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音楽とファッションの面白い歴史(パンク編)

どのようにパンクロックやパンクファッション流行したのか?意外と知られていない立役者「マルコムマクラーレン」の存在。パンクで欠かすことができない重要人物”マルコムマクラーレン”や”ヴィヴィアンウエストウッド”、”Sex Pistols”の歴史を掘り下げたまとめです。

更新日: 2018年03月15日

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oki1028さん

この記事のまとめ
"実はパンクはロンドンでなく、NYで生まれRamonesが第一人者だった"
"パンク文化をNYからロンドンへ輸入させ世界に発信した人物こそがマルコムマクラーレン"
"マルコムがSex Pistolsを生み出し、vivienne Westwoodに多大な影響を与えた"
"それを可能にしたのがマルコムは芸術を商業的に成功させる過激なマーケティングセンスだった"

今回はパンクロックを語る上で外せないファッションブランド"Vivienne Westwood"と"Sex Pistols"の関係についてをご紹介

日本でも人気のブランドVivian Westwoodは、70年代にロンドンでパンクファッションのパイオニアとして一大ブームを巻き起こし、83年のパリコレにてデビュー。その立役者となったのがパンクミュージックの第一人者であるSEX PISTOLS。

ギリス人デザイナー、ヴィヴィアン・イザベル・スウィアにより「ヴィヴィアン・ウエストウッド」として1983年のパリコレクションにてデビュー。イギリスの伝統的なクラシックとパンクが融合したスタイルで一躍人気となり、2006年には英国人デザイナーとして初めてエリザベス女王より「Dame」の称号を授与、ブリティッシュ・デザイナー・オブ・ジ・イヤーも3度受賞するなどイギリスを代表するブランドの一つである。

そもそもパンクロックとは?

今現在ではこのパンクという音楽は、ロックという音楽ジャンルの中に含まれるカテゴリーの一つ。70年代にロック人気がどんどん巨大化し、コンサート規模や技術、質もこれ以上ないという域に達していた。例えば、常人離れした神業を持つギタリスト、最先端の技術を駆使した実験的な音楽と小難しい歌詞を唄うプログレ・バンド、新宿二丁目のドラァグクイーンみたいな格好をして演奏するグラム・バンド等々。これらのどのジャンルにも馴染めない若者達が演奏技術など御構い無しに、勢いに任せて鳴らしたのがパンク・ロックである。

映像と共に聴いてみよう!

一言でパンクロックと言っても70年代から生まれて今では更にパンクロックの中でも細分化されています。(メロコア、ハードコア、スカパンク、ポップパンク、パンクロック。。。)まずは、パンクロック登場当初はどのような音楽でどのような出で立ちで演奏されていたのか映像と共に合わせて聴いて頂きたい。

70年代にパンクロックの先駆けとなった代表的なバンドの一つ。NYを拠点に人気を持ちSex Pistolsと二大パンクバンドの1つとして数えられる。

ジョーイ・ラモーン Joey Ramone - ボーカル (1974–1996) RIP.2001
ジョニー・ラモーン Johnny Ramone - ギター (1974–1996) RIP.2004
ディー・ディー・ラモーン Dee Dee Ramone - ベース (1974–1989) RIP.2002
トミー・ラモーン Tommy Ramone - ドラムス (1974–1978) RIP.2014
マーキー・ラモーンMarky Ramone - ドラムス (1978–1983, 1987–1996)
リッチー・ラモーン Richie Ramone - ドラムス (1983–1987)
C・J・ラモーン C.J Ramone - ベース (1989–1996)
エルヴィス・ラモーン Elvis Ramone – ドラムス (1987)
※ファミリーネイムが全員ラモーンだが、本名ではなく兄弟でもない

パンクロック代名詞的なバンド。70年代後半にロンドンで勃興し、活動期間は短命ながら、後世のミュージック・シーンやファッション界にも多大な影響を与えた。

<メンバー>
メンバージョニー・ロットン(本名:ジョン・ライドン)- ボーカル
スティーヴ・ジョーンズ - ギター、ベース(スタジオのみ)
ポール・クック - ドラムス
グレン・マトロック - 初代ベース
シド・ヴィシャス - 二代目ベース RIP.1979

ファッションブランド"Vivienne Westwood"とパンク誕生の歴史

映像を記載した二大パンクロックバンドの"The Ramones"と"Sex Pistols"。
この内、今回はSex Pistolsと"Vivienne Westwood"の関係について紹介します。
また、以下の説明の中でブランド名とデザイナー名が一緒の為、区別しやすくする為に

ファッションブランド名を英語表記"Vivienne Westwood"
デザイナー名をカタカナ表記”ヴィヴィアンウエストウッド”

としました。

パンクファッションで 熱狂的な支持を得て「パンクの女王」と称される世界的ファッションデザイナー。

Vivienne Westwoodとマルコム・マクラーレン

ヴィヴィアンウエストウッド、彼女が世界的なデザイナーとして成功する上で欠かせなかった人物が、彼女に絶大な影響を与えることとなる恋人の"マルコム・マクラーレン" と彼女のファッションを世に広めることとなった"Sex Pistols"である。

彼女は恋人であるマルコムの影響を受けながら、ファッション・デザインの世界にのめりこんで行くことになります。

マルコム・マクラーレンは、「Situationist International」という無政府主義政治団体に所属して活動していた人間であり、また、ファッションと音楽に取りつかれていた人間でした。 ヴィヴィアンウエストウッドは、そんなマルコムから新鮮な影響を受けたていたようです。

出典wear.jp

マクラーレンはイギリスのロックバンドのマネージャー、ファッションデザイナー、ミュージシャン、起業家。様々な顔をもつが、代表的なのがセックス・ピストルズを作った男であり、パンクを金になるメイン・カルチャーにまで押し上げた男。

ロンドンのパンク発信源となったブティック"SEX"の登場

1971年12月、ヴィヴィアンウエストウッドとマルコムは、ロンドンのキングスロード430番地に、ブティック「LET IT ROCK(レット・イット・ロック)」をオープンしました。
当時のファッショントレンドはヒッピールックでしたが、ヴィヴィアンウエストウッドたちはこの流行を拒否し、ロックをコンセプトとしたエキセントリックで挑発的なファッションを発表します。

ヴィヴィアンウエストウッドたちの作品はロック・ミュージシャンを中心に評判を呼び、ロンドンの若者たちから熱狂的な支持を得ました。

1972年、ヴィヴィアンウエストウッドたちは、ブティックの名前を「Too Fast to Live, Too Young to Die(生きるには速すぎ、死ぬには若すぎる)」に変更。 ロックをコンセプトとしたファッションから、スタッドやジップによってデザインされたバイクライダーのためのレザージャケットを中心としたファッションにシフトしました。

1974年、ブティックの名前を「SEX(セックス)」に変更。 店内はポルノの落書きスプレーとラバー・カーテンで飾られ、レザーボンテージなどのセックスやフェティッシュをモチーフとしたファッションが並べられました。

当時、ヴィヴィアンウエストウッドがマクラーレンと経営し、Sex Pistolsのメンバーが出入りしていた人気店。

Sex Pistolsの誕生

この頃のイギリスは深刻な経済不安に陥っており、景気も低迷。特にロンドンの街には職にあぶれて行き場をなくした若者達が溢れかえっていた。
そんなイギリスの若者達の怒りとフラストレーションを満たすのに、もはや難解で長ったらしい「プログレッシヴ・ロック」は無用の長物でしかなかった。経済的・社会的不安・不満が高まるにつれて「プログレ」は、一気に若者達の間で嫌悪の対象となって行った。
 不条理で苛立たしい世の中への怒りをストレートに代弁する人間が必要とされていたのである。
 
ヴィヴィアンウエストウッドとマルコムはそんな若者の欲求をいち早く察知し、「SEX」のブティックで「ピンク・フロイドが嫌いだ」と書かれたTシャツや、敗れてボロボロになった服などを売リ始めた。そして店には、Tシャツに書かれたメッセージに共鳴した若者達が押し寄せ、あっという間にそこは行き場の無い若者達のたまり場と化したのである。

後期にマルコムは、この成功によって「ドールズ以上に、もっと過激でもっと人に嫌われるバンドを作ろう」と目論んだ。 そして、当時頻繁に店に出入りしていた不良少年のスティーヴ・ジョーンズ(後のSex Pistolsギター)とポール・クック(後のSex Pistolsのドラム)が結成したアマチュアバンドに目をつけ、それに積極的に介入し、当時『SEX』の店員だったグレン・マトロック(後のSex Pistolsのベース)と、オーディションで選んだヴォーカルのジョニー・ロットンを加入させ、1976年11月にバンドの形を整えさせた。だが、全員音楽的経験は全く無いという、純100パーセントの「素人バンド」だった。彼らは貸しスタジオで練習を重ね、セックス・ピストルズという名前でライブデビューした。

Sex Pistolsの人気が爆発

こうして作られたSex Pistolsは、マルコムのイメージを具現化する道具として調教された。マルコムは「客に唾を吐きかけろ!」「ドールズの様になれ」「人に嫌われるんだ!」と、ザ・フー、ニューヨークドールズやアリス・クーパー、イギー・ポップなど、歴代の悪者、反社会ロッカー達の楽曲を習わせ、メンバー達を仕込んでいった。

 そんな過激なイメージと振る舞いが功を奏したのか、彼等の名前は一気に広がり、シングル「アナーキー・イン・ザ・UK」を発表するに至る。

その歌詞の内容が過激で攻撃的過ぎて、放送禁止になりながらも見事に若者達の欲求を晴らし、支持され、ヒットした。

 次いで発表した最初で最後のデビュー・アルバム「勝手にしやがれ」はアルバム・チャートで全英一位に輝き、女王陛下を「人間じゃない」と嘲笑ったシングル「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」に至っては、題名が黒塗りにされたままチャートを駆け上がり一位を記録するという伝説まで生んだ。

 マルコムの野望は見事達成され、バンドはイギリスのみならず世界の若者達に多大なショックと感動を与え、パンク・ムーヴメントを一気にメイン・ストリームにまで押し上げたのだった。マルコムのデザインによる彼等のファッション、髪型、言動、全てが新しかった。

<歌詞>
俺は反キリスト論者 俺はアナーキスト(無政府主義者)
 欲しい物なんてないが
 手に入れる方法だけは心得てる
 行き交うヤツラをぶっ殺したいゼ
 俺はアナーキストになりたいのさ 
 手下なんかごめんだね

 アナーキズムを英国に
 きっといつかそんな日が来る
 メチャクチャにするぜ、交通を遮断してやる
 お前の夢といったらショッピングに行くことくらいさ
 俺はアナーキストになりたい この街で
 『アナーキー・イン・ザ ・UK』

Sex Pistols人気と平行して"Vivienne Westwood"のパンクファッションが若者から大ブームに

Sex Pistolsが人気絶頂期を駆け上る中、その彼らの前衛的で反抗的なパンク・ファッションや髪型、発言なども若者から注目されることとなり、その衣装から全てをデザイン、プロデュースしていたヴィヴィアンウエストウッドとマルコムのブランドは凄いスピードで流行し、 ヴィヴィアンウエストウッドは「パンクの女王」と呼ばれるようになり、さらに熱狂的な支持を得て行くことになります。

当時のSex Pistolsの衣装ってどんな服?

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