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【サッカーの王様】ペレの嘘みたいな凄い成績とエピソード。

サッカー史上最高の選手と日本人以外には当たり前のように言われているペレの経歴を、日本人を教育する為に紹介します。これを読んだらメッシだと言う日本人は減るでしょう。

更新日: 2018年08月09日

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rulliさん

ペレの凄さを分からず「メッシを史上最高」と言う日本の馬鹿雑誌と馬鹿テレビに教育されている日本人を教育し直します。

1940年生まれ。

1956ー1974年 サントスFC
1975ー1977年 ニューヨーク・コスモス


サントスFC時代、638試合619得点(公式戦)

ブラジル代表、92試合77得点。

W杯3回優勝。

ペレがヨーロッパ相手に通用している証拠VTRです。「ペレはブラジル国内だけ」と言うアホな日本人はこれを見たら一発でだまります。

ご覧のようにペレがミラン、ユベントス、インテルなどと試合して得点しているシーンが収録されています。
ペレは現役時代にイタリアのクラブ(一番守備の強い国)と対戦して38試合41ゴールしています。これはミラン、インテル、ローマなど強豪クラブとばかり試合してこの成績です。日本人は日本の雑誌のアホ教育でペレが欧州のクラブとろくに試合をしていないと思っているのばかりです。本当にアホだらけです。

ペレの現役時代の試合の映像の90%以上は残っていません。そして足の速かった20才前後の若い頃の映像ほど残っていません。それが残っていたらペレの凄さは後世の人間にもっと伝わったでしょう。

写真は10代の時のペレ。
ペレは16才で初参加したリーグ戦で1年目から大活躍していたので、16才でブラジル代表に選ばれた。
ブラジル代表に弱冠16才でデビューした(1957年の7月7日)。デビュー戦が強豪アルゼンチン代表との対戦だったが、途中出場して代表初得点を決めた(試合は1対2で敗れた)。
3日後、再びアルゼンチンと対戦したがまた得点した。ブラジルは2対1で勝利した。ペレは先発して1ゴールを決めた。
ペレは16才だったが強豪アルゼンチンから2試合連続ゴールをした。ペレはブラジル代表デビュー戦から怪物ぶりを発揮した。

ペレが16才でブラジル代表で大活躍した為に、当時バルセロナのFWエバリストが代表から外された。エバリストは未だにバルセロナのブラジル人史上最多得点記録を持つ名手だ(彼はロナウジーニョより点を取った)。

写真は試合前に父親と写るペレ(恐らく16才頃の写真)。まだ保護者同伴であった。
左がペレで、右が父親のドンジーニョ。
ペレは16才でリーグ戦(サンパウロ州リーグ。当時、ブラジルでリオ州と並び一番レベルの高いリーグ)に初参加して1年目から得点王になった。41ゴールも決めた。
16才で参戦して、17才の誕生日を迎えた2カ月後にリーグ戦が終了した。
ペレはまだ子供であったがブラジルで一番うまい選手であった。
天才ペレは、リーグ戦1年目から得点王になるという前代未聞の大活躍をした。
ペレのこの最年少得点王記録はブラジルで未だに破られていない。

写真中央は、W杯1958年大会で決勝戦終了後、優勝して感動して泣いているペレ。まだ17才だった。右は、GKのジウマール。
ペレは最年少メンバーだったが、チーム得点王となりブラジルを優勝させた。
ブラジル悲願の初優勝は17才の少年の大活躍によってもたらされた。
ペレは弱冠17才でブラジルでリーグ得点王になった半年後に、W杯も優勝してしまった。ペレは10代であっさり夢を叶えてしまった。

17才でW杯に優勝して、優勝トロフィーを掲げるペレ。
ペレはW杯に史上最年少の年齢(17才)で参加したが、大会の主役になってしまった。
まさに天才、怪物と呼ぶべき選手だろう。

写真は、1958年にペレが「18才でブラジル史上シーズン最多得点記録、66得点」を作ってサントスFCで優勝した時の記念写真。この年は半年前にW杯でも主役で優勝していた。
ペレは18才にして既にブラジル史上最高の選手になっていたのだ。

W杯で優勝した後、ペレは所属チームのサントスFCの欧州遠征に参加してインテルと試合して7-1で勝った。これは現在でもインテルの史上最多失点試合だ。18才のペレはこの試合で4得点した。一番点を取った。

写真は、W杯1970年大会に優勝して、3度目のW杯優勝を達成したペレ(29才)。
優勝セレモニーでトロフィーを掲げるペレ。

写真は、W杯1970年大会の時のペレ。この時、29才だった。この翌年にブラジル代表を引退した。
2018年現在、ペレがブラジル代表引退してから47年経ったが、未だにペレのブラジル代表最多得点記録(77得点)は破られていない。
ブラジルは世界で一番名選手が数多く現れ、才能の宝庫と呼ぶべき国であるが、47年も記録が破られていないというのはとても凄い事である(今の方が代表の試合数が多いにも関わらずだ)。
全盛期に2年間休まなければ、ペレは代表100得点を軽く達成できた。記録をもっと伸ばせただろう。また33才ぐらいまでブラジル代表でプレイしてたらもっと記録を伸ばせた。そういう意味ではとても残念である。

写真は、ニューヨーク・コスモス時代のペレ。

ペレは攻撃的MFでありFWではありませんでした。
ペレは一番点を取れるCFのポジションでプレイしていませんでした。
それでもCF以上に点を取っていました。
「私はパスを多くしていた。CFのロナウド・ナザリオやロマーリオと得点数を比べられる事に当惑する。私は彼らとは違うポジションだった」とコメントしています。でもペレはその2人より得点数が多いです。

写真は、W杯1966年大会で酷いファウルを受けて負傷した時のペレ。
この大会後、ペレはW杯であまりに酷いファウルを受けた事に怒って、ブラジル代表を2年間も放棄した。ペレは25才~27才という選手として脂の乗った時期に代表を放棄してしまった。
既にW杯で2回優勝しているのでこういう決断が出来たのかも知れない。しかし、FIFAが新ルールを作ったのでペレは2年後に復帰した。そして3度目のW杯優勝を簡単に成し遂げた。さすが大天才ペレである。

写真は、1962年のサントスFCの集合写真。
サントスFCの攻撃陣はサッカー史に大きな足跡を残した。
前列右から2人目がペレ。
前列右端の選手がぺぺ。
前列右から3人目がコウチーニョ。
前列左端の選手がドルバル。

ペレのサントスFCはブラジル王者5連覇した(1961ー65年)。この5連覇は60年経ってもまだ破られていない。永遠に破られないだろう。ペレの時代にイエローカードがあったらペレはもっと優勝できただろう。

写真は、1963年のペレ。23才の時の写真。
これはイタリア、ミラノのサンシーロ・スタジアムでの写真。
左の選手はACミランのMF、ジャンニ・リベラ。
これはクラブ世界一を決めるインター・コンチネンタル・カップの試合前の写真だ。
この試合、サントスFCは2-4で敗れたが、ホームのブラジルで勝利して、この年、世界王者となった。

このペレのハットトリック回数は圧倒的である。
この記録は永遠に破られない可能性が非常に高い。
2018年現在で、「天才」と呼ばれる事が多いリオネル・メッシですらペレの半分の回数しか残せていない。
現代の天才の能力を持ってしても、この92回の記録には全く届かない。
ペレが史上最高の選手とされるのは当然だろう。

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