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【アルゼンチン評価】ペレ vs メッシ、マラドーナ。結果はペレの勝利。

地元アルゼンチンで、ご意見番の多くがペレを史上最高の選手と述べ、マラドーナ、メッシはその下だと評価しているのを紹介する。

更新日: 2019年01月07日

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rulliさん

【本編開始】

ペレ 1940年生まれ。

【所属チーム】
1956ー1974年 サントスFC
1975ー1977年 ニューヨーク・コスモス


サントスFC時代、638試合619得点(公式戦)

ブラジル代表、92試合77得点(歴代1位)
《この77得点は47年経っても未だに破られていない[2018年現在〕》。

【主なタイトル】
W杯3回優勝(1958、1962、1970)

クラブ世界一2回(1962、1963)

サントスFCでブラジル王者5連覇(1961-1965)

サンパウロ州リーグ、得点王11回
(17才から9年連続得点王記録も作った)。

オフサイド・ルールは1990年に緩和されました。ペレの時代の方が オフサイド・ルールは厳しかった。日本でペレの頃は「オフサイドがない」と言うドアホが居ますが、今より厳しくて点取るのは大変でした。

ペレは16才でプロ・リーグ初参戦して1年目から得点王だからね(その後9年連続得点王)。  16才でブラジル代表デビューしてアルゼンチン
2連戦で2試合連続ゴールした怪物(アルゼンチンは南米王者で、3カ月前ブラジルは0-3で大敗した。この2連戦初戦、ペレは途中出場で得点した。
試合は1対2で敗戦。2戦目は先発で1ゴールして2対1で勝利)。
半年後、ペレはW杯でエースとなりチーム得点王(6点)、ブラジルを初優勝させた。準々決勝、 準決勝、決勝で3試合連続ゴールした。
そしてプロ2年目、18才でシーズン最多得点記録66得点を作った。
彼はメッシ、マラドーナより遥かに才能があり、
大天才だ。

写真は、1958年にペレが「18才でブラジル史上シーズン最多得点記録、66得点」を作りサントスFCで優勝した時の記念写真。
この年は半年前にW杯でも主役で優勝していた。
まさに怪物だ。
ペレはプロ2年目、18才にして既にブラジル史上最高の選手になっていたのだ(2年目のシーズンが始まった時は17才だった。18才になった2カ月後にシーズンが終了した)。
日本のマスコミはマラドーナ・ファンが雑誌を作ったりテレビ番組を制作しているので、南米や世界で語られている「ペレが上」という真実を紹介しない。
それに読者のバカ日本人がだまされて洗脳されているという事だ。それを日本人は知れ。

左の写真は、バルセロナ時代のエバリスト。
彼は僅か5年の在籍で、173ゴール(219試合)を挙げた。
バルセロナにはブラジル代表のエース級の名選手が数多く在籍した(ロマーリオ、ロナウド・ナザリオ、リバウド、ロナウジーニョ、ネイマールなど)未だにブラジル人FW、エバリストの得点記録を抜けない。
エバリストが1964年にバルセロナを退団して、54年経っても(2018年現在)、後輩のブラジル人選手は誰も抜けない。
彼はそれぐらいの名選手だが、25才の時に、16才のペレにブラジル代表のレギュラーの座を奪われて代表落ちした。そしてW杯出場を逃した。
それぐらいペレが怪物で大天才だったという事だ。

ペレはブラジル、アルゼンチン両国の今までの全選手の中で、南米ダービー(クラシコ)の得点数が
歴代1位です。
引退して47年経ちますが、未だに1位で誰も追い抜けていません。これは、この2つのサッカー大国でナンバー1の選手はペレと言って良い理由の一つでしょう。この記録は大一番にやたらと強いペレの特徴が出ています。
ブラジル代表の得点数77得点(歴代1位)も47年経っても破られていません。

ペレはハットトリック回数は92回で、
サッカー史上歴代1位。メッシはまだ45回ぐらいで半分しかしていません。
大体、いつもメッシはペレの半分ぐらいの成績です。
ペレの方が倍凄いです。

写真は、ACミラン時代、アルタフィニ。
W杯1958年のブラジル代表で2番目に若かった
19才、ジョゼ・アルタフィニは大会直後、
イタリアのACミランに移籍した。
当時、セリエAで歴代3位、216得点を決めた
(現在は歴代4位 [2018年時点])。
彼はACミラン・エースで、欧州チャンピオンズ・カップ、セリエAで得点王になった。
欧州CC優勝もした。
ペレより下手な2才上の選手が、欧州でこれだけ 大活躍できたのだから、ペレが欧州移籍したら容易に活躍したと考えるのが普通だろう。

ペレは「ブラジルの宝」だったので、
当時ブラジル政府はペレの海外移籍に反対し、
サントスFCも手放す事を拒否した。

ガティ「史上最高はペレだ。マラドーナではない。メッシは俺たちの時代ならベンチ要員だ」と述べている。             ガティは1981年にマラドーナと共にアルゼンチン・リーグ優勝をした名GK。

ガティ「俺の時代ならばメッシは昔の一流選手の控えだ。昔の選手の方が賢く、強い人格だ。今はオカマのサッカーだ。昔の方がプレイするのが難しかった」と述べている。1960年代はイエローとレッド・カードがなく、南米では酷いファウルは当然で、FWの脚を蹴って止めても退場にならず、DFは容易に蹴った。FWは常に怪我を抱えてるのが普通。
またガティは「ペレが今の時代ならば3000ゴール決められる」と他で述べている。
FWがカードで守られ、オフサイド・ルールが緩いからです。
ペレ自身も「私は現在のルールならば残した記録の2倍のゴールを決める自信がある。
つまり、2000得点以上決める自信がある」と述べている。

メノッティ「史上最高はペレだ」と述べている。         メノッティはW杯1978年優勝監督だ。そして1979年U-20W杯、 W杯1982年、バルセロナの3チームでマラドーナの監督だった。

アルゼンチン代表監督だったセサール・メノッティ。彼はW杯1978年大会でアルゼンチン代表を
優勝に導いた(マラドーナはW杯直前合宿まで代表チームに居たが、メノッティに最終選考で落とされた)。
この後、U-20W杯1979年でもアルゼンチン代表の監督を務め、世界一に輝いた。このチームにはディエゴ・マラドーナが居た。この後、W杯1982年でも監督を務め、このチームにもマラドーナが居た。この後、バルセロナで監督を務めた。このチームにもマラドーナが居た。彼はマラドーナのプレイを間近で長く見た監督だが、ペレの方が上としている。

バシーレ「史上最高はペレ。マラドーナは2番目、メッシは4番目だ」と述べている。バシーレはW杯1994年でマラドーナ、コパ・アメリカ2007年からW杯2010年予選まで、メッシの監督だった。

アルフィオ・バシーレはアルゼンチン代表監督としてマラドーナとリオネル・メッシの2人をチームで指導した経験がある。
しかし、この2人よりペレが上と評価している。
彼は現役時代、クラブ・チームでも、代表チームでもペレと対戦した経験がある。
彼自身が、現役時代、ペレの凄さを文字通り「体感した選手」で、そして、監督として
マラドーナ、メッシの凄さを間近で見て「体感した監督」だが、ペレが一番優れていると評価した。

ビアンキ「ペレはマラドーナより優れている」と述べている。          ビアンキは1986-87シーズン、ナポリ初優勝の時の監督だ。全盛時の マラドーナの力で優勝したがペレが上と評価している。

オッタビオ・ビアンキはディエゴ・マラドーナの全盛期を目の当たりにした監督だ。
彼はマラドーナの力でセリエAで優勝できた。
マラドーナによるナポリのリーグ初優勝と黄金時代を目撃した監督だ。
しかし、ペレが上としている。

マルソリーニ「史上最高はペレだ。マラドーナとメッシより優秀だ」と述べている。マルソリーニはボカ監督で1981年アルゼンチン・ リーグでマラドーナの活躍により優勝したが、ペレが一番と述べた。

シルビオ・マルソリーニはボカの監督で1981年に優勝した。
このチームにはエースに、マラドーナが居た。
しかし、彼も「ペレはマラドーナとメッシより上だ」とコメントしている。
彼は現役時代、クラブ・チームと代表チームでペレと対戦した経験がある。
彼はバシーレ同様、ペレ、マラドーナの凄さを体感した人物だ。
しかし、「ペレが遥かに上だ」と評価した。

元アルゼンチン代表MF、ミゲル・ブリンディッシは「ペレが史上最高の選手だ」と言っている。彼は1981年にボカでマラドーナと一緒に 国内リーグ優勝したが、ペレが上だと評価している。

ブリンディッシはマラドーナと共にボカで優勝した。しかし、ペレが上としている。
マラドーナの凄さを間近で見ても、それでも「ペレが上」と語っている。
それぐらいペレが凄いという事だ。日本人はそれを知れ。
アルゼンチンでマラドーナと一緒に優勝したチームメイトですら「ペレがナンバー・ワンだ」と
認めざるを得ないという事だ。

写真はW杯2014年大会時のカルロス・ビラルド。
サベーラ監督を補佐して、代表コーチを務めた。
大会期間中、メッシのプレイを間近に見て、メッシを指導した。
現役時代、ペレと数多く対戦した経験もある名将 ビラルド(彼はW杯1986でマラドーナを直接指導して優勝した)は、W杯で点を取れないメッシの ド下手パフォーマンスに失望して、大会後に
「メッシは史上最高の選手ではない」と
アルゼンチン記者の取材で断言して、新聞に大きく載った。

4年後のW杯2018年でもメッシのパフォーマンスは酷かったですね。ペレの足元にも及びません。メッシは4年経っても成長できませんでした。

以上、母国アルゼンチンでもライバル国のペレさんより低評価されている国民的英雄のマラドーナさんとメッシさんの評価を映像証拠付きでお伝えしました。日本人は日本の馬鹿雑誌にだまされるのを止めて下さい。

W杯に3回優勝したペレ。ペレはW杯でも大事な 試合で得点して、チームを優勝させた。なぜメッシとマラドーナが彼より上なのか? 
日本人は最も偉大な選手の凄さを理解できず、
W杯決勝トーナメントで一度も得点した事がない
レベルの選手(メッシ)をペレよりうまいと言っている。理解不能である。

ペレは現役時代の垂直飛び(ジャンプ力)が104センチで、現在のNBAバスケット・ボールの一流選手と同じレベルである。スピードも映像解析から
元フランス代表のティエリ・アンリより速いことが確認されている。
ペレは身体能力において現在のトップ選手より優れていた。

写真はW杯1966年大会で、酷いファウルを受けて負傷したペレ。
この時代、イエローカードとレッド・カードが
なかったので、ペレは危険なタックルの餌食となった。
「マラドーナの時代が厳しい」と言う日本人は多いが、それ以上に厳しい時代だった。
酷いファウルに遭った事で、この大会で優勝できなかったペレは怒り25才でブラジル代表引退を発表した。焦ったFIFAはイエロー、レッド・カードのルールを作った。
それでペレは2年後、ブラジル代表に復帰した。サッカーのカード誕生理由はペレだった。
そしてペレは29才でW杯1970年大会に参加して   見事、優勝した。3度目の優勝だった。
メッシとは大違いである。

日本にはペレは欧州で通用しないという日本の雑誌を読んで話すアホがたくさんいます。ペレが欧州相手に通用している証拠VTRです。「ペレはブラジル国内だけ」と言うアホはこれを見たら一発でだまります。

ご覧のようにペレがミラン、ユベントス、インテルなどと試合して得点しているシーンが収録されています。
ペレは現役時代にイタリアのクラブ(一番守備の強い国)と対戦して38試合41ゴールしています。これはミラン、インテル、ローマなど強豪クラブとばかり試合してこの成績です。日本人はペレが欧州のクラブとろくに試合をしていないと思っているアホだらけです。他の欧州国チームとも何十試合も対戦しました。

ペレが現役時代、出場した試合の90%以上は映像に残っていません。足が速くてエネルギッシュだった20才前後の若い頃の映像ほど残っていません。それが残っていたらペレの凄さは後世の人間にもっと伝わったでしょう。

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