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【アルゼンチン評価】ペレ vs メッシ、マラドーナ。結果はペレの勝利。

地元アルゼンチンで、ご意見番の多くがペレを史上最高の選手と述べ、マラドーナ、メッシはその下だと評価しているのを紹介する。

更新日: 2019年06月26日

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rulliさん

【本編開始】

1940年生まれ。

【所属クラブ】
1956ー1974  サントスFC
1975ー1977  ニューヨーク・コスモス


サントスFC時代、638試合619得点(公式戦)


【ブラジル代表】
1958-1971  92試合77得点(歴代1位)

《この77得点は47年経っても未だに破られていない[2018年現在〕》。


【主なタイトル】
W杯3回優勝(1958、1962、1970)

クラブ世界一2回(1962、63)

ブラジル王者5連覇(1961ー65)【サントスFC】

サンパウロ州リーグ、得点王11回
(17才から9年連続得点王記録も作った)。

オフサイド・ルールは1990年に緩和されました。ペレの時代の方が 厳しかった。日本でペレの頃は「オフサイドがない」と言うドアホがよく居ますが、今より厳しくて点取るのは大変でした。

ペレは16才でプロ・リーグ初参戦して1年目から得点王になった(その後9年連続得点王)。  16才でブラジル代表デビューし、アルゼンチン
2連戦で2試合連続ゴールした怪物(アルゼンチンは南米王者で、3カ月前ブラジルは0-3で大敗した。この2連戦初戦、ペレは途中出場で得点した。
試合は1対2で敗戦。2戦目は先発で1ゴールして2対1で勝利)。
半年後、ペレはW杯でエースとなりチーム得点王(6点)、ブラジルを初優勝させた。準々決勝、 準決勝、決勝で3試合連続ゴールした。
そしてプロ2年目、18才でシーズン最多得点記録66得点を作った。
彼はメッシ、マラドーナより遥かに才能があり、
大天才だ。

ペレと言うと、盛んに「1000ゴール以上得点した」
(親善試合を含めた数字)と、
その並外れた得点能力が話題になるが、
彼はW杯で「最多アシスト」記録を持っている、
彼はれっきとした「パサー」でもあるのだ。
本当に彼は「10番」なのだ。

「得点も、アシストも最上レベル」の天才。
それがペレである。

ペレが引退して、約50年になるが(2019年、現在)、
未だに「W杯アシスト記録」は、破られていない。

ペレはブラジル、アルゼンチン両国の今までの全選手の中で、南米ダービー(クラシコ)の得点数が
歴代1位です。
引退して47年経ちますが、未だに1位で誰も追い抜けていません。これは、この2つのサッカー大国でナンバー1の選手はペレと言って良い理由の一つでしょう。この記録は大一番にやたらと強いペレの特徴が出ています。
ブラジル代表の得点数77得点(歴代1位)も47年経っても破られていません。

ペレはハットトリック回数は92回で、
サッカー史上歴代1位。メッシはまだ45回ぐらいで半分しかしていません。
大体、いつもメッシはペレの半分ぐらいの成績です。
ペレの方が倍凄いです。

プロ1年目、16才でデビューし、
1年目から得点王になるなんて、
本当にペレは「天才」ですね。
日本人はTBSの『消えた天才』とかいうバカ番組を
見て生きているので、本当の天才を知らない。
だから頭のとてもおかしい民族だと思います。
本当の天才は、プロ1年目で得点王で、
プロ2年目、17才(日本だと高校3年生)、
でW杯を主役で優勝してます。

ペレは、メッシというW杯優勝できない凡才とは、
違いますね。
その後、ペレはプロ・デビュー1年目から
「9年連続、得点王」の記録を作りました。
やっぱり、メッシとは格が大きく違いますね。

写真、左端が ペレ。シュートを撃った。

リオ・デ・ジャネイロのマラカナン・スタジアムで
行われた「コパ・ロカ」という、
両国の「定期戦の大会」に、ペレは出場した。
(観客は8万人)。

後半から出場し、後半31分、同点ゴールを決めた。
しかし、その1分後、アルゼンチンが追加点を決め
試合は、1-2で敗れた。

写真は、1958年にペレが
「18才で、ブラジル史上シーズン最多得点記録、66得点」を作り、
サントスFCで優勝した時の記念写真。

この年は半年前、W杯で主役で優勝していた。
まさに怪物だ。
ペレはプロ2年目、18才にして既にブラジル史上最高の選手になっていたのだ(2年目のシーズンが始まった時は17才だった。18才になった2カ月後にシーズンが終了した)。
日本のマスコミはマラドーナ・ファンが
雑誌を作ったりテレビ番組を制作している為、
南米や世界で語られている「ペレが上」という真実を紹介しない。
それに読者のバカ日本人がだまされて洗脳されているという事だ。それを日本人は知れ。

左の写真は、バルセロナ時代のエバリスト。

彼は5年の在籍で、リーグ戦で、78ゴール(114試合)を挙げた。現在でもリバウドの86ゴール(157試合)に次ぎ、バルセロナ歴代ブラジル人助っ人では2位の得点数だ。
バルセロナにはブラジル代表のエース級の名選手が数多く在籍したが(ロマーリオ、ロナウド・ナザリオ、
リバウド、ロナウジーニョ、ネイマールなど)、
彼はそれに匹敵する名選手だ。

エバリストは当時、ブラジル人FWでトップの1人だったが、25才の時に16才のペレにブラジル代表レギュラーの座を奪われて、代表落ちした。そしてW杯出場を逃した。
それぐらいペレが怪物で大天才だったという事だ。

日本人よ。高校サッカーで、
「天才」だの何だの騒ぐ、バカな事はいい加減、
止めろよ。
TBSは「消えた天才」とかいうバカな番組を
作るなよ。
天才は、「高校3年で、W杯を主役で優勝する」
んだよ。

写真、右 ペレ。
   左 GK、キャレ・スベンソン(SWE)

決勝戦で、ペレは後半10分、45分に2得点し
ブラジルは、5-2で地元スウェーデンを下し、
悲願の初優勝を成し遂げた。

ペレは、W杯1958では「チームのエース」で
チーム最多の6得点(4試合)を挙げた。

準々決勝、ウェールズ戦では1-0勝利の決勝点を挙げた。
準決勝、フランス戦では「ハットトリック」した。

ペレは大会前、怪我をし、調整が遅れ、
GLの第1戦、第2戦は欠場した。
しかし、GL第3戦から先発すると、
決勝トーナメントでは、「3試合連続ゴール」の
大活躍をした。
怪我がなければ、もっと活躍をしただろう。

写真は、ACミラン時代、アルタフィニ。
W杯1958年のブラジル代表でペレに次ぎ、
2番目に若かった
19才、ジョゼ・アルタフィニは大会直後、
イタリアのACミランに移籍した。
当時、セリエAで歴代3位、216得点を決めた
(現在は歴代4位 [2018年時点])。
彼はACミラン・エースで、欧州チャンピオンズ・カップ、セリエAで得点王になった。優勝もした。
ペレより下手な2才上の選手が、欧州でこれだけ 大活躍できたのだから、ペレは欧州で容易に活躍できると考えるのは普通だろう。

ペレは「ブラジルの宝」だった為、
当時ブラジル政府はペレの海外移籍に反対し、
サントスFCも手放す事を拒否した。

「天才マラドーナ」とよく言われるが、天才という言葉はペレの方がふさわしい。
「サッカーの大天才」がペレである。

ペレはマラドーナより遙かに得点能力が高い10番である。
そしてペレはマラドーナより遙かに多くのタイトルを獲得した。

ペレは「正直言って、私の方がマラドーナより上だと思う」
とマスコミ、ファンが持ち出す
(アルゼンチンと西欧一部の国がやる話題)に
ついて回答している。

ペレにしてみれば、
「はっきり言ってしまえば両者は比較する段階ではない、答えは最初から分かり切っている事だ」
というのが本当の気持ちだろう。

ガティ「史上最高はペレだ。マラドーナではない。メッシは俺たちの時代ならベンチ要員だ」と述べている。             ガティは1981年にマラドーナと共にアルゼンチン・リーグ優勝をした名GK。

ガティ「俺の時代ならばメッシは昔の一流選手の控えだ。昔の選手の方が賢く、強い人格だ。今はオカマのサッカーだ。昔の方がプレイするのが難しかった」と述べている。1960年代はイエローとレッド・カードがなく、南米では酷いファウルは当然で、FWの脚を蹴って止めても退場にならず、DFは容易に蹴った。FWは常に怪我を抱えてるのが普通。
またガティは「ペレが今の時代ならば3000ゴール決められる」と他で述べている。
FWがカードで守られ、オフサイド・ルールが緩いからです。
ペレ自身も「私は現在のルールならば残した記録の2倍のゴールを決める自信がある。
つまり、2000得点以上決める自信がある」と述べている。

メノッティ「史上最高はペレだ」と述べている。         メノッティはW杯1978年優勝監督だ。そして「1979年U-20W杯 W杯1982年、バルセロナ」の3チームでマラドーナの監督だった。

アルゼンチン代表監督だったセサール・メノッティ。彼はW杯1978年大会でアルゼンチン代表を
優勝に導いた(マラドーナはW杯直前合宿まで代表チームに居たが、メノッティに最終選考で落とされた)。
この後、U-20W杯1979年でもアルゼンチン代表の監督を務め、世界一に輝いた。このチームにはディエゴ・マラドーナが居た。この後、W杯1982年でも監督を務め、このチームにもマラドーナが居た。この後、バルセロナで監督を務めた。このチームにもマラドーナが居た。彼はマラドーナのプレイを間近で長く見た監督だが、ペレの方が上としている。

バシーレ「史上最高はペレ。マラドーナは2番目、メッシは4番目だ」と述べている。バシーレはW杯1994年でマラドーナ、コパ・アメリカ2007年からW杯2010年予選まで、メッシの監督だった。

アルフィオ・バシーレはアルゼンチン代表監督としてマラドーナとリオネル・メッシの2人をチームで指導した経験がある。
しかし、この2人よりペレが上と評価している。
彼は現役時代、クラブ・チームでも、代表チームでもペレと対戦した経験がある。
彼自身が、現役時代、ペレの凄さを文字通り「体感した選手」で、そして、監督として
マラドーナ、メッシの凄さを間近で見て「体感した監督」だが、ペレが一番優れていると評価した。

ビアンキ「ペレはマラドーナより優れている」と述べている。          ビアンキは1986-87シーズン、ナポリ初優勝の時の監督だ。    全盛時のマラドーナの力で優勝したがペレが上と評価した。

オッタビオ・ビアンキはディエゴ・マラドーナの全盛期を目の当たりにした監督だ。
彼はマラドーナの力でセリエAで優勝できた。
マラドーナによるナポリのリーグ初優勝と黄金時代を目撃した監督だ。
しかし、ペレが上としている。

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