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【将軍】フランス代表、            ミッシェル・プラティニ

1980年代のフランス代表の司令塔、ミッシェル・プラティニ(Michel Platini) の経歴を紹介します。

更新日: 2019年05月04日

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rulliさん

「フランスの司令塔」、ミッシェル・プラティニについて       紹介します。

1955年生まれ。

1972ー79年 ナンシー
1979ー82年 サンテティエンヌ
1982ー87年 ユベントス

フランス代表、72試合41ゴール

プラティニは攻撃的MFだったが、                 セリエAで3年連続得点王になった(1983ー85年)。       FWよりも得点能力があった。 まさに超一流選手だ。

プラティニは攻撃的MFだったが、                当時、フランス代表の最多得点記録を作った。                 FWより得点能力があった。ジダンより点を取るのはうまい。

ユーロ1984の決勝で、FKを蹴るプラティニ。
このFKで得点した。

プラティニの「ユーロ本大会の通算得点、9得点」は34年経つが未だに破られていない
(2018年現在)。

写真は、ユーロ1984年大会の時の、プラティニ。

10番司令塔で、試合を決める得点まで決め、
そして主将として、チームを牽引し、優勝した。

プレイでも、精神面でもチームを牽引し、
サッカーの歴史で稀に見る大活躍をして、
優勝した。

写真、左が プラティニ。
   右が ディエゴ・マラドーナ
      (アルゼンチン代表、ナポリ所属)

1980年代、イタリア・セリエAで
それぞれユベントス、ナポリの10番で
エースとして戦った2人。

プラティニは、ユベントスのレジェンドである。

インテル(1964、65)と
ACミラン(1963、69)は
既に欧州チャンピオンズ・カップ優勝経験が共に
2回ずつあり、イタリア3大クラブの中で、
唯一ユベントスだけが、優勝できずにいた。

それで1986年にようやくユベントスが初優勝した。
その時の司令塔がプラティニで、
大会得点王の活躍をし、チームを優勝させた。
これで、ユベントスが抱えていた長年のインテル、
ミランに対する「コンプレックス」を無くさせた。

プラティニはユベントスの紛れもないレジェンドである。

写真、
  右が プラティニ。
  左は MF、フランク・ランパード
         (チェルシー所属)

プラティニは、UEFAの重役で活躍し、
「FIFAクラブ・ワールドカップ2012年大会」の
決勝後、表彰式でメダルを渡した。

しかし、その後、W杯2022カタール大会に関し、
開催地をカタールにする為、便宜を働いていた事が
発覚し、汚職で逮捕された。

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