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【アジア史上最高】韓国代表、     チャ・ボングン。ソン・フンミンが   全く敵わないFW。

チャ・ボングン(Cha Bum-Kun)はアジア人として初めて欧州の国際大会で優勝し、欧州最強リーグの     ブンデス・リーガで外国人最多得点記録まで作ったアジア史上最高FWであり、アジア史上最高の選手だ。

更新日: 2020年03月06日

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rulliさん

写真は、レバークーゼン時代、チャ・ボングン。

1989年時、欧州助っ人年齢順位(欧州5大リーグ)

1位 モルテン・オルセン(ケルン)39才 
   デンマーク代表CB。 

2位 ロジェ・ミラ(モンペリエ) 37才
   カメルーン代表FW。

3位 オズワルド・アルディレス(トッテナム)36才
   アルゼンチン代表MF、W杯1978優勝。

4位 チャ・ブングン(レバークーゼン)36才 
   

5位 ゲルノト・ロール(ボルドー)35才 
   ドイツ人DF。

6位 ジュニオール(ぺスカラ)34才 
   ブラジル代表SB。

彼は名手だったので、欧州で36才まで活躍できた。

チャ・ボングンはフランクフルト・エースで、UEFA杯(1980)優勝8年後、レバークーゼンで再び、UEFA杯(1988)に優勝。    この時は決勝で得点した。彼は2回も国際大会で優勝した。

チャ・ボングンはIFFHS(国際サッカー歴史統計連盟)から    20世紀のアジア最優秀選手に選ばれた。

チャ・ボングン 1953年生。

1978-79 ダルムシュタット
1979-83 フランクフルト    1980年のUEFA杯に優勝。1981年はドイツ杯に優勝した。
1983-89 レバークーゼン    1988年のUEFA杯で優勝。2度目の優勝。決勝戦で得点した。

ブンデス・リーガ通算、308試合98得点。
【当時、外国人のリーグ最多得点記録を作った。欧州最強リーグ・ナンバー1、外国人FWだった】

韓国代表 135試合、58得点(未だに歴代1位)。
19才で代表デビューし、すぐに韓国代表エースとなった。早熟であった。25才迄の7年間で
韓国代表で132試合も出場し、58得点も取った。

写真、右は、MF、ディエゴ・マラドーナ。
      (アルゼンチン代表)

W杯1986(メキシコ開催)の
グループ・リーグ初戦で
韓国代表は、優勝したアルゼンチンと対戦した。
対戦相手には名手、マラドーナが居た。
韓国は1-3で敗れた
(注:写真、マラドーナと競る韓国人選手は
チャ・ボングンではない)。

チャ・ボングンは、
25才から韓国代表を辞退していたが
W杯1986に参加する為、
8年振りに33才で韓国代表に復帰した。
W杯では、GLの全3試合にフル出場し、
久し振りに国際Aマッチを戦った。
しかし、この大会、彼は3試合無得点で終わった。

写真は、
W杯1986での、韓国代表、チャ・ボングン。

アルゼンチン代表と対戦している写真。

世界では
「オリンピック本大会と予選の試合は
国際Aマッチとして集計しない」。
世界210ヶ国のうち約205ヶ国は
FIFA基準を遵守し、その集計だ。
しかし、日本は勝手に独自基準を作り、
FIFA基準を否定し、
五輪関連の釜本の得点記録を22点も追加集計し、
釜本の得点記録を増やしている。
それぐらい日本は卑怯な事をやっている。

モントリオール五輪予選で、
チャ・ボングンと釜本は戦い、
同じ試合で得点した。
しかし、釜本だけそれを
「国際Aマッチ得点」として集計している。

写真、左から2人目がチャ・ボングン。
韓国代表のチームメイトとの一枚。

チャ・ボングンはアジア人最高のFWの1人で、
恐らく1920年代にバルセロナで大活躍した
フィリピン人、パウリーノ・アルカンタラの次に
優れている。

現在、イラン人FW、アリ・ダエイが
109得点(149試合)で、
代表チームの世界最多得点記録をもっている
(2018年現在)。
しかし、チャ・ボングンが
ずっと韓国代表で活動していたら、
簡単に109得点を抜き、
世界最多得点記録を作り
現在でも破られない大記録を作っただろう。
30代前半まで活動したとして、
恐らく130得点以上は軽く達成できただろう。

写真は、韓国代表での、チャ・ボングン。

チャ・ボングンは、25才の時点で、
韓国代表で58得点も挙げ、
「史上1位」という早熟のストライカーだった。
そして25才で
「韓国代表、最多出場試合記録(135試合)」
も同時に作ったという
とても珍しく凄い選手だ。
しかも1位の2つの記録は33年経っても
未だに破られていない(2019年現在)。

彼が30代前半まで
ずっと韓国代表で活動していたら、
軽く「100得点以上、200試合以上出場」は
記録できただろう。
そういう意味では勿体ない話である。
もしそうしていたら
後の時代の韓国人選手にとって
永遠に破れない記録ができてしまった事だろう。

写真は、レバークーゼン時代、チャ・ボングン。

1989年、
チャ・ボングンはドイツで引退した。
彼は、『ブンデスリーガ外国人最多得点記録』
(98得点)を作った。
この記録はその後12年間、破られなかった。
2001年まで破られなかった。
12年も破られなかったのは凄い事だ。
1990年代の間は、ずっと破られなかった。

チャ・ボングンは、欧州最強リーグで、
「ナンバー1の外国人FW」だった。
彼は、フランクフルトとレバークーゼンで
レジェンドであるが、
もはやその功績は
「ブンデスリーガの レジェンドである」
と説明して良いレベルの選手である。

写真は、バイエルン時代、ジオバネ・エウベル

彼は、2000年頃、バイエルンのエースFWだった。
ブンデスリーガで133得点した。
チャ・ボングンが98得点だ。
2001年、エウベルが破り、新記録を作った。

エウベルは22才からブンデスリーガに挑戦した。
チャ・ボングンは25才からだったので、
3年早いドイツ挑戦だ。
チャ・ボングンが
もしエウベルと同じ22才から
ドイツで活動していたら、
現在の記録より30点以上多く取った可能性は
非常に高い。
通算140点ぐらいは取っただろう。

故に、チャ・ボングンが22才から
ブンデスリーガ挑戦してたら、
エウベルは記録を抜けなかったかも知れない。

左がドイツ代表監督、名将ヨアヒム・レーブ(2018年現在)。右がチャ・ボングン。

レーブ監督はチャ・ボングンについて
「彼は最高の選手だった」
と述懐している。

1980年代前半、
2人は、フランクフルトで同じチームだった。
レーブ監督は、
チャ・ボングンの最盛期を目撃した選手だ。
フランクフルト時代のチャ・ボングンは
選手としてピークであった。
彼はフランクフルトのエースだった。

写真はドイツで一番有名なサッカー雑誌
「キッカー」の表紙を飾るチャ・ボングン。
フランクフルト時代の写真だ。

彼はブンデス・リーガを代表する一流選手だった。
恐らくプロ化以降で、
「海外のサッカー雑誌の表紙」を飾ったアジア人選手は
チャ・ボングンが初だろう。

(注:パウリーノ・アルカンタラは、
バルセロナのエースだったので、
彼はスペインの雑誌の表紙になっていた可能性は
非常に高いだろう。
アルカンタラの時代、
まだスペインはアマチュア・リーグだった)。

写真は、有名サッカー誌
「フランス・フットボール誌」の表紙を飾る
チャ・ボングン。

まさに世界的スターだ。
これはフランクフルト時代のチャ・ボングン。
ドイツのチームに所属していたが、
フランスのサッカー誌の表紙を飾った。
それぐらいのスターだった。

チャ・ボングンはドイツでもフランスでも
有名サッカー雑誌の表紙を飾った。
全盛期の彼は、「世界的なストライカー」で、
まさにスターだった。

写真は、フランクフルトで
「UEFAカップ1980年」に優勝し、
トロフィーを掲げるチャ・ボングン。
彼はエースだった。

決勝でボルシアMGを倒して優勝した。
相手チームには名手ロータ・マテウスが居た。

欧州挑戦2年目で国際大会で優勝してしまった。
これはアジア人で初の欧州国際タイトル獲得だ。

この時、既にチャ・ボングンは
フランクフルトのエースだった
このUEFA杯優勝は、
フランクフルトのクラブ史で
未だに最高の出来事とされている。
彼は、フランクフルトを訪れると
未だにヒーローとしてサポーターに迎えられる。
翌年にはドイツ杯でも優勝した。

写真中央は、ドイツ杯1981年トロフィーを掲げる
FW、ベルント・ヘルツェンバイン。
右端がチャ・ボングン。

フランクフルトは決勝で
カイザースラウテルンを3-1で下し優勝した。

ヘルツェンバインは
フランクフルトで160ゴール(420試合)を挙げた
レジェンドだ。
W杯1974優勝メンバーでもあった。
彼はこのドイツ杯優勝を最後に
35才でフランクフルトを退団した。

チャ・ボングンは
ヘルツェンバインとFWでコンビを組み、
UEFA杯とドイツ杯を優勝し、
クラブ最盛期の立役者となった。

左、 チャ・ボングン。
右、 FW、ユルゲン・グラボウスキー
  (元ドイツ代表、W杯1974年優勝メンバー)


グラボウスキーは
フランクフルトに15年も在籍し、
109ゴール(441試合)を挙げた。
彼はフランクフルトのレジェンドだ。
2人は、1979-80シーズンに
1シーズンだけ一緒にプレイした。

チャ・ボングンは、
フランクフルトで
グラボウスキー、ヘルツェンバインという
W杯優勝をした名選手と共に戦った。
あの当時、アジア人が
W杯優勝メンバーと一緒のチームで戦い、
彼らより活躍し、エースになり
クラブ史の最盛期を作った。
チャ・ボングンの活躍は
見事としか言いようがない。

写真は、レバークーゼン時代、
2度目のUEFAカップ優勝し、トロフィーを掲げる
チャ・ボングン。
彼は、決勝戦で得点した。

チャ・ボングンは、1980年に優勝した8年後、
再びUEFA杯で優勝した。
決勝戦は
「レバークーゼン 対 エスパニョール(SPA)」
だった。
レバークーゼンは、第1戦(アウェー)で
0-3で負けていた。
しかし第2戦(ホーム戦)で3ー0で勝利した。チャ・ブングンは後半36分に
チーム3点目のゴールを決め、
レバークーゼンに起死回生のゴールをもたらした。
2試合で得点数が同じで引き分けた為、
その後、PK戦を行い、
PK戦を制した、レバークーゼンが優勝をした。

写真は、W杯1986年大会の時のチャ・ボングン。

FIFA基準のチャ・ボングンの得点数は
58得点である。日本人・釜本は53得点である。
しかし、日本は
JFA基準という勝手な独自基準を作り、
それを公式記録の基準として
釜本の得点を22点増やし、75点にしている。
それを日本国民にマスコミ放送で伝えている。
ちなみにFIFA基準では
三浦知良が55得点で、本当は日本1位だが、
この酷い方針により2位にされ、
釜本が1位とされている。
世界は210ヶ国あり、
FIFA基準の国は、約205ヶ国である。
無視している国はごぐ僅かだ。

日本は世界の常識を無視し、勝手な事をしている。

ウィキペディアではAthleta(Ath02)という名の極悪執筆者が、  「釜本80点」というデマを流し、工作活動をしている。しかし、 日本国民は知らない。彼に完全にだまされている。

レバークーゼン時代、チャ・ボングン。

1989年、チャ・ボングンは
「外国人の最多得点記録、98得点」を残し、
引退した。
この記録は2001年に
ブラジル代表のジオバネ・エウベルに抜かれた。
その後、同様に外国人6人がこの記録を抜いた。
チャ・ボングンが引退し、30年以上経ち、
現在、彼は「外国人歴代8位」(2018年現在)。
ブンデスリーガ53年の歴史で
チャ・ボングンは未だに
「外国人歴代8位」というのは見事だ。
現在の様に欧州移籍する年齢が早く、
アジア人も評価されてる時代だったならば、
彼は20才頃からドイツに居て、
あと80得点ぐらい多く得点できて
順位はもっと良かっただろう。

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