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【アルゼンチン評価】ペレ vs メッシ、マラドーナ。結果はペレの勝利。

地元アルゼンチンで、ご意見番の多くが「ペレを史上最高の選手」と述べ、「マラドーナ、メッシはその下だ」と評価しているのを紹介する。

更新日: 2020年06月13日

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rulliさん

【本編開始】

1940年生まれ。

【所属クラブ】
1956ー1974  サントスFC
1975ー1977  ニューヨーク・コスモス


サントスFC時代、638試合619得点(公式戦)


【ブラジル代表】
1958-1971  92試合77得点(歴代1位)

《この77得点は47年経っても未だに破られていない[2018年現在〕》。


【主なタイトル】
W杯3回優勝(1958、1962、1970)

クラブ世界一2回(1962、63)

ブラジル王者5連覇(1961ー65)【サントスFC】

サンパウロ州リーグ、得点王11回
(17才から9年連続得点王記録も作った)。

オフサイド・ルールは1990年に緩和されました。ペレの時代の方が 厳しかった。日本でペレの頃は「オフサイドがない」と言うドアホがよく居ますが、今より厳しくて点取るのは大変でした。

ペレは16才でリーグ戦デビューし、
1年目から得点王になった怪物だ
(その後、9年連続得点王)。

彼は、16才でブラジル代表デビューし、
アルゼンチン2連戦でゴールした
(アルゼンチンは南米王者で、
3カ月前ブラジルは0-3で大敗した。
2連戦初戦、ペレは後半途中出場で得点した。
試合は1対2で敗戦。
2戦目は先発で1ゴールし、2対1で勝利)。

半年後、ペレはW杯でチーム得点王(6点)、
ブラジルを初優勝させた。
準々決勝、準決勝、決勝で3試合連続ゴールした。

プロ2年目は、18才で、
シーズン最多得点記録66得点を作った。

彼はメッシ、マラドーナより遥かに才能があり、
大天才だ。

ペレと言うと、盛んに「1000ゴール以上得点した」
(親善試合を含めた数字)と、
その並外れた得点能力が話題になるが、
彼はW杯で「最多アシスト」記録を持っている、
彼はれっきとした「パサー」でもあるのだ。
本当に彼は「10番」なのだ。

「得点も、アシストも最上レベル」の天才。
それがペレである。

ペレが引退して、約50年になるが(2019年、現在)、
未だに「W杯アシスト記録」は、破られていない。

ペレはブラジル、アルゼンチン両国の全選手中、
南米ダービー(クラシコ)の得点数が歴代1位です。

引退して48年経ちますが、
未だに誰も追い抜けません。
これは、南米2大国で一番はペレと言って良い理由の一つでしょう。
この記録は大一番にやたら強い、
彼の特徴が出ています。
ブラジル代表の得点数77得点(歴代1位)も
48年経ってもまだ破られていません。

ペレはハットトリック回数は92回で
サッカー史上歴代1位。
メッシはまだ45回ぐらいで半分しかしていません。

16才でデビューし、
プロ1年目から得点王になるなんて、
本当にペレは「天才」ですね。
日本人はTBSの『消えた天才』とかいうバカ番組を
見て生きているので、本当の天才を知らない。
だから頭のとてもおかしい民族だと思います。
本当の天才は、プロ1年目で得点王で、
プロ2年目、17才で
(日本だと高校3年、初夏)、
W杯を主役で優勝してます。

ペレは、メッシというW杯優勝できない凡才とは、
違いますね。
その後、ペレはプロ・デビュー1年目から
「9年連続、得点王」の記録を作りました。
やっぱり、メッシとは格が大きく違いますね。

写真、左端が ペレ。シュートを撃った。

リオ・デ・ジャネイロのマラカナン・スタジアムで
行われた「コパ・ロカ」という、
両国の「定期戦の大会」に、ペレは出場した。
(観客は8万人)。

後半から出場し、
後半31分、同点ゴールを決めた。
しかし、その1分後、アルゼンチンが追加点を決め
試合は、1-2で敗れた。

写真は、1958年にペレが
「18才で、ブラジル史上シーズン最多得点記録、66得点」を作り、
サントスFCで優勝した時の記念写真。

この年は半年前、W杯で主役で優勝していた。
まさに怪物だ。
ペレはプロ2年目、
「18才にして既にブラジル史上最高の選手」
になっていた
(2年目のシーズンが始まった時は17才だった。18才になった2カ月後にシーズンが終了した)。

日本のマスコミはマラドーナ・ファンが
雑誌を作ったりテレビ番組を制作している為、
南米や世界で語られている「ペレが上」という
真実を紹介しない。
それに読者のバカ日本人がだまされ、
洗脳されているという事だ。
日本人はそれを知れ。

左の写真は、バルセロナ時代のエバリスト。

彼はバルセロナ5年の在籍で
リーグ戦で、78ゴール(114試合)を挙げた。
現在でもヒバウドの86ゴール(157試合)に次ぎ、
バルセロナ歴代ブラジル人助っ人では2位の得点数だ。

バルセロナにはブラジル代表のエース級の名選手が数多く在籍したが(ホマーリオ、ホナウド・ナザリオ、
ヒバウド、ホナウジーニョ、ネイマールなど)、
彼はそれに匹敵する名選手だ。

エバリストは当時、ブラジル人FWでトップの1人だった。
しかし、25才の時に16才のペレにブラジル代表の座を
奪われ、W杯出場を逃した。
それ程、ペレが怪物で大天才だったという事だ。

日本人よ。高校サッカーで
「天才」だの何だの騒ぐ、
バカな事はいい加減、止めろよ。
TBSは「消えた天才」とかいうバカな番組を
作るなよ。
天才は
「高校3年初夏で、W杯を主役で優勝する」
んだよ。

写真、右 ペレ。
   左 GK、キャレ・スベンソン(SWE)

決勝戦で、ペレは後半10分、45分に2得点し
ブラジルは、5-2で地元スウェーデンを下し、
悲願の初優勝を成し遂げた。

ペレは、W杯1958では「チームのエース」で
チーム最多の6得点(4試合)を挙げた。

準々決勝、ウェールズ戦では1-0勝利の決勝点を挙げた。
準決勝、フランス戦では「ハットトリック」した。

ペレは大会前、怪我をし、調整が遅れ、
GLの第1戦、第2戦は欠場した。
しかし、GL第3戦から先発すると、
決勝トーナメントでは、「3試合連続ゴール」の
大活躍をした。
怪我がなければ、もっと活躍をしただろう。

写真は、ACミラン時代、アルタフィニ。

W杯1958年のブラジル代表で
ペレに次ぎ、2番目に若かった
19才、ジョゼ・アルタフィニは大会直後、
イタリアのACミランに移籍した。
当時、セリエAで歴代3位、216得点を決めた
(現在は歴代4位 [2018年時点])。
彼は、ACミランのエースで
欧州チャンピオンズ・カップ、セリエAで
得点王になった。優勝もした。
ペレより下手な2才上の選手が、
欧州でこれだけ大活躍できたのだから、
ペレは欧州で容易に活躍できると考えるのは
普通だろう。

ペレは「ブラジルの宝」だった為、
当時ブラジル政府は海外移籍に反対し、
サントスFCも手放す事を拒否した。

「天才マラドーナ」とよく言われるが
天才という言葉はペレの方がふさわしい。
「サッカーの大天才」がペレである。

ペレは、マラドーナより
遙かに得点能力が高い10番である。
そしてペレは、マラドーナより
遙かに多くのタイトルを獲得した。

ペレは
「正直言って、
私の方がマラドーナより上だと思う」
とマスコミ、ファンが持ち出す話題
(アルゼンチンと西欧一部の国がやる)
について回答している。

ペレにしてみれば
「はっきり言ってしまえば
両者は比較する段階ではない。
答えは最初から分かり切っている事だ」
というのが本当の気持ちだろう。

ガティ「史上最高はペレだ。マラドーナではない。メッシは俺たちの時代ならベンチ要員だ」と述べている。             ガティは1981年にマラドーナと共にアルゼンチン・リーグ優勝をした名GK。

ガティ「俺の時代ならばメッシは昔の一流選手の控えだ。昔の選手の方が賢く、強い人格だ。今はオカマのサッカーだ。昔の方がプレイするのが難しかった」と述べている。1960年代はイエローとレッド・カードがなく、南米ではFWの脚を蹴って止めても今より退場にならず、DFは容易に蹴った。FWは常に怪我を抱えてるのが普通。
またガティは「ペレが今の時代ならば3000ゴール決められる」と他で述べている。
FWがカードで守られ、オフサイド・ルールが緩いからです。
ペレ自身も「私は現在のルールならば残した記録の2倍のゴールを決める自信がある。
つまり、2000得点以上決める自信がある」と述べている。

メノッティ「史上最高はペレだ」と述べている。         メノッティはW杯1978年優勝監督だ。そして「1979年U-20W杯 W杯1982年、バルセロナ」の3チームでマラドーナの監督だった。

アルゼンチン代表監督だったセサール・メノッティ。彼はW杯1978年大会でアルゼンチン代表を
優勝に導いた(マラドーナはW杯直前合宿まで代表チームに居たが、メノッティに最終選考で落とされた)。
この後、U-20W杯1979年でもアルゼンチン代表の監督を務め、世界一に輝いた。このチームにはディエゴ・マラドーナが居た。この後、W杯1982年でも監督を務め、このチームにもマラドーナが居た。この後、バルセロナで監督を務めた。このチームにもマラドーナが居た。彼はマラドーナのプレイを間近で長く見た監督だが、ペレの方が上としている。

バシーレ「史上最高はペレ。マラドーナは2番目、メッシは4番目だ」と述べている。バシーレはW杯1994年でマラドーナ、コパ・アメリカ2007年からW杯2010年予選まで、メッシの監督だった。

アルフィオ・バシーレはアルゼンチン代表監督としてマラドーナとリオネル・メッシの2人をチームで指導した経験がある。
しかし、この2人よりペレが上と評価している。
彼は現役時代、クラブ・チームでも、代表チームでもペレと対戦した経験がある。
彼自身が、現役時代、ペレの凄さを文字通り「体感した選手」で、そして、監督として
マラドーナ、メッシの凄さを間近で見て「体感した監督」だが、ペレが一番優れていると評価した。

ビアンキ「ペレはマラドーナより優れている」と述べている。ビアンキは1986-87シーズン、ナポリ初優勝の時の監督だ。全盛時のマラドーナの力で優勝したがペレが上と評価した。

オッタビオ・ビアンキはディエゴ・マラドーナの全盛期を目の当たりにした監督だ。
彼はマラドーナの力でセリエAで優勝できた。
しかし、ペレが上としている。

マルソリーニ「史上最高はペレだ。マラドーナとメッシより優秀だ」と述べている。彼はボカ監督で「1981年アルゼンチン・リーグ」で マラドーナの活躍により優勝したが、ペレが一番と述べた。

シルビオ・マルソリーニはボカの監督で1981年に優勝した。
このチームにはエースに、マラドーナが居た。
しかし、彼も「ペレはマラドーナとメッシより上だ」とコメントしている。
彼は現役時代、クラブ・チームと代表チームでペレと対戦した経験がある。
彼はバシーレ同様、ペレ、マラドーナの凄さを両方、体感した人物だ。
しかし、「ペレが遥かに上だ」と評価した。

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