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伝説につつまれた美女ー香妃ー

清王朝の最盛期を創出した乾隆帝。彼の時代に一人の伝説的女性がいたという。その名は、香妃。

更新日: 2018年05月14日

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香妃とは?

中国,清代の伝説的美女。回部の首長ホジ・ハン (霍集古,小和卓木) の妃。ホジ・ハンはヤルカンドに拠って天山南路を支配していたが,乾隆帝はイリ (伊犂) 将軍兆恵に征討を命じ,ホジ・ハンは乾隆 25 (1760) 年にバダフシャンで殺された。このときの悲話として伝わるもので,香妃とは彼女が生来異香を有したことにちなむ名で,美貌で聞えていた。

香妃伝説の概要

18世紀、清の乾隆帝の時代、シルクロードの中国西域、カシュガル地域に勢力を有したウイグル族の王ホジハーンが清に反乱を起こしたが、逆に滅ぼされ王は殺された。その王妃は香妃といわれ、絶世の美人のうえ、身体からえもいわれぬ芳香を発していた。探検家スウェン・ヘディンはその著書『皇帝の都、熱河』のなかで香妃について記述している。「香妃はまつげが長く、唇はサクランボのように赤く、漆黒の髪の形はふくよかな両肩にたれ、すらりと背は高く、手は白玉の彫刻のように透けて見えた」

かねがね香妃の噂を耳にしていた皇帝は香妃を大切に北京に迎え入れ、後宮に入れた。ときに皇帝50歳、香妃20歳。皇帝は、美人のうえに天与の芳香を放つ香妃を愛し、寵を与えようとしたが、これを拒み、かえって隙があれば夫ホジハーンの敵として皇帝の命を狙うありさまであった。これを皇帝の皇太后が心配し、皇帝の留守に香妃に自刃を迫り、香妃もこれを受け入れた。ときに香妃27歳であった。皇帝は大いに嘆き悲しみ、亡骸を輿に乗せ、多くの供をつけてカシュガルに送り帰したという。現在カシュガルに香妃出身のホージャ家一族の墓が安置されている廟があり、この中に香妃の墓もある。

香妃が漂わせていたという香りとは?

香妃伝説では、「沙棗」つまり「ジグデ」の花の香りがしたということになっている。ただ、この香りの元は、花ではなくイェリムではないかと、ふと思いついた。花は一年中ある訳ではないし、当時この花の香水もなかったはずだ。そうなると、ウイグル人女性が整髪料として使ってきたイェリムの香りの方が相応しいような気がするが、如何なものであろうか。だが、花とイェリムの香りが同じようなものでなければならないが。

香妃のモデルは?

本当の香妃は、実際はたくさんの妃の中で、唯一、ウイグル族から来た女性で、宮中で容妃と呼ばれていた女性ではないかと言われています

しかし、「容妃=香妃」とすると矛盾があるのです。

歴史上の容妃は、乾隆15年(1750年)宮中に入り、乾隆53年(1788年)に55歳で亡くなっており、 遺体は清の東陵の裕陵妃園に葬られている。

伝説の香妃が亡くなったのが27歳の時であるのに対し、史実の容妃の死亡時の年齢は55歳。28年も差があるのです。

容妃は清の宮廷で28年間暮らしていたが、容妃に香りがしたという記録はなく、誰も彼女のことを香妃とは呼んでいません。

仮に、伝説の内容が脚色されていたとしても、「容妃=香妃」とするには無理があるのです。
では、香妃は一体誰なのか。
彼女について清朝の記録は何も語っていません。

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