎるものがなく、5メートルからときには10メートルの強風が吹く。IOC、FISの視察団は、数年前に現地を訪れて改修を指摘、FISの規約では、競技を行うために風速は3メートル未満に抑えねばならないため、日本製の長さ約255メートル、高さ25メートルという自動昇降のできる防風ネットを張り巡らせたものの効果は薄かった。午後8時以降なら平均5メートルに収まるとも判断されていたが、見込みが甘かったと言わざるを得ない。

10日のノーマルヒルは特に最悪だった。
 風があまりにひどいため、選手は待たされて、スタートバーを何度か行き来させられた。ジャンプ台は、氷点下10度にもなり、毛布をかけてもらっても暖はとれず「足裏の感覚がなくなってきた」という選手も。エース格の小林潤志郎は、醜いまでの追い風が覆いかぶさり2本目に進めず、けっして小言など言わない葛西紀明が、「これは中止でしょ」と漏らした。さらにはラージヒルでは葛西の背中に風が重くのしかかり2本目を飛べなかった。 そこに競技の公平さも何もあったものではない。

「寒い」、「凍える」、「こんな場所に作るジャンプ台は、そもそも欠陥で選手が危険にさらされる」、「コーチボックスは吹きさらしだ」
 海外の選手や関係者からは、そんな声ばかりが漏れた。

 昨年2月に同地で行われたプレ大会となるW杯では、強風の影響で危険と判断され、ラージヒルが、急遽、ノーマルヒルに変更された。このときも試合進行のスケジュールが大幅に遅れた。だが、五輪では、すべてが強行され、選手は命がけのフライトを余儀なくされることになった。根本的にあの場所にジャンプ台を作ってはならないのだ。地元の韓国選手も合宿を張れず、地元有利にも働かなかった。

■なぜこんなことに? 平昌五輪、運営側の問題

ホスト国、韓国の大会運営があまりにもずさんでひど過ぎるからだ。のっけからブーイングが飛び出したのは、10日夜のノルディックスキー・ジャンプ男子個人ノーマルヒル決勝。決勝の1本目は午後9時半過ぎに始まったが、秒速5メートルを超える強風が時折吹き荒れ、何度も競技が中断される事態になった。

気温は氷点下10度を下回り、その中で待機させられるハメになった選手たちは係員に毛布でくるまれたり、マッサージを受けたりしながら懸命に冷気から身を守っていた。このような環境下は普通ならば競技どころではなく、順延が妥当だ。

 ところが競技は強行され、すべてが終了したのは日付が変わった深夜0時半近くだった。21位に終わった“45歳のレジェンド”葛西紀明も「『こんなの中止でしょう』という感じ」と口にし、珍しく怒りをあらわにしていたほど。観衆も極寒に耐え切れず、競技終了を待たずして逃げるように早々と会場を去っていった。

●アクシデントが発生してしまう危険性

葛西が怒るのも無理はないだろう。悪条件によってコンディションが狂わされた選手はたまったものではなく、下手をすればアクシデントが発生してしまう危険性もあった。

そもそも、このスキージャンプ、ノルディック複合(ジャンプ)競技会場の「アルペンシアスタジアム・アルペンシアスキージャンプセンター」は1年前のプレ大会の開催時から強風に対する強い不満の声が参加選手たちからあがっていたと聞く。

 1年前の時点で韓国の大会組織委員会側はすでに強風に関するデータが集まっていたはずなのに対応策を練り切れておらず、本番では結局生かせなかったということになる。待たされる選手への配慮も明らかに欠けていただけに、李煕範(イヒボム)組織委員長を筆頭とした大会組織委員会の考えの甘さにはあきれ返るほかない。

 ちなみに平昌は各メディアでも報じられているようにアクセスの面でも不平不満が方々から爆発している。開会式の会場となった平昌オリンピックスタジアム周辺で9日の式終了後、大パニックが発生したというニュースには多くの人が驚かされただろう。午後10時半過ぎに観客が帰路につき始めたものの、最寄り駅の珍富(チンブ)駅へピストン輸送するシャトルバスの本数が極端に少ない上に時間通りに来ないため乗り場付近ではあっという間に長蛇の列ができた。

しかも、会場付近の気温は氷点下10度前後。強風が吹き荒れる極寒地獄の中で待たされた人たちはようやく日付が変わってシャトルバスに乗れたが、珍富駅に着くと終電はすでに終了していたというからシャレにならない。

 田舎町のためか、タクシーも30分に1台程度しか来なかったことから残された大半の人は一時絶望感を味わったのではないだろうか。その後、鉄道会社側が珍富駅発の特別列車の運行を決めたので、“帰宅難民”と化した人を何とか乗車させたとはいえ、あり得ない話だ。長い五輪の歴史を振り返ってみても、こんな体たらくは前代未聞と言っていい。

●メダリストに対する冒涜

平昌メディアプレスセンターから各競技場へのメディアシャトルバスもない。取材記者は時に途中で乗り換えながら各会場へ向かわなければならず、相当なストレスをため込んでいる。大会組織委員会側としてはメディア各社に今回の五輪冬季開催を大々的に報じてもらうことで、国際社会に韓国のことをもっとアピールしてほしいという思いもあるに違いない。

それならば、なおさら会場までの直通バスくらいは用意しておかなければならなかったはずだ。海外メディアのある人はこのように言っていた。「韓国側は国内で冬季五輪を開催したことだけで満足し切っているのではないか。だから余分なお金をかけたくなかったのかもしれない」と。

 大会前の開幕リハーサルでも同じようなことが起きていた。予定通りにバスが来なかったので、五輪のボランティアスタッフたちが極寒のなかで1時間以上も待たされることに。多くのスタッフは怒りを募らせ、ボイコット騒動を引き起こしているのだ。その余波なのか、大会期間中のボランティアが不足していて、英語を満足に話せる人も少ない。平昌五輪はどこにベクトルが向けられているのか、甚だ疑問である。

メダルの表彰式が終了した後、各国のメダリストを取材できるミックスゾーンでも信じられないことが起きている。ミックスゾーンが吹きっさらしの場所に設置されているので、メダリを手にした選手たちは氷点下の冷たい外気にさいなまれながら、長時間、取材を受けなければならないのだ。

 これまでの冬季五輪は、冷え切った選手の体を温めることができる暖房の効いたところにミックスゾーンが設けられてきた。スピードスケートの高木美帆やスキージャンプ女子の高梨沙羅らメダリストたちが極寒と強風に耐え忍びながら、取材を受けている姿は何だか気の毒に思えた。これではまるで勝者に「罰ゲーム」を受けさせているような仕打ちでメダリストに対する冒涜(ぼうとく)だ。

思えば大会期間中にもかかわらず、韓国の文在寅大統領は北朝鮮にばかり目が行き“五輪外交”に振り回されっぱなしだ。平昌五輪開会式に出席した金永南最高人民会議常任委員長を団長とする北朝鮮高官代表団と文大統領が10日、ソウルの大統領府で会談。この代表団のメンバーには金正恩朝鮮労働党委員長の妹、金与正党第一副部長も含まれ、文大統領には親書を携えての訪朝を要請するなど南北融和のムードを高め、圧力を高めている米国から切り離そうと揺さぶりをかけてきた。

この平昌五輪で北朝鮮側は芸術団や美女応援団を次々と派遣し、開会式では両国の代表団が統一旗を掲げて合同入場することも許可。さらにアイスホッケー女子で南北合同チームを結成することを決めたのも米国、そして日本との三国ラインを形成させないがための緻密な切り崩し作戦ではないか、といった指摘もある。

 そうした裏を読み切れず北のプリンセス、金党第一副部長に骨抜きにされ、北側の融和路線にあっさりと乗っかってしまっている文大統領には国内からも批判が殺到し始めている。韓国国内で「平昌五輪」ならぬ「平壌五輪」だとやゆされているのは、そのためだ。ホスト国の元首がブレまくっていては、平昌五輪の運営が随所でずさんさを露呈してしまうのもうなずける。

■寒さで客席スカスカ…平昌の実際

強烈な寒さが発揮され、「史上いちばん寒い五輪」というキャッチコピーも定着するようになった平昌五輪。

 アルペンは軒並み延期、スノーボードは転倒続出と、気温以上に猛威を振るっているのが「平昌の強風」だ。これも相まって、現地では体感温度マイナス20度、いや30度近いなんていう噂話が出ている。

 寒さは選手たちにも影響を及ぼしている。

 スキージャンプ界の「レジェンド」葛西紀明は、10日に行われた個人ノーマルヒルの決勝後、寒さについて「信じられないくらい。風の音がすごくて怯んじゃうくらい」と述べた。

 実際の競技も1時間近く予定時間をオーバー、ジャンプ台の上で待たされる選手たちも、あまりの寒さに係員から毛布をかけられていた。

 しかし、最大の悪影響は観客席に起きていた。

決勝1本目が始まる前、観客席はほぼ満員だった。立ち見客も、折り重なるように集まっていた。けっして韓国が強い競技ではないにも関わらず、注目度は高かった。大ジャンプが出れば会場が割れんばかりの大歓声。思わぬ熱狂ぶりだった。

 ところが、2本目が始まるときに観客席を見ると、なんと観客は既に半分ほどしか残っていなかった。地元・韓国の選手が2本目に進めなかったこともあるが、やはりそれ以上に寒さの影響があったのだろう。

 観客の多くは外気にむき出しの客席ではなく、風を防げるテントや通路に避難。1本目に比べると、悲しくなるほどのスカスカ状態になってしまった。

 売店でコリアンフードを買ってなんとか体を温める観客もいたが、席に戻る者は少なく、最後のメダル決定の瞬間、周りを見渡すと観客は当初の3割ほどだった。

観客はそそくさと帰っていったが、選手のコメントを取るため、写写丸たち記者は帰れない。結局、競技終了後もしばらくマスコミ陣の「寒さ我慢大会」が始まった。

 この寒さと風は、もはや寒いを通り越して痛いという感じである。2枚重ねの手袋でも指先は芯から凍るようだし、顔を露出していると皮膚の感覚がなくなり、じんわりと痛みだす。

 葛西紀明が帰ってきて、最後に見事7位入賞を果たした小林陵有が帰ってきて、ようやく我慢大会は終了した。あるテレビスタッフの手元を見ると、そこには1本まるごとカチコチに凍ったお茶のペットボトルが……。

 はっきり言って、「史上いちばん寒い五輪」はテレビで見るのがいちばんかもしれない。

■強風強行の女子スノボに批判殺到「札束とテレビが選手を危険に晒した」

平昌五輪のスノーボードの女子スロープスタイルの決勝が、激しい風が吹く最悪の状況で行われ、転倒者が続出した問題について、世界中から、その運営について批判の声が相次いでいる。
 メダルが期待された日本勢も危険な風の悪影響を受けて藤森由香が9位、広野あさみが12位、岩渕麗楽が14位、注目の鬼塚雅も19位と散々な結果に終わった。
 ヤフースポーツの米国版は「五輪のモラルへの嫌悪。どうやって札束とテレビがスノーボード女子選手を危険にさらしたのか」という批判記事を掲載した。

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