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【アジア史上最高】韓国代表、     チャ・ボムグン。ソン・フンミンが   全く敵わないFW。

チャ・ブングン(Cha Bum-Kun)はアジア人として初めて欧州の国際大会で優勝し、欧州最強リーグの     ブンデス・リーガで外国人最多得点記録まで作ったアジア史上最高FWであり、アジア史上最高の選手だ。

更新日: 2019年06月26日

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rulliさん

写真は、レバークーゼン時代、チャ・ブングン。

1989年時、欧州助っ人年齢順位(欧州5大リーグ)

1位 モルテン・オルセン(ケルン)39才 
   デンマーク代表CB。 

2位 ロジェ・ミラ(モンペリエ) 37才
   カメルーン代表FW。

3位 オズワルド・アルディレス(トッテナム)36才
   アルゼンチン代表MF、W杯1978優勝。

4位 チャ・ブングン(レバークーゼン)36才 
   

5位 ゲルノト・ロール(ボルドー)35才 
   ドイツ人DF。

6位 ジュニオール(ぺスカラ)34才 
   ブラジル代表SB。

彼は名手だったので、欧州で36才まで活躍できた。

チャ・ブングンはフランクフルト・エースで、UEFA杯(1980)優勝8年後、レバークーゼンで再び、UEFA杯(1988)に優勝。    この時は決勝で得点した。彼は2回も国際大会で優勝した。

チャ・ブングンはIFFHS(国際サッカー歴史統計連盟)から    20世紀のアジア最優秀選手に選ばれた。

チャ・ブングン 1953年生。

1978-79 ダルムシュタット
1979-83 フランクフルト    1980年のUEFA杯に優勝。1981年はドイツ杯に優勝した。
1983-89 レバークーゼン    1988年のUEFA杯で優勝。2度目の優勝。決勝戦で得点した。

ブンデス・リーガ通算、308試合98得点。
【当時、外国人のリーグ最多得点記録を作った。欧州最強リーグ・ナンバー1、外国人FWだった】

韓国代表 135試合、58得点(未だに歴代1位)。
19才で代表デビューし、すぐに韓国代表エースとなった。早熟であった。25才迄の7年間で
韓国代表で132試合も出場し、58得点も取った。

写真は、W杯1986年大会のGLの試合で韓国代表と対戦しているディエゴ・マラドーナ。注:写真の 韓国人選手はチャ・ブングンではない。

チャ・ブングンは25才から韓国代表での活動を 辞退していたが、W杯1986年大会に参加する為に8年振りに33才で韓国代表に復帰した。
それでW杯でGLの全3試合にフル出場し、
久し振りに国際Aマッチ戦に出場した。
しかし、この大会、彼は3試合無得点で終わった。

このメキシコで開催されたW杯1986年では、
優勝チームのアルゼンチン代表と初戦で対戦した(1ー3で敗れた)。
対戦相手のアルゼンチンには名手、
ディエゴ・マラドーナが居た。

写真は、W杯1986年大会の韓国代表、
チャ・ブングン。

アルゼンチン代表と対戦している時の写真。

世界では
「オリンピック本大会と予選の試合は国際Aマッチとして集計しない」。
世界210ヶ国のうち約205ヶ国はFIFA基準を遵守し
その集計だ。
しかし、日本は勝手に独自基準を作り、
FIFA基準を否定し、五輪関連の釜本の得点記録を22点も追加集計し、釜本の得点記録を増やしている。
それぐらい日本は卑怯な事をやっている。

モントリオール五輪予選で、チャ・ブングンと釜本は戦い、同じ試合で得点したが、
釜本だけその得点を国際Aマッチとして集計している。

写真、左から2人目がチャ・ブングン。
韓国代表のチームメイトとの一枚。

チャ・ブングンはアジア人最高のFWの1人で、
恐らく1920年代にバルセロナで大活躍した
フィリピン人、パウリーノ・アルカンタラの次に
優れている。

イラン人FW、アリ・ダエイが
109得点(149試合)で、
代表チームの世界最多得点記録を現在もっているが(2018年現在)、
チャ・ブングンがあのまま韓国代表で活動していたら、簡単に109得点を抜き、世界最多得点記録を
作り、現在でも破られない大記録を作っただろう。
30代前半まで活動したとして、恐らく130得点以上は軽く達成できただろう。

写真は、韓国代表の時のチャ・ブングン。

彼は25才の時点で、韓国代表で58得点も挙げて史上1位だったという早熟のストライカーであった。
そして25才で
「韓国代表、最多出場試合記録(135試合)」
も同時に作ってしまったというとても珍しく凄い
選手だ。
しかも1位のこの2つの記録は33年経っても
未だに破られていない
(2019年現在)、

彼が30代前半までずっと韓国代表で活動していたら、軽く「100得点以上、200試合以上出場」は記録できただろう。
そういう意味では勿体ない話である。
もしそうしていたら後の時代の韓国人選手にとって永遠に破れない記録ができてしまった事だろう。

写真は、レバークーゼン時代のチャ・ブングン。

チャ・ブングンはドイツで1989年に引退し、
『ブンデスリーガ外国人最多得点記録』を作り、
この記録はその後12年間、破られなかった。
2001年まで破られなかった。
12年も破られなかったのは凄い事だ。
1990年代の間は、ずっと破られなかった。

彼は欧州最強リーグで、ナンバー1の外国人FWだった。
彼はフランクフルトとレバークーゼンのレジェンドであるが、もはやその功績は
「ブンデスリーガの レジェンドである」と説明して良いレベルの選手である。

写真は、バイエルン時代、ジオバネ・エウベル

彼は、2000年頃、バイエルンのエースFWだった。
ブンデスリーガで133得点した。
チャ・ブングンが98得点だ。
2001年、エウベルが破り、新記録を作った。

エウベルは22才からブンデスリーガに挑戦した。
チャ・ブングンは25才からだったので、3年早いドイツ挑戦だ。
チャ・ブングンがもしエウベルと同じ22才から
ドイツに居たら、現在の記録より30点以上多く取った可能性は非常に高い。
チャ・ブングンは通算140点ぐらいは取っていただろう。

だからチャ・ブングンが22才からブンデスリーガ挑戦していたら、エウベルは記録を抜けなかったかも知れない。

左がドイツ代表監督、名将ヨアヒム・レーブ(2018年現在)。右がチャ・ブングン。

レーブ監督はチャ・ブングンについて
「彼は最高の選手だった」と述懐している。

2人は1980年代前半、フランクフルトで同じチームだった。レーブ監督はチャ・ブングンの最盛期を
目撃した選手だ。
フランクフルト時代のチャ・ブングンは選手としてピークであった。
彼はフランクフルトのエースだった。

写真はドイツで一番有名なサッカー雑誌
「キッカー」の表紙を飾るチャ・ブングン。
フランクフルト時代の写真だ。

彼はブンデス・リーガを代表する一流選手だった。
恐らくプロ化以降で、「海外のサッカー雑誌の表紙」を
飾ったアジア人選手は、チャ・ブングンが初だろう。

(注:パウリーノ・アルカンタラは、バルセロナの
エースだったので、彼はスペインの雑誌の表紙になって
いた可能性は非常に高いだろう。
アルカンタラの時代、
まだスペインはアマチュア・リーグだった)。

写真は、有名サッカー誌
「フランス・フットボール誌」の表紙を飾る
チャ・ブングン。

まさに世界的スターだ。これはフランクフルト時代のチャ・ブングン。
ドイツのチームに所属していたが、
フランスのサッカー誌の表紙を飾った。
それぐらいのスターだった。

チャ・ブングンはドイツでもフランスでも
有名サッカー雑誌の表紙を飾った。
全盛期の彼は、「世界的なストライカー」で、
まさにスターだった。

写真は、フランクフルト選手として
「UEFAカップ1980年」に優勝し、トロフィーを
掲げるチャ・ブングン。彼はエースだった。

決勝でボルシアMGを倒して優勝した。
相手チームには名手ロータ・マテウスが居た。

欧州挑戦2年目で国際大会で優勝してしまった。
これはアジア人で初の欧州国際タイトル獲得だ。

この時、既にチャ・ブングンはフランクフルトのエースだった(1980年はチーム最多得点だ)。
このUEFA杯優勝はフランクフルトのクラブ史で
未だに最高の出来事とされている。
チャ・ブングンはフランクフルトを訪れると
未だにヒーローとしてサポーターに迎えられる。
翌年にはドイツ杯でも優勝した。

写真中央は、ドイツ杯1981年トロフィーを掲げる
名手ベルント・ヘルツェンバイン。
右端がチャ・ブングン。

フランクフルトは決勝でカイザースラウテルンを
3-1で下し優勝した。

ヘルツェンバインはフランクフルトで160ゴール(420試合)を挙げたレジェンドだ。W杯1974年優勝メンバーでもあった。彼はこのドイツ杯優勝を最後に35才でフランクフルトを退団した。

チャ・ブングンはヘルツェンバインとFWでコンビを組み、UEFA杯とドイツ杯を優勝し、
クラブ最盛期の立役者となった。
ちなみにヘルツェンバインは1980年、1981年と
2年連続でチャ・ブングンに次いで得点数が
チーム2位だった。

左がチャ・ブングン。
右がドイツ代表選手でW杯1974年優勝メンバー
だったFWユルゲン・グラボウスキー。

グラボウスキーはフランクフルトに15年も在籍して109ゴール(441試合)を挙げた。
彼はフランクフルトのレジェンドだ。
2人は1979-1980シーズンに1シーズンだけ一緒にプレイした。

フランクフルトにはグラボウスキー、ヘルツェンバインという2人のW杯優勝した名選手が居て、
チャ・ブングンはこの2人と共に戦った。
あの当時、アジア人がW杯優勝メンバーと一緒のチームで戦い、彼らより活躍し、エースになり
クラブ史の最盛期を作った。
チャ・ブングンの活躍は見事としか言いようがない。

写真は、レバークーゼン時代に
2度目のUEFAカップ優勝し、トロフィーを掲げるチャ・ブングン。
この決勝戦で彼は得点した。

1980年に優勝した8年後、チャ・ブングンは再びUEFA杯に優勝した。
決勝戦はレバークーゼン対エスパニョール(スペイン)の対戦だった。
レバークーゼンは第1戦(アウェー)で0-3で
負けていた。
しかし第2戦(ホーム戦)でレバークーゼンは
3対0で勝利した。チャ・ブングンは後半36分に
3点目のゴールを決めた。彼はレバークーゼンに
起死回生のゴールをもたらした。
2試合で得点数が同じで引き分けた為、
その後、PK戦を行い、
PK戦を制した、レバークーゼンが優勝した。

写真は、W杯1986年大会の時のチャ・ブングン。

FIFA基準のチャ・ブングンの得点数は58得点である。釜本は53得点である。
しかし、日本はJFA基準という勝手な独自基準を
作り、それを公式記録の基準として釜本の得点を22点増やし、75点にしている。そして、それを日本国民にマスコミ放送で伝えている。
ちなみにFIFA基準では三浦知良が55得点で日本1位だが、この酷い方針により三浦は2位にされ、釜本が1位という事に決定されている。
世界で210ヶ国あり、FIFA基準の国は
約205ヶ国である。無視している国はごぐ僅かだ。

日本は世界の常識を無視して勝手な事をしている。

ウィキペディアではAthleta(Ath02)という名の極悪執筆者が、   「釜本80点」というデマを流し、工作活動をしている。     しかし、日本国民は知らない。彼に完全にだまされている。

レバークーゼン時代、チャ・ブングン。

チャ・ブングンは1989年に外国人の最多得点記録98得点を残して引退した。
この記録は2001年にブラジル代表のジオバネ・
エウベルに抜かれた。その後、同様に外国人6人がこの記録を追い越した。
チャ・ブングンが引退して30年以上経ち、現在、 彼の記録は「外国人歴代8位」(2018年現在)。追い抜かれたが、ブンデスリーガ53年の歴史でチャ・ブングンは未だに外国人歴代8位というのは見事だ。
現在の様に欧州移籍する年齢が早く、アジア人も
評価されてる時代だったならば、彼は20才から
ドイツに居て、あと80得点ぐらい多く得点できて
順位はもっと良かっただろう。

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