1. まとめトップ

恐るべきドイツ重戦車【ティーガー Ⅰ 】

第二次大戦中期の1942年に登場。搭載した8.8cm対戦車砲は連合軍主力戦車を遠距離から一方的に撃破することが可能だった。重装甲により防御力も極めて高く、撃破することが難しかったため連合軍兵士を恐怖に陥れたドイツの重戦車ティーガー Ⅰ の写真を中心に見ていきます。

更新日: 2019年04月18日

3 お気に入り 8318 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

【第二次世界大戦 独ソ戦 鉄騎 ガールズ&パンツァー ガルパン ワールドオブタンクス World of Tanks WoT WWⅡ World War 2 German Heavy Tank VI号戦車ティーガーE型 Panzerkampfwagen VI Tiger Ausführung E.】

maruttopieさん

ティーガー Ⅰ、SS第1装甲師団、フランス北部

ティーガー Ⅰ は陣地突破用の攻撃兵器として設計されたが、実戦に登場した1942年にはドイツは守勢へと回っており、米英やソ連の戦車隊の突破を阻止する防御戦闘で活躍した。


高い火力と重装甲で連合軍から恐れられたティーガーⅠ はⅣ号戦車の2倍以上の57トンという大重量が欠点になった。渡れる橋は限られ、低速で行軍しなければ駆動系に大きな負担がかかったため基本的には鉄道輸送で移動した。

ティーガー Ⅰ、フランス北部、1944年


ティーガー Ⅰの前面装甲は、
車台:100mm
砲塔:100mm(砲塔防盾部では120mm)

側面および後面:80mm
上面および底面:25mm(砲塔上面は1944年3月生産分から厚さ40mmに変更)

砲塔、車体ともに装甲板ははめあわせたうえで溶接した高品質なものだった。

ティーガー Ⅰ と連合軍戦車

ティーガー Ⅰ の8.8cm砲は主要な敵戦車である、T-34、M4シャーマン中戦車、チャーチル歩兵戦車を1,600m以上の距離から撃破できた。



【T-34】T-34の76.2mm砲は、ティーガー Ⅰ の前面装甲をゼロ距離でも貫けなかった。側面装甲は硬芯徹甲弾を使えば500m以内で貫けた。T-34-85中戦車が装備する85mm砲は、500mでティーガー Ⅰ の側面装甲を射貫できた。

【IS-2】ソ連の重戦車IS-2の装備する122mm砲は、あらゆる方向から1,000mでティーガー Ⅰ を撃破できた。

【M4】M4シャーマン中戦車の75mm砲は、ティーガー Ⅰ の正面装甲を接射でも貫けず、側面装甲は300m以内でようやく貫くことができた。
イギリス軍がM4から改造したシャーマン・ファイアフライは、搭載したイギリス製17ポンド砲で新型の装弾筒付徹甲弾(APDS)を使用すれば1,500m以上でティーガー Ⅰ の前面装甲を貫けた。

アメリカ軍の76mm砲は、一般的な被帽付徹甲弾ではいかなる距離でもティーガー Ⅰ の正面装甲を貫けなかったが、供給量の少ない高速徹甲弾を使用すれば1,000mで正面装甲を貫けた。


熟練したティーガーの搭乗員は、敵戦車に対して車体を斜めに構えることで防御力を高めた。計算上では、45度傾けると敵弾が貫かなければならない正面装甲厚(100mm)は141mmに増加(80mmの側面装甲は113mmへ増加)し、ティーガー Ⅰ の撃破はさらに困難になった。

車体側面、貫通しなかった着弾跡

連合軍側の対応

ティーガーの出現に危機感を覚えたイギリス軍は、M4の火力を強化したシャーマン・ファイアフライを開発し成果を上げた。

17ポンド砲

1942年末に完成、1943年春から量産開始
1944年9月に完成した新型のAPDS(装弾筒付徹甲弾)を使用すれば、910mの距離で192mmの装甲を撃ち抜けた。

初速向上のため大量の火薬を薬莢に詰めたので発射時に激しい火炎が目立った。新開発のAPDS弾はまだ装弾筒を均等なタイミングで分離できず遠距離では命中率が低下した。またAPDS弾は傾斜装甲相手では大きく威力が低下した。

朝鮮戦争でも使用され、対戦車砲としてだけでなくトーチカに対する直接砲撃も行った。

アメリカから供与されたM4シャーマンを改造して、17ポンド砲を搭載した「シャーマン・ファイアフライ」

ドイツ軍はティーガーやパンターを撃破できるこの戦車を脅威とみなし最優先の攻撃目標とした。

イギリス軍はM4数輌の後方にファイアフライを配置してパンター等が出現した場合に前進・交戦することで通常戦闘での損耗を抑え、写真のような迷彩塗装を施して短砲身の通常型シャーマンに偽装し特徴的な長砲身でファイアフライと識別されるのを逃れようとした。

オランダのEdeにあるLangenberg解放記念メモリアルの展示車輌

予備履帯を車体前面に設置し増加装甲としての役割を持たせている。

アメリカ軍はアフリカ戦線のチュニジアやシチリア島、イタリア戦線でティーガーと交戦し、シャーマンが攻撃力・防御力ともに正面から対抗できないことが判明した。(一説には1輌のティーガー Ⅰ を撃破するためには5輌のシャーマンが必要だったとも)
ティーガーと交戦した前線司令官から、より強力な戦車が必要と陸軍省へ強い主張があったにもかかわらず、


・当時のアメリカ軍戦車は歩兵を支援して陣地を突破することを任務とし、対戦車戦闘は軽快で強力な砲を持つ駆逐戦車の役割とされた。

・構造の複雑さからティーガーは大量生産されないと判断した。

・陸軍地上軍管理本部が極端な兵器統一思想を持っていた。上層部の一部にM4の75mm砲は十分な威力を持つと強硬に主張する将軍が存在した。


これらの理由により、アメリカ軍のシャーマンにティーガーへの対抗策が与えられることはなかった。
実際にティーガーの生産数は少数にとどまったため連合軍戦車が戦場で遭遇することは多くなかったが、ノルマンディー上陸作戦後のパンター中戦車との遭遇率はかなり高く、攻撃力の劣るシャーマンは大きな損害を出すことになった。
当時のアメリカ軍戦車に搭載されていた戦車砲のなかで最も高い貫徹力を持つ76mm砲をもってしても、パンターの車体正面装甲(傾斜55度・装甲厚80mm)を撃ち抜くことはできなかった。

アバディーン陸軍試験場


アメリカ軍の対戦車自走砲(駆逐戦車)

3インチ(76.2mm) M7戦車砲

写真ではわからないが砲塔上面はオープントップで装甲はない。

初期型、チュニジア、1943年

アメリカ軍に鹵獲された初期型、チュニジア、1943年

ソ連軍に鹵獲されたティーガー Ⅰを視察するジューコフ元帥

1943年初頭、ティーガー Ⅰの鹵獲に成功しその調査結果に衝撃を受けたソ連国防委員会は対抗できる重戦車の開発を決定した。

開発されたIS-1重戦車は量産開始の直後、搭載した85mm砲の攻撃力がティーガー Ⅰに対して不足していることが判明し(これは85mm砲を装備したT34-85中戦車も同様だった)、より強力な122mm砲を装備するIS-2の開発に移行した。

実戦配備されたIS-1は乗員が戦車学校を卒業したばかりの士官が多かったこともありドイツの対戦車砲やティーガー Ⅰとの戦闘で大きな損害を出した。

IS-2重戦車は独立親衛重戦車連隊に配備され拠点突破に用いられることが多く、対戦車戦闘よりも対歩兵戦闘で活躍した。

スモレンスクはベラルーシ国境近くの都市。ロシア最古の町の一つで863年に文献に登場、外国人では東ローマ帝国皇帝コンスタンティノス7世が初めて書物に記した。

ロシア・ポーランド戦争で1611年に陥落しポーランド・リトアニア共和国に割譲。1812年ナポレオンの大陸軍とロシア帝国軍が激突しこの戦いをトルストイが「戦争と平和」で描いた。

1941年6月突如ソ連に侵入したドイツ軍が8月に占領。赤軍は頑強に抵抗し20万の兵士が脱出に成功(30万人が捕虜)し、独軍は包囲殲滅に失敗。市街地の93%が破壊された。この抵抗を記念して1985年に英雄都市の称号が贈られた。1943年秋、ソ連が奪還。

各戦車の生産台数

・ティーガー Ⅰ:1,347輌(1942年8月-1944年8月)
・ティーガー Ⅱ:約490輌(1943年9月-1945年3月生産終了)
・パンター:約6,000輌
・Ⅳ号戦車:約8,000輌

・M4シャーマン:1945年までに49,234輌(欧州戦線だけでなく対日戦にも使われた総生産数)
・シャーマン・ファイアフライ:終戦までに2,139輌をM4から改造
・M26パーシング駆逐戦車:(1944年11月からドイツ降伏までに700輌以上が完成したが、実戦に参加できたのはわずか20輌だけだった)

・T-34-76:34,000輌以上
・T-34-85:22,000輌以上(1,200輌/月という驚異的なペースで生産された)
・IS-2:約3,500輌

ティーガーの生産台数は少数に留まりアメリカ軍の分析は正しかった。パンターの生産数はⅣ号戦車に近くティーガー Ⅰのおよそ4.5倍だった。
連合国側の生産量は文字通り桁違いで、特にソ連がヨーロッパからウラルへ疎開させた工場から送られてくるT-34だけでも驚異的な数だった。アメリカからレンドリースとしてジープやトラック、工作機械等の大量の物資が輸送船団で送られてきたため、ソ連は主要な兵器の生産に集中することが可能だった。

ヒトラーは工場から前線に送られてくるソ連戦車の規模について報告を受けていたが黙殺した。イギリスとは講和も可能だと考えていたヒトラーだったが、ソビエトは絶対に降伏させなければならない敵だった。ドイツ軍の置かれた状況が厳しさを増すにつれてヒトラーは正確な状況判断ができなくなっていった。

ヒトラーはユダヤ人に対しての人道上の犯罪行為がクローズアップされることが多いが、占領したソビエト領でナチスの武装親衛隊等が行なった民族浄化も凄まじく第二次大戦でのソビエト1国の死者は民間人を含めて2,000万〜3,000万人とも言われている。バルバロッサ作戦以降の対ソ戦初期にドイツが捕らえたソ連兵捕虜約500万人の大半は収容所での過酷な強制労働によって生きて祖国へ帰ることはできなかった。逆もまた同じで、ソ連軍に降伏したドイツ軍捕虜は強制収容所での過酷な環境によりドイツへ帰ることができたのは少数だった。

ティーガー Ⅰ、SS第101重戦車大隊、フランス北部

概要

Base Borden Military Museum
ボーデン軍事博物館、ボーデン、カナダ

TZF9b照準器


ツァイス製のこの照準器は極めて正確だった。

主砲:8.8cm KwK 36 L/56
徹甲弾、榴弾、計92発を車内に搭載
ツァイス製TZF9b照準器


全長:8.45m(主砲先端までの長さ)
車体長:6.32m
全幅:3.56m
全高:3.0m

戦闘重量:57t


エンジン:マイバッハ HL230 P45 V-12、690馬力、ガソリンエンジン

サスペンション:トーションバー
地面とのクリアランス:47cm

予備を含めた燃料タンク容量:540リットル(140 USガロン)
航続距離:舗装路 195km、不整地 110km


乗員:5名(戦車長、砲手、装填手、運転手、無線手)
【後方から見て、車体前方左側に運転手席、右側に無線手席、車体中央の戦闘室に戦車長・砲手・装填手】


生産台数:1347輌
生産期間:1942年8月〜1944年8月
生産には他のドイツ戦車の2倍の時間が必要だった。


ユニットコスト:250,800ライヒスマルク
ティーガー Ⅰ はパンター戦車の約2倍、Ⅲ号戦車の約3倍、Ⅲ号突撃砲の約4倍も高価だった。

ティーガー Ⅰ、東部戦線、1943年6月

1 2 3 4