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ロバート・クビサ

ロバートクビサまとめ

更新日: 2018年09月20日

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ロバート・ユゼフ・クビサ(Robert Józef Kubica, 1984年12月7日 - )は、ポーランド共和国クラクフ市出身のレーシングドライバー。

幼少期

4歳の時に両親にねだって買ってもらった4馬力のオフロードカーがキャリアの出発点である。クビサはこの車でペットボトルの周りを運転して遊ぶことに日々熱中した。成長すると父親Arturはカートを与えたが、クビサは当時幼く、10歳以上でなければポーランド・カート選手権(the Polish Karting Championship)に参戦できなかった。10歳になり参戦すると、3年で6つのタイトルを獲得した。

ジュニア・カート

次のステップに進み、父親の勧めで単身イタリアに渡る。1998年に国際イタリア・ジュニアカート選手権の初の外国人チャンピオンとなり、ヨーロッパ・ジュニアカート選手権でシリーズ2位、ジュニア・モナコ・カートカップで勝利と、初年度から華々しい結果をあげた。翌年、イタリアでのタイトルを防衛し、ドイツ国際カート選手権に参戦。またジュニア・モナコ・カートカップで再び勝利、マルグッティ・トロフィーやエルフ・マスターズレースといった名のある大会でも勝利を収める。2000年、ヨーロッパおよび世界選手権でともに4位となり、カートでのキャリアを終える。

向かって左からハミルトン、クビサ、ロズベルグ

ジュニア・フォーミュラ

2000年にフォーミュラカーレースにステップアップ。フォーミュラ・ルノーのテストドライバーとなる。2001年にユーロカップとイタリア選手権への参戦を開始した。フォーミュラ・ルノーには翌年まで留まり、2002年にユーロカップをランキング7位、イタリア選手権では10戦中4勝をあげてランキング2位という結果で終えた。

2003年にF3ユーロシリーズへと参戦し、ランキング12位。2004年に同選手権でランキング7位、同年のマカオGPでは2位表彰台という結果を残した。

2005年には、この年ワールドシリーズ・バイ・ニッサンから改組されて新たな選手権の初年度として開催されたワールド・シリーズ・バイ・ルノーのエプシロン・ユースカディチームから参戦し、4勝を挙げて初代チャンピオンに輝いた。再びF3マカオGPにも参戦し、前年同様2位表彰台を獲得した。

エプシロン・ユースカディ時代のクビサ

F1での経歴

2005年、ルノーやミナルディなどからF1のテストに参加し、ステップアップへの足がかりを築いた。

2006年はBMWザウバーの第3ドライバーとして起用され、特にシーズン中盤になってチームが力をつけるにつれ、金曜日のフリー走行や、テストなどでも好タイムを記録した。レギュラードライバーのジャック・ヴィルヌーヴが第13戦ハンガリーGPを欠場したため、このレースにおいてポーランド人初のF1ドライバーとして急遽デビューを飾った。荒れたレースの中7位で初完走し入賞圏内でレースを終えたが、マシン重量が最低基準に2kg足りなかったため失格となった。その後、ヴィルヌーヴはそのままBMWザウバーから離脱したため、以降のレースも参戦することとなった。第15戦イタリアGPでは3位でフィニッシュし、デビュー3戦目にして初の表彰台に輝いた。しかし、残りのレースは入賞することは叶わず、結局この年の入賞はイタリアGPのみに留まったが、初年度にして3位表彰台を獲得する活躍を見せた。

2007年はマクラーレンとフェラーリが圧倒的な速さでシーズンを支配した。第3戦バーレーンGPからは3戦連続で入賞するも表彰台には手が届かず、BMWザウバーは苦戦が続いた。そんな中迎えた、第6戦カナダGPでは大クラッシュに見舞われた。オールドピットヘアピン手前の左コーナーでヤルノ・トゥルーリと接触。接触自体は軽かったもののコースアウトした際に芝生の段差でマシンが跳ね、前輪が浮き上がったままになったためにコントロール不能のまま直進し270km/hの速度でコンクリート壁に激突した。車体は跳ね返って数十メートルに渡り回転しながら移動し、ヘアピンのランオフエリアで横倒しになりようやく停止。特にフロント部分の破損が著しく、両足が露出するほどの凄まじいクラッシュだったため安否が気遣われたが、幸いにも軽い脳震盪と右足首捻挫のみと診断された。しかし、FIAの医師団の判断により第7戦アメリカGPは欠場した。第8戦フランスGPで復帰すると、残り10戦中8戦で入賞する安定感を見せたが、表彰台獲得には至らなかった。

この年は最高位は4位に留まり、ランキング6位に終わった。

2008年、開幕戦オーストラリアGPで予選での自己最高位である2位を記録。決勝ではレース中盤で中嶋一貴に追突されリタイアに追い込まれる。しかし、第2戦マレーシアGPでは自己最高位である2位を獲得し、約1年半年ぶりに表彰台へと上った。さらに第3戦バーレーンGPでは自身とチームにとって初のポールポジションを記録。決勝でもフェラーリの2台に続く3位でフィニッシュし、2戦連続表彰台に上った。また、第6戦モナコGPでもミスの無い走りで2位表彰台を獲得。市街地コースでの強さをアピールした。前年に大クラッシュに見舞われた第7戦カナダGPでは、完走が13台という荒れたレースを制し、ポーランド人として初優勝を飾ると共に、BMWザウバーにも初優勝をもたらした。この結果、ドライバーズランキングで初めてトップに立った。この飛躍の裏にはオフシーズンの大幅な減量で可能になったバラストの追加配分があったとされる。しかし、シーズンが進むに従って調子を落としていった。これはランキング上位に付けチャンピオン争いが可能にもかかわらず、シーズン後半には早々にチームが翌年の車の開発に比重を移してしまった事が影響しており、このチーム方針に対しクビサは不満を呈していた。

この年は、優勝1回を含め7回の表彰台獲得、ポールポジション1回獲得などの活躍を見せ、シーズン終盤までタイトル争いに絡んだ。最終的に3位のキミ・ライコネンと同ポイントのランキング4位でシーズンを終えた。

2009年シーズンもBMWザウバーから参戦。この年投入されたマシンF1.09には前年ほどの競争力はなく、開幕戦オーストラリアGPで終盤に一時3位を走行する活躍は見せたものの、第10戦ハンガリーGPまでにポイントを獲得したレースは1回のみで、それ以外はポイント圏内はおろか、トップ10にすら入れないレースが続いた。 ベルギーGPでは予選5位を獲得し、決勝でも4位でチェッカーを受けた。第16戦ブラジルGPで雨で混乱が起きた予選では8位を獲得し、決勝では巧みな戦術と運転技術で久しぶりの表彰台となる2位になった。

10月7日にはルノーへの移籍を決め、次期のシートを獲得している。

2010年シーズンはルノーF1から参戦。シーズン前はチームの資金難が続きR30の開発が遅れたが、その後スポンサーが続々と決定され、また建設中であった新しい風洞試験装置が完成するとともに開発のスピードは上がっている。開幕戦バーレーンGPではスタート直後の1コーナーで前を走るマーク・ウェバーの車がエンジンオイル量過多のため突然白煙を噴いたことに驚いたエイドリアン・スーティルが急な進路変更をしクビサのマシンに接触、クビサとスーティルの2台のマシンはスピンした。2人ともすぐにレースに戻り、最後尾から懸命の追い上げを見せたが11位でゴールし、惜しくもポイント獲得を逃した。 第2戦オーストラリアGPでは予選9位からスタート、混乱の中1周目に4番手まで順位を上げ、のち2位まで順位を上げた。その間メルセデスGPのニコ・ロズベルグ、マクラーレンのルイス・ハミルトン、フェラーリのフェリペ・マッサからゴールまで30周以上にわたって次々と激しい追撃に遭ったものの、巧みな運転技術でこれを封じて順位を死守したクビサはそのまま2位でゴール、2010年初の表彰台を飾り、上位陣に比べて戦闘力が大幅に劣るといわれるルノーの現行マシンで、しかも上位陣の追い上げを巧みに抑え続けての表彰台獲得はフランスやドイツのメディアから「センセーショナル」と報じられ、2009年の第16戦ブラジルGPに引き続いて自己の高い実力を再度証明することになった。

また、得意の市街地サーキットである第6戦モナコGPでは予選で驚異的なパフォーマンスを発揮し、明らかにマシン性能で上回るドライバーらを抑えて2位を獲得すると、決勝ではスタートで1つ順位を落とすもののそのまま3位表彰台を獲得した。同じく市街地サーキットの第15戦シンガポールGPではレース終盤6位走行中にタイヤトラブルにより予定外のピットストップを強いられ13位に後退するも、新しいタイヤのグリップを活かして驚異的な追い上げをみせ、オーバーテイクが非常に難しいマリーナ・ベイ・サーキットで前にいるマシンをごぼう抜きしてみせた。結果落とした順位は僅か1つの7位でフィニッシュするなど、改めて市街地サーキットでの強さをみせた。

開幕前のバレンシアテストの最終日に新車R31で全体のトップタイムを記録するなど好調なスタートを切ったが、その直後の2月6日にイタリアで趣味でもあるラリーに参戦中大クラッシュ、手首を含む複数個所を骨折した。

2011年2月6日、イタリアで開催されたラリーイベント「ロンド・ディ・アンドラ(Rally Ronde di Andora)」で大クラッシュを喫した。シュコダ・ファビアS2000で参戦したクビサは右から左へと連続して曲がる高速カーブでミスをしガードレールに接触した。事故ではガードレールがクビサが駆っていたファビアの車体を正面から突き破り、クビサは右腕の複雑骨折、左手、足などの単純骨折を負う重傷であった。その後医師達によってサヴォーナ県のピエトラ・リーグレにあるサンタコロナ病院にヘリコプターを使って搬送された。施術に伴う右腕切断の可能性も検討されたが、専門医による7時間にも渡る手術の末に切断という最悪の事態は免れた。しかし重傷である事には変わりなく、今後レースを続けられる程に右手の機能が回復するかどうかが懸念されている。また、クビツァの完治には10ヶ月以上かかるとみられ、2011年のF1世界選手権を欠場することが確定的であると報じられた。

複数個所の骨折と、肺の損傷が認められた為に手術は複数回に分ける必要があり、一時期はICUに再び入るなど予断を許さない状況もあったが、2月16日に最後の手術を終え19日にリハビリ病棟に移った。

リハビリ中の2012年1月12日、自宅近くで散歩中に凍った路面で転倒し、右足脛骨を骨折した。しかし大事には至らず、半月後にはオートマチックの自家用車を運転できるまでに回復したと報じられた。

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