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ちょっと残念で、ちょっと笑える!「文豪」の自虐エピソード

残念な気持ちになったり、驚いたり、意外な一面を楽しめるかも。

更新日: 2018年03月11日

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colocolo093さん

▼ めんどくさい人だけど、実は「笑い」を描く作家・太宰治

太宰治といえば、残された写真をケータイの待ち受けにもしているというピースの又吉直樹をはじめとして、今も熱狂的なファンを生み出している文豪。

暗い・重い・難しいというイメージがつきまとう太宰だが、実は「笑い」を描く作家という評価が高い。

6日「畜犬談」強風の中今日も犬と山へ。犬を扱った文学作品はたくさんありますが私が一番好きなのは太宰治の『畜犬談』。「私は、犬に就いては自信がある。いつの日か、必ず喰いつかれるであろうという自信である」この冒頭が、もうおかしい(笑)。笑いあり涙あり決闘(?)まである太宰の傑作です!

のっけから全力で笑いを取りにいってます。

「書きだしさえうまくいけば、その作品は半ば仕上がったも同様である」という持論にも頷けるほど、太宰作品の冒頭は、読者がぎょっと驚いて注意を引かれるような非常に凝った表現がされています。

太宰治にはいろいろなエピソードがあります。

芥川賞に関する川端康成や佐藤春夫のエピソード、三島由紀夫とたった一度の邂逅場面のエピソード、数々の女性との交際や心中事件……枚挙にいとまがありません。

繊細な感受性を持つが故に、生きにくさを感じていたようです。

手紙や落書きだらけのノートなどが貴重な資料として残されています。

太宰は人間性にあふれた存在でもあった。天才芥川龍之介に憧れ、芥川賞が欲しいと審査員に懇願した手紙が残されている。

手紙の長さは、4mに及ぶものもあったとか…長っ。

太宰はこのとき26歳。腹膜炎の治療に用いた鎮痛剤中毒に苦しみ、薬代がかさむなどして借金を重ね、文壇の承認と賞金500円を切望していたが、第2回は受賞者なしに終わった。

受賞できなかったことの理由に、太宰の性格に問題があったからだとも言われている。だが本来は作家の人間性と作品は関係ないはずだが、太宰に限っては人間性が仇となって賞が取れなかった側面もあるようだ。

第1回芥川賞候補となったが落選。選考委員だった川端康成の選評に激高し、「刺す」「大悪党だと思つた」とする反論文を文藝通信に掲載。第3回には大悪党とまで罵った川端に懇願の書簡を送りつけた…もうわけがわからない、一生懸命に大暴れ。その甲斐あって、現在の芥川賞があるのかも。

川端康成は、日本人初のノーベル賞作家。受賞した4年後、謎の自殺で世を去りました。

1936年(昭和11年)。太宰治が、芥川賞欲しさに選考委員の佐藤春夫に宛てた手紙です。2枚目はこの4年後、亀井勝一郎と太宰のショット。 pic.twitter.com/KdR4ffub8G

晩年、太宰と親交のあった亀井勝一郎。

太宰治もそうだけど、偉人って何かしら変な手紙や落書きを処分せずに死んでるから、今頃顔真っ赤にしてるよねって思う。 モーツァルトのうんこの手紙とか尻を舐めろとかいう歌とか酷い。

金木の斜陽館(太宰治の生家) 豪邸ですね。太宰は色々問題のある人だけど憎めない✒ pic.twitter.com/eIGCmaUx7A

#太宰治「生まれて、すみません」のフレーズは実は盗用なんだよ。 pic.twitter.com/9dM96s5qQs

「生まれて、すみません」は、太宰治「二十世紀旗手」のエピグラム。
寺内寿太郎は、太宰の友人・山岸外史の従兄弟。太宰は山岸との会話でこの詩を知った。当時、2人の会話の中で生まれた言葉は、早い者勝ちで使用してもよいとしていた。

太宰は、「あの句は山岸君のかと錯覚するようになっていたのですよ」「わるいことをしたな」と狼狽した。

寺内寿太郎がまったくの無名であったこともあり、「生まれて、すみません」は太宰治の文学、生きざま死にざまを表すキーワードとして、後世に読み継がれている。

「女生徒」は芥川賞事件の4年後に発表された。

川端康成は、文芸時評の連載上で『女生徒』を激賞した。

しかし、それは太宰治が仕掛けた「釣り針」あるいは「罠(わな)」だった。

「女生徒」は、太宰の愛読者・有明淑の「有明淑の日記」を元にしている。川端康成は、他人の日記を模写して作りあげた作品の本質を見抜けず激賞。結果、太宰には原稿の依頼が急増した。

北村薫「「女生徒」は元になった日記を読むと「そのままじゃないか」と思う方もあるかもしれない。しかし、私はやはりあれは太宰治の作品だと思います。」  推理作家の北村薫は男性。僕は女性だと勘違いしてました。同じく作家の高村薫女性と混同してしまい。北村薫は筆名で本名は宮本和男さん。

北村薫「太宰治の辞書」

文豪の書いた小説の文章と、その原型との比較は、それこそリライトの参考になりそうである。

朝日新聞と朝日評論に掲載したユーモア小説「グッド・バイ」が未完の遺作となった。

「生きている事。ああ、それは、何というやりきれない息もたえだえの大事業であろうか。」これは太宰治の「斜陽」の一説です。

太宰はこれまでに、めっちゃ自殺未遂を繰り返しています。

1948年6月13日、太宰治はその愛人・山崎富栄と共に玉川上水へ入水心中し、38歳という若さでその生涯を閉じました。

富栄への口説き文句は「死ぬ気で恋愛してみないか」だった。

太宰の遺書には「美知様 誰よりもお前を愛していました」、富栄の遺書には「私ばかりしあわせな死に方をしてすみません」と記されていた。当事者でないと本当の幸せはわかりませんね。

自虐って作家にとっては芸風の一つで、それで面白い作品が書けることはたくさんあると思います。でも時にその自虐に人生そのものが引っ張られてしまうことってあると思う。 太宰治みたいに。

▼ 人嫌いが人好きに、放浪の作家・江戸川乱歩

怪奇、グロテスク、エロティック、猟奇など、江戸川乱歩作品を形容する言葉は数多くありますが、行き着くところは「人間が持つ狂気」のような気がします。

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