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鉄腕アトムがコラボ?新宿名物、復活!内藤とうがらしの【アトム七味】

江戸時代にできた内藤とうがらしと鉄腕アトムがコラボして出来た「アトム七味」とは?実は新宿にゆかりのあった七味を調べてみました。

更新日: 2018年03月13日

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唐辛子が新宿の名物??鉄腕アトムと唐辛子のコラボって??内藤とうがらしって何?鉄腕DASHの「新宿DASH村」で取り上げられそうなネタをまとめてみました。

十万馬力の辛さ?!「アトム七味」が発売!!

【十万馬力の「アトム七味」発売!】 新宿ゆかりの幻の内藤とうがらしを使った「アトム七味」が発売されました。 十万馬力のパンチがきいたピリリとした辛みをご家庭でご賞味ください kanko-shinjuku.jp/spot/history/a… pic.twitter.com/DvUpBmOjIJ

新宿ご当地七味「アトム七味/高田馬場」
価格:820円(税別)
特別缶仕様/内容物10g
原材料:内藤とうがらし、黒ごま、和山椒
※ブレンドされているものは7種類でなくても七味と表現されています。

新宿と言えば鉄腕アトム

2003年3月1日に東日本旅客鉄道(JR東日本)山手線高田馬場駅(手塚プロダクションの最寄り駅であり、設定上の科学省の所在地でもある)でアニメ版の主題歌『鉄腕アトム』が発車メロディとして使われている。

収録当日は山手線遅延の影響で長く鳴りました。
※放送被りはメロディーに被っているか被っていないかで判断しているので戸閉放送には駅員放送が被っています。

1952年 - 医師免許取得。『アトム大使』から路線変更した『鉄腕アトム』(連載予告では鉄人アトム)を『少年』 に引き続いて連載。東京都新宿区四谷に約1年半下宿する(四谷交差点(北西角。メトロ2番入り口前)「成木屋青物店」の2階。後の漫画作品「四谷快談」の舞台。『鉄腕アトム』などの執筆場所)。

気になる【内藤とうがらし】って何?

内藤とうがらしは、江戸時代の宿場町、内藤新宿で育てられた野菜のひとつ。当時、蕎麦が流行していた江戸では、薬味として瞬く間に人気となり、新宿近郊の農家がこぞって栽培をしていました。 現在では、伝統の江戸東京野菜に認定され、歴史ある新宿の名物として再び脚光を浴びています。

内藤とうがらしとは、江戸時代に江戸(現在の東京)周辺で栽培されていたトウガラシの一種。いわゆる江戸野菜(江戸東京野菜)の1つにも数えられる。明治以降、東京の都市化に伴い栽培されなくなっていったが、後述の復活プロジェクトにより消滅を免れた。2017年現在でも栽培や薬味への加工、販売イベント(新宿内藤とうがらしフェア)が行われている。

・・・あ、内藤さんが作ったとうがらしじゃ無いんですね・・・。

宿場町「内藤新宿」ってどこ?

【新宿】東京都。江戸期、日本橋・高井戸という二つの宿(甲州街道)の間に設けられた新しい宿駅が「内藤新宿」と名付けられたことが元。「内藤」は、信州高遠藩主の内藤氏の中屋敷があったことから。

内藤新宿(ないとうしんじゅく)は、江戸時代に設けられた宿場の一つ。甲州街道に存在した宿場のうち、江戸日本橋から数えて最初の宿場であり、宿場内の新宿追分から甲州街道と分岐している成木街道(青梅街道)の起点でもあった。現在の住所では、東京都新宿区新宿一丁目から二丁目・三丁目の一帯にあたる。

東海道の品川宿・中山道の板橋宿・日光街道(奥州街道)の千住宿と並んで、江戸四宿と呼ばれた。地名から四谷新宿と呼ばれることもある。

太宗寺地蔵菩薩:江戸六地蔵の第三番。僧太宗が開いた太宗庵が前身の寺院で、安房国勝山藩主・内藤正勝の葬儀を執り行ったことを契機に内藤家代々の菩提寺となった。以降この地は内藤新宿と呼ばれ、関所が設置された。内藤の新しい宿=新宿である。 pic.twitter.com/DyFEQH6tB6

なぜ内藤とうがらしが江戸時代に流行ったの?

漢方を食に利用できないかと、江戸の薬研堀で初代からしや徳右衛門という方が売り出したことが始まりとされるのが七味とうがらしです。江戸でよく食べられていた蕎麦に相性がいいことからどんどん人気が高まって、いろいろな場所に広がっていったようです。

当時、蕎麦が流行していた江戸では、薬味として瞬く間に人気となり、新宿近郊の農家がこぞって栽培をしていました。

当時、江戸参勤中の大名は屋敷の敷地内に畑を設け、野菜を自給自足するのが一般的であった。高遠藩では内藤新宿の一角に青物市場を開き、屋敷で栽培していた野菜の食べなかった分を販売した。すると唐辛子と南瓜が評判となり、巷間に伝わった。そして、この頃から周辺の農家にもタネが伝わり、内藤新宿から近郊の農村地帯(現在の新宿区西新宿(角筈)、北新宿(柏木)、中野区あたりから以西と思われる)では特に唐辛子の栽培が盛んになり、この地域の名産品となった。

日本に入った唐辛子が、七味唐辛子として普及したのは江戸時代初期。からしや中島徳右衛門が、江戸両国薬研堀に店を開いて売り出し、それが当時の江戸っ子の嗜好に合い、全国に広まったと言われています。

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