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意外と知らない? 釜本が作った    「サッカー日本代表史上最多連敗」をしたチームについて知ろう!!

日本人が知らない、日本代表史上最多連敗記録を作った弱いチームを紹介します。

更新日: 2019年05月05日

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この記事は私がまとめました

rulliさん

【本編開始】

日本代表史上最多連敗を作ったチーム、それは             「1968年のメキシコ五輪で銅メダルを獲得したチーム」です。

写真は、1968年メキシコ・オリンピックで戦う日本代表チームである。
(白いユニフォームが日本代表チーム)。

このチームが日本代表史上最多連敗を作った。
それぐらいとんでもなく弱かったチームです。

なんとこの日本代表史上最多連敗記録はメキシコ五輪の直前に作られました。 メキシコ五輪が10月開催でしたが、その2カ月前に達成されました(これは日本のマスコミでは絶対に報道されません。恥だからです)。

写真はメキシコ五輪の日本代表チームです。
銅メダルを取ったが、この直前(2ケ月前)に  11連敗していて日本史上最多連敗記録を作った。

しかし、銅メダルを凄いと思って、50年以上、 その真の実力も知らないし、当時のオリンピックの大会レベルも全く知らないで過ごしているのが、 日本人のアホさです。
それで得点記録偽造にもだまされている。
本当に日本のサッカー・ファンはドアホです。

日本代表史上最多連敗記録の11連敗はなんと50年経ってもまだ破られていないんです。これは永遠不滅の記録でしょう。

写真は、メキシコ五輪でシュートを撃つ、釜本。

昔のオリンピックは
「20才前後で下手でプロ契約できない若手が出場する大会」
でした。
つまり「10代のユース在籍選手と、20才過ぎてもまだ下部組織に居る選手」
が出る大会でした。
10代でもプロ契約したらもう不可です。
当時優秀な選手は10代でプロ契約をすぐしてました(ペレなど)。
だからこの大会は残り者、あぶれ者が出た大会です。それを日本人は知るべきです。マスコミは国民に説明してません。

釜本は得点王になった時は24才です。
5才ぐらい年下の10代と試合していたんです。
大人と試合したら11連敗していた訳です。
日本人はそれを知らない。

写真は、デンマーク代表FW、ハラルド・ニールセン。

この当時は、北欧と東欧(デンマーク、ハンガリーなど)は
まだプロ・リーグがなかったので、10代のとても優秀な選手が西欧と違って、アマチュアでオリンピックに参加していた。だから彼らが得点王になった
(西欧では10代で優秀だとすぐプロになるので大会不参加)。

ニールセンは18才で、1960年のローマ・オリンピックで得点王になった。
6得点を挙げて得点王になった。

ちなみにニールセンはこのローマ五輪得点王後、デンマークを飛び出し、プロ選手となり21才と22才の時に
セリエAで2年連続得点王になった。
当時の早熟の天才。世界的スターだった。

写真は、1964年東京オリンピックで得点王になった
ハンガリー代表のフィレンツェ・ベネ。
この時の年齢が19才だった。

彼は5試合で12得点挙げて、大会新記録で得点王になった。
ちなみにこの最多得点記録は未だに破られていない
(2018年現在)。

ちなみに彼は1964年東京オリンピックに参加する2ケ月前に、ユーロ1964年大会に参加して、19才で得点王になった。これはユーロ史上最年少得点王で、未だに破られていない。
彼も早熟の天才。世界的スターだった。

写真は、W杯1966年に参加した時のベネ。
この時の年齢が21才。

この大会で4試合に出場し、4戦連続ゴールの
大活躍をした。
この年は、世界ベスト・イレブンにも選ばれた。

ベネは次の1968年のメキシコ・オリンピックにはもう参加しなかった。
なぜなら、当時のオリンピックは若手の大会で、
23才のベネが出る大会ではなかったからだ。
昔は今以上に、もっと若い選手の為の大会だった。
ベネが次のメキシコ・オリンピックに出場していたら、釜本の得点王などなかった。

写真は、ハンガリー代表FW
アルベルト・フローリアン。

彼は1967年に欧州最優秀選手(バロンドール)に選ばれた。メキシコ五輪前年、欧州1位になった
世界的スターだ。
しかし、釜本が参加した1968年メキシコ五輪には参加しなかった。

当たり前である。当時の五輪は若手の大会だったので、アマチュアでもアルベルトのような超一流選手は大会参加しなかったのだ。
彼は欧州チャンピオンズ・カップに参加した。
だから東欧は全く全力ではなかった。
彼が参加していたら釜本の得点王などあり得ない。
ちなみに五輪準決勝で日本はハンガリーに0-5で敗れた。アルベルトが参加していたら0-10ぐらいで負けていただろう。

写真は、ポーランド代表、エースのデイナ。

10月開催なら参加しなかった24才のデイナは1972年8月のミュンヘン五輪に参加して9ゴール得点王で、ポーランドは優勝した。
4年後のミュンヘン大会は、8月27日~9月10日開催でこの時期は、シーズン開始直後でまだ都合がつくので、東欧のアマチュア国の主力が参加した。

つまり、釜本はたまたまメキシコ五輪が10月開催だったので、西欧、東欧、南米の名手が一切参加しない幸運な大会になり、目立てたのだ。

1976年モントリオール五輪も10月でなく、7月
開催だったので東欧の主力が参加し、ポーランドの
アンジェイ・シャルマッフ(26才)が得点王になった。

日本サッカー協会は釜本の得点をFIFA基準より
22点も増加させて、75得点にして、
それを公式記録としました。

こんな酷い事を日本のサッカー・ファンの多くは アホなので知らないのです。
本当にバカですね。
三浦知良はFIFA基準では55得点で日本1位で、釜本は2位(53得点)なのですが、日本サッカー協会幹部の銅メダル・メンバーは偽基準を勝手に作って三浦を2位にしました。
そして釜本を1位にしました。

本当は弱かった銅メダルチーム。オリンピック2カ月前に欧州遠征して日本史上最多11連敗を樹立した。この記録は50年経った今でも破られてない。釜本達は世界では子供相手にしか勝てなかったという証拠。

日本代表11連敗。日本で3連敗した後にオリンピック直前にヨーロッパ遠征して8連敗した。
日本は『最後に1番弱い地域アマ選抜を対戦相手に選び』、その試合だけ勝利。そして帰国した。
日本代表は本当に弱く低レベルなチームであった。せっかくヨーロッパに行ったのだから強化目的通り最後もまともな対戦相手(プロ・チーム)を選ぶべきだが、そうしていたら恐らく12連敗をして
連敗記録を更新して全敗帰国していた事だろう。

  1968年                   [開催地]
● 5.23 アーセナル 1-3          日本  
● 5.26 アーセナル 0-1          日本     
● 5.29 アーセナル 0-4          日本     

● 7.18 ロシア共和国選抜 0-2       ロシア    
● 7.21 ゼニト 0-6            ロシア    
● 7.24 チェルノモレッツ 1-2       ソ連     
● 7.27 モルドバ 2-3           ソ連     
● 8.01 チェコスロバキア五輪代表 1-3    チェコスロバキア
● 8.03 リアス・ヤプロネッツ 1-3       チェコスロバキア 
● 8.07 ゴーアヘッド 2-5             オランダ     
● 8.13 ボルシア・メンヘングラッドバッハ 1-4   ドイツ 
○ 8.15 レウリング・バウゼン・アマ選抜  6-0   ドイツ

  10.4 オリンピック、初戦。

オリンピック直前に日本は史上最多11連敗を樹立し、この11連敗は50年経った今でも破られていない。そして、オリンピックで『プロ契約を勝ち取れない2流のユース選手達と試合して』やっと勝利を重ねる事ができた。日本の銅メダルとはこの様なレベルの低い対戦相手だったから獲れたもので、このオリンピック自体がひどく低レベルな大会であるが日本人の多くはそれを知らない。この大会の試合をFIFAは国際Aマッチとしていないが、日本は幾つかの試合を勝手に国際Aマッチと変えて記録集計している。FIFAが「年齢が20歳前後の下部組織在籍選手ばかり参加」、「超低レベル」という事から極めて明快な常識的見解により『国際Aマッチ大会に指定していない』のだが、日本という国は頭がおかしい様で勝手に国際Aマッチにしている。釜本は日本サッカー協会の顧問の立場を利用し、自分の記録を増やすためJFA幹部と仲の良い評論家と協力し『作る必要のない日本独自の基準』を勝手に作り、FIFA基準を否定し自分の得点記録を22得点、勝手に増量している。

欧州遠征が1勝8敗(1勝は地域アマ相手)。前年の南米遠征が1分5敗。世界の強豪地への遠征は通算1勝1分13敗。オリンピックの銅メダルチームはプロにゼロ勝の超低レベルの力量で、オリンピックがいかに低レベル大会かご理解できたと思う。

ちなみに釜本は対中東国戦(国際Aマッチ)は、5試合1得点。
対戦成績は1勝4敗だ
(イラン戦、2試合、イスラエル戦、3試合した。当時、イスラエルはアジア所属)。
中東相手では、1966年にイラン戦に3-1で1勝したのみだ(この試合、釜本は1得点した)。
その後、中東国と4回試合したが、得点できず、全敗した。
欧州国ではアイスランド(人口30万の小国)にしか勝った事が無い。
釜本のようなFW待望論が出るが負けの山を積み重ねて、勝利を呼び込む活躍をできなかった。
欧州国にもアイスランド以外、勝てなかった。
(イランをかなり格上と考えるなら、1966年のイラン戦の1勝は金星だが)。
釜本は”子供専門”のFWで、対戦相手が大人だと活躍できず敗戦の山を築き上げた。
南米遠征では酷く全6試合無得点で帰国した。本人は「欧州からオファーがあった」、
「肝炎にかかった」と言っているが、ピーク時でも南米でブラジル2部チーム相手に無得点で活躍できず、日本代表では11連敗の最悪の連敗記録を作った。外国の大人相手に活躍できるレベルではなかった。実際、オリンピックの数年後に外国人解禁となりブラジル2部で出場機会を得られず、
日本リーグに移籍して来たカルバリオという選手に釜本のシーズン最多得点記録は塗り替えられた。この事実から釜本の得点能力が世界と比較して、どれほど低いかは容易に想像できるだろう。
現在、Jリーグの選手はブラジル1部から移籍して来る選手と得点王争いをするが、ブラジル2部で試合に出れない選手と競争していた釜本の方が現在の選手より優秀だと言う人間がいるのだから
日本には変な人間が多い。カルバリオは現在のJリーグでは移籍する事すらできないレベルという事が分からないアホな人間が日本には多いという事だ。

ちなみにウィキペディアではAthleta(Ath02という名前でも活動する)極悪執筆者が釜本の75点、80点と捏造で増加した得点をFIFAや統計機関が認めたとウソを流しています。悪人が協力しています。

「釜本、80点」という情報がありますが、あれはウソです。
「オリンピック関連で釜本が決めた得点を全て国際Aマッチ扱いする」と80点になります。
あれはJFA基準でも認めていない釜本の得点
(フランス五輪代表と日本代表の試合での釜本の
2得点など)全部含めています。
それで更に合計5点増やしているんです。
当時、フランスは全員アマチュアで
全然ベストメンバーではありませんでした。
だからこれは国際Aマッチになりません。
だから「釜本 80点」はデマです。
Athletaは
「釜本がオリンピックで決めた得点は全て
国際Aマッチに認めろ」
という更に無茶な主張をして、だます活動をしているのです。

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