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スウェーデン史上最高の選手、            グンナー・ノルダール。

1940~1950年代に活躍したスウェーデン人選手、グンナー・ノルダール(Gunnar Nordahl) について紹介します。

更新日: 2019年05月04日

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rulliさん

【本編開始】

史上最強CF、グンナー・ノルダールについて紹介します。

1921年、スウェーデン生まれ。

【所属クラブ】

1937―1943  ヘルネフォネス
1943―1944  テゲルフォルス
1944―1949  ノルシェービン
1949―1956  ミラン
1956―1958  ローマ 
1959―1960  カールスタード

スウェーデン・リーグ 得点王 4回
(1943、45、46、48)

ACミラン時代、 257試合210得点

セリエA 
優勝  2回(1951、55)
得点王 5回(1950、51、53- 55 [3年連続]) 

【スウェーデン代表】

1942ー1948  33試合43得点

オリンピック1948 優勝 & 得点率

ノルダールは身長185cmでとても体格が良く、パワフルさに満ち、 相手DFを圧倒するような豪快なプレイぶりでゴールを量産した。

写真は、スウェーデン代表で試合前のノルダール。

彼は代表の得点で「得点率史上2位、1.3」

1位は、フランス代表、ジュスト・フォンテーヌ
得点率 1.43。21試合30得点。

ノルダールは「代表得点率、歴代1位」だったが、
1950年代後半に、フォンテーヌに抜かれた。
しかし、それ以後は誰にも抜かれず、
依然として、彼は1950年代以降から
ずっと歴代2位である
(注:統計機関は、「30ゴール以上の選手」を
条件にランキングを発表している。
30ゴール以下でノルダールより得点率が高い
選手は存在する)。

写真、左は、1990年頃のノルダール。70才頃。
右は、当時のスウェーデン代表のエース、トーマス・ブロリン。

1948年のオリンピックは、FIFA基準では国際Aマッチ扱いである。
まだプロ・リーグが設立されていない西欧国
(オランダ、デンマーク等)も参加して、ハイ・レベルな選手が
参加していた。
現在のオリンピックとは違う。
だからこの大会のノルダールの得点王は価値のあるもので、
高く評価できる個人タイトルだ。
彼が世界の超一流選手であった証明である。

その後、彼はイタリアに行きプロ選手となったので、スウェーデン代表を引退した。
(当時、スウェーデンはプロ選手の代表入りを禁止していた)。

写真は、ACミラン時代のノルダール。

ノルダールは28才からセリエAに挑戦した。
それで5回も得点王になった。

ノルダールが選手引退して58年も経つが
(2018年現在)、
未だに「セリエAで得点王5回」は
史上最多得点王回数で、破られていない。

誰も破れない。
ノルダールは未だに史上最強FWである。

写真、左がノルダール。右がシルビオ・ピオラ。

ピオラはセリエAの得点記録、歴代1位(301得点)の選手である。彼はラッツィオで長く活躍した選手だが、これは恐らくノバーラ在籍時の写真。
ちなみにピオラは41才まで現役でプレイし、
39才の年齢で18ゴール(31試合)しているという
とても息の長い選手であった。

「ノルダールが20才からセリエAに挑戦していたらどうだったか?」
想像するだけでも恐ろしい。恐らく10回以上は
軽く得点王になっただろう。
ピオラの記録も抜いて歴代1位になっただろう。

写真は、ACミラン時代のノルダール。

セリエAで得点率0.77というとても高い記録を残した。ノルダールは1位のピオラより遙かに優れた
得点率である。彼は得点数はピオラより下だが
得点能力は遙かに上だ。

ノルダールは「代表チーム得点率、歴代2位」
だが、世界の一流リーグであったセリエAに
挑戦して、クラブ成績でも高い得点率を残した。

彼は記録面で、とりわけ偉大な選手である。

ノルダールのセリエAでの得点率は
291試合225得点(得点率0.77)である。

セリエAでプレイしたFWの中(イタリア人も含む)で、
彼は得点率が断トツで、歴史上ナンバー1だ。
「得点率、0.7台」は、彼一人である。

写真は、ACミラン時代、同僚のスウェーデン人
2人と、ノルダールである。
左がMF、グンナー・グレン。中央がノルダール。
右がMF、ニリス・リードホルム。
「スウェーデン・トリオ」として3人は、
ACミランで大活躍した。

未だに彼の225得点は、
「セリエA外国人選手、歴代1位の得点数」
である(2018年現在)。
20才から居たら、ピオラを抜き、
全選手で歴代1位になれた。

ノルダール引退してから、58年も経つが誰も抜けない。セリエAには数多くの優秀な外国人FWが
挑戦したが、誰も敵わなかった。
これは100年経っても誰も抜けない記録かも知れない。

ACミラン、「スウェーデン・トリオ」。
左、リードホルム、中央、グレン、
右、ノルダール。

彼は欧州の国際大会で優勝した
(ラテン・カップ1951年、1956年優勝)。
1951年大会はエースとして優勝。1956年の時は
35才で控えだった。
1951年、ミランのノルダール(30才)は決勝戦で、フランス王者のリールと対戦して5-0で勝利して優勝した。この試合、彼はなんとハットトリックの大活躍をした。
だから、ただ欧州チャンピオンズ・カップという
大会が出来るのが遅く(1955年創設)、
彼の全盛期に存在しなかったので、
現代で彼の知名度が低くなっただけだ。
彼の実力は欧州の覇者であった。

写真は、ACミラン時代、息子と写るノルダール。

欧州チャンピオンズ・カップができる時代の前の「欧州の王様」がグンナー・ノルダールである。

彼の現役中20代前半は、第二次世界大戦があり
W杯が開催されなかった。また彼はその後、プロとなった為にスウェーデン代表も引退したので、
29才の時に開催されたW杯1950年にも参加できなかった。
彼はW杯と全く縁が無かった。
だから後世で触れられる機会が大きく減っている
選手である。
しかし、彼がクラブ・チームで残した得点成績を
見れば、明らかに彼はこの時代の「欧州の王」であった。

彼は
1.「国際Aマッチ扱いであった時代のオリンピックで得点王となり優勝した年」、
2.「ラテン・カップの決勝戦でハットトリックして優勝した年」、
更に3.「セリエAで5回得点王になったシーズン」等を考えれば、
彼がバロンドールを受賞できた年は少なくとも確実に3回以上はあっただろう。

そういう訳で彼は
「欧州最高を決める個人賞(バロンドール)が
当時、存在しなかった」ので欧州最高の選手という裏付けがなされなかっただけなのである。
だから彼について語られる事が、現代ではとても
少ない訳である。
そういう事から考えれば、ノルダールはとても悲運な選手である。

写真は現役引退して、大分経ち、中年になっているノルダール。

彼は紛れもなくサッカー史上最も才能があった
ストライカーの一人で、
スウェーデンとACミランの歴史に大きな足跡を
残したレジェンドである。

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