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意外!?ギロチンって人道的処刑で、意外と抵抗した人が少なかった!?

処刑にも様々なものがありますが、中でもギロチンは怖い処刑の一つと考えている人が多いのではないのでしょうか?しかしギロチンを開発した当時は、意外にも人道的な処刑道具と称賛されていたようで、泣き叫んだり抵抗したりする人は少なかったようです。今回は、その理由に迫りたいと思います。

更新日: 2018年03月04日

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この記事は私がまとめました

1・ギロチンの現在のイメージ

2本の柱の間に吊るした刃を落とし、柱の間に寝かせた罪人の首を切断する斬首刑の執行装置。フランス革命において受刑者の苦痛を和らげる人道目的で採用され、以後フランスでは1792年から1981年まで使用された。

とはいえ、体験談がないので怖いですよね。昨今はSMなどでも活用されています。

恐ろしそうなイメージがありますし、実際に恐ろしいものです。

怖い雑学「ギロチンで首を切断した後でも、1分近く意識があるらしい。」

こういう事実が分かったので、更に恐怖感が湧きます。

@takanosa25 滅茶苦茶凄まじい汗、ギロチンは皮肉にもすぐに逝かせるから安楽死扱いに近いもんだったりするのが怖いですね汗

実際には安楽死でも何でもないところが嫌です。

古い昔、ギロチンの死刑って本当に怖いですよね。

実際に怖くて、アニメや小説でも怖わがらせる演出で使いますよね。

ほどなくして刑は執行されて、そこに立ち会ったラボアジェが
「私の話が聞こえているか返事をしてほしい」と問いかけると
「死刑囚は瞬きによってしばらく間は問いかけに応答していたのだという」
どうやらギロチンで首を切断された後にも
数秒~数分間は意識があるのだという話です。

基本的にはほぼ確実に即死だそうです。あったとしても何かのはずみの可能性があります。こんな話が出る位恐ろしいという事ですが、当時は案外死刑になる人は受け入れていたようです。

2・意外にも抵抗した人は少なかった(フランス革命当時)

活躍しました。なおギヨタン博士やシャルル=アンリ・サンソンが開発に関わって、最終的にルイ14世が、刃を三日月形にして切り落としやすくするようにアドバイスしました。なおルイ14世は後にギロチンを食らう事になります。

映画を見ても、泣き叫ぶ人は少ない様に思えます。何かを訴える人はいますが。

3・理由は、人道的な処刑だったから。

ギロチンが開発される前は斧で首を切ってたけど、上手く一撃で落とせることは少なくて
何度もドスドス振り下ろしてやっと切断するって感じだった
その恐怖や苦痛に比べれば、ちゃんと用意しておけばほとんど一撃で斬首できるギロチンはずっとマシなものだった

気に食わない人の処刑だと、わざとへたくそな人に処刑を命じたようです。

そもそもギロチン前の処刑が、とんでもないものが多かったのです。

その頃フランスでは、処刑というと八つ裂きにして殺すといった、リンチにようなものが少なくなかった。また斬首の場合も、腕の良くない執行官に当たると、一太刀で首をはねることができず、酷いときには受刑者は何時間も苦痛にもがくという有り様だった。

あっさり死なせるのも優しさです。切腹の介錯も武士の情けと言いますからね。

医者あるいは医者の知識を持った人が、多かったようです。どこをやれば簡単に殺せるという事と、処刑人は蔑まれていたので、自分で見るしかなかったという点からだそうです。

死刑廃止論者で、死刑を廃止を呼びかけ、死刑をするにしても苦しませずに死ぬように色々考えたようです。彼は処刑人として技術もありましたが、様々な迫害を受けていたのです。

当時、斬首刑に処せられるのは貴族のみで、平民は絞首刑や車裂きの刑に処せられていた。言わば、一瞬かつ安らかに死ぬことが出来る斬首刑は貴族のみに許された名誉の処刑方法であった。
一方で、肝心の斬首刑自体も死刑執行人の手で行われており、執行人の腕によっては受刑者に多大な苦痛を与えることも多く、斬首刑は熟練の腕を必要とする極めて難しい処刑方法であった。

日本の武士でいう所の切腹という事でしょうか。そうでない場合は、顔をつぶしたり結構残酷な刑があったようで、それに比べればましだったのでまだ受け入れたようです。

実は娯楽の一つだったのです。ですからそういった熱気に負けて抵抗できなかったのかもしれません。

特に、マクシミリアン・ロベスピエール率いるジャコバン派が台頭した「恐怖政治」においては、連日ギロチンによって反乱分子が処刑された。多い時はパリだけで1日30人以上が機械的に首を刎ねられたという。
最終的に、テルミドールのクーデターによって失脚したロベスピエール自身もギロチンによって処刑されるなど、ギロチンはフランス革命のシンボルへと変化していった。

通常の斬首ですと、数人しかできないのですが、これだと何倍のスピードで可能になります。そのうえで観衆の熱気などの異様な雰囲気で受け入れやすい状態になったのかもしれません。日本の江戸時代の死刑囚もこういった場が有名になるチャンスだったので、受け入れる人もいたようですし。

王や貴族はプライドがあるので、名誉ある斬首刑を文句言うことなく受け入れていたので粛々と受け入れていたのです。しかし通常の斬首と違い、ギロチンはスピードが速かったので、数が多くなります。そうなりますと泣き叫ぶ人が出てくるのです。

それよりも、彼がギロチンを発案したのは、処刑の迅速と無痛だけでなく、平等な処刑の実施がその主眼であり、罪人の家族の保護などの提言も含まれていたこと、そしてフランス革命で同時に拷問の禁止が決められていることも見逃さないでおこう。

守られたかは不明ですが、拷問禁止されたというのも、ギロチンが人道的な刑罰を行うという根拠になりそうです。

4・抵抗したり泣き叫んだりする例は少なからずあって、様々なトラブルもあった

執行人のサンソンは昔の恋人だったらしく、泣いて命乞いをします。命が惜しくて断頭台のまわりを動物のように吠えながら逃げ回り、見物に集まった民衆に命乞いをしたと言われています。本当の貴族ではないため、貴族としてのプライドがないのでできることです。

サンソンは自分で刑を執行できず、息子に刑の執行をさせました。愚かに逃げまわり、みっともなく叫んだデュ・バリー夫人ですが、これまで断頭台の犠牲になった貴族たちが、デュ・バリー夫人のように泣き叫んでいたら、もっと早く恐怖政治は終わっていたと言われています。皆貴族の誇りを持っていたので、取り乱すことなく、凛として刑を受けたのです。

しかしこれは結構影響があったようで、処刑執行人も息子に譲る位ですし、観衆にも「かわいそうだ」と思った人がいたようです。

実際は、痛みを増すため、死刑執行人がわざとギロチンの刃を鈍くすることもあったそうです・・・。

粗悪なギロチン台も乱造されていたようです。

1793年6月13日にギロチンを各県に1台ずつ配置することが政令で決定され、83台ものギロチンの一括注文を受けてしまうが、当時のシュミット工房にはそれだけの半工業的注文に応えられるだけの設備を備えていなかった。そのため、品質の劣るギロチンを出荷することになり、地方の死刑執行でギロチンの刃が途中で止まり、どうしても落ちないというトラブルが起こった。このことが問題となり建築家によって原因調査が行われ、改良が行われた。

需要が供給においつかないというのが、また…

処刑をギロチンにしていたようです。しかし戦後フランスでは野蛮という声が出たようで…。

フランスからギロチンそのものが無くなったのは、1978年のこと。

野蛮すぎるというある上院議員の批判がきっかけで、1981年には死刑制度そのものがなくなりました。

ギロチンが最近まで使われていたのが、すごいですね。

終わりに

歴史をいればギロチンがマシに感じてしまいます。

このように、一見残酷に見える死刑方法ですが他の例を考えれば人道的ともいえなくはないです。しかし私達からすれば見た目的にも怖い(今風に言えばインスタ萎えかな)なので、絶対お目にかかりたくありませんよね。

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