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【平安】藤原純義配下の猛将金剛十郎知泰vs小野好古率いる官軍の猛将齋藤越後十郎光利(柳浦合戦)。

現在作成中の太刀の長さランキングの補足として作成。内容は前太平記の藤原純友の乱における柳浦合戦の全文私訳になります。

更新日: 2018年04月17日

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この記事は私がまとめました

現在作成中の太刀の長さランキングの補足として作成しました。マイナー人物優先ですがw戦国以外の時代も徐々に出していきます。

sakukenhiroさん

通俗日本全史 第2巻 前太平記 巻第八 「豊前國柳浦合戰事」を全文私訳。

「藤原純義配下の猛将金剛十郎知泰vs小野好古率いる官軍の猛将齋藤越後十郎光利(柳浦合戦)」

①先に前段までの内容を前ふりw(長くなっちゃいましたw)

平将門の乱の制圧も束の間、備前から西海道に面した中国地方の国々を制圧し、大宰府に侵攻後、九州全土と二島(おそらく壱岐対馬だと思う)に猛威を振るうようになった、藤原純友の脅威の報に手を焼いた朝廷は、追捕使を派遣する事に決する。

右近衛少将左衛門小野好古、散位前武州源経基王を追手、搦手の大将と定め、それに従う宗徒の大名等は右衛門尉藤原慶幸、大藏丞藤原春實、左馬助源滿仲、兵部丞源満政、兵庫允源満季、志摩守源満快、上野掾源満生、縫殿助源満重、出羽目(さかん)源満頼、

出典通俗日本全史 第2巻 前太平記 巻第八 「豊前國柳浦合戰事」

山城守爲堯(ためのり(原文ふりがな) 調べたが分からず。多分「吉野吉水院楽書」に管絃者としてお名前出てくる源為堯かと)、阿波守小野保衡(完璧超人小野篁の子w)、右京大夫藤原致忠(後に頼光四天王と行動を共にする藤原保昌さんの父ちゃん)、散位箕田仕(源仕(みなもとのつかう)後の渡辺綱の祖父)、兵衛尉加藤重光、越前押領使加藤伊傳(名前的に加藤重光さんの弟の藤原伊随さん?若しくはその子辺りか?)、加藤瀧口貞正(加藤重光さんの嫡子)、加藤武藏介忠正(同じく加藤重光さんの次男)、加藤越中掾重吉(同じく加藤重光さんの三男)、卜部次官季國(時勢的に坂上頼次さんか???)、丹波判官盛國(順番的に坂上氏?丹波氏が坂上氏から分かれた説が臭くなる名前w)、伊勢介行治(調べたが分からず)、

出典通俗日本全史 第2巻 前太平記 巻第八 「豊前國柳浦合戰事」

大江山城入道浄忍(じょうにん)、大江山城掾雅信、大江修理少進貞信、蜷川伊賀守武兼、鹽谷美濃權介、浦上大内介康俊、福山新介則宗、福山太郎、福山五郎、久下藤内太郎、村岡彌太郎、村岡五郎太、田原權介貞宗、千葉介正貞、文屋義高、坂上公重、遠山左衛門太郎、遠山左衛門三郎、土井庄司頼資、その息男土井太郎頼長、土井遠藤次郎資長、交野荒太郎時澄、小川九郎元方、古河庄司忠貫(ただつら)、佐介平三茂俊、卜部、物部、丹波、大内、庄、本庄、富田(とんだ)、入西を始めとして諸国の大名三十餘人。総勢都合五萬餘騎。

出典通俗日本全史 第2巻 前太平記 巻第八 「豊前國柳浦合戰事」

以上の勢を従え官軍は(天慶三年(940年))六月二十四日、都を立って西海道へ進発。

官軍の軍勢は厳島へ舟を寄せ、戦勝祈願の後評定を行い、この場所から陸路を取り、周防、長門の純友勢を蹴散らし山陽道の勢を味方に付け、純友がいる筑紫を攻める事に評定は決する。

そのため、軍勢を率いて対岸へ上陸したところ、安藝國は言うまでもなく、播磨、美作、備前、備中、備後、出雲、伯耆の勢や其處彼處(ここかしこ)に隠れ居た(純友に追われた)落人まで馳せ加わり軍勢は雲霞の如くに膨れ上がる。

対する純友勢は官軍の大勢に周防國を捨て、舟木庄司輝義が籠る長門國樋田城(といだのじょう)に合流し防戦を行ったが、都へ出仕していて留守にしていた際にこの居城を落されてしまった大内介康俊は、小野保衡と秦周防介頼種に樋田城攻めの大将を奪われた事を憤慨し、独断で純友の九州からの援軍を装い、官軍に矢を射かけるフリをしながら樋田城の西の尾崎をよじ登り、城中へ引き入れさせ、内と外から攻撃をしかけると言う奇襲を成功させ樋田城は落城。

出典通俗日本全史 第2巻 前太平記 巻第八 「豊前國柳浦合戰事」

これを長府に在城していた純友の腹心稻村平六景家が、自らも城を捨て大宰府に急ぎ、純友にこれを報告。

純友は未だ九州諸方に残る従わぬ勢力へ軍勢を差し向けている最中で、大宰府に在駐する軍勢は以っての外の無勢だったため「如何すべき…(汗)」と仰天して左右思案に落ちずにいたが、そこへ諸方へ討伐に出向いていた舎弟の右衛門佐純乘、四郎太夫純正が一萬五千餘騎を率いて肥前より帰還。又(また)、豊後へ向かった春宮(とうぐうの)權亮純素の二萬餘騎も帰還。

各々勝ちを納め生け捕り及び降人を引き連れて大宰府に帰って来たので、純友は大いに悦び、帰還の諸将に迫る官軍の大勢をどう退けるかの方策を問う。

藤原純素は事も無げに

「是(これ)は兼ねてより思い設けていた事であれば、今更驚くべきに非ず。殊に九州悉(ことごと)く當(当)手に属し、未だ從(従)はざる者は(太宰)大貮公頼(橘公頼)計(ばかり)なり。

彼未だ筑後に在りと雖(いえど)も、敗軍の士卒、少々立て籠りたればとて何程(かほど)の事をか仕出(しいだ)すべき。但(ただ)し都勢、攻め下ると聞かば、時(おり)を得て間(ひま)を窺うかもしれぬ。

出典通俗日本全史 第2巻 前太平記 巻第八 「豊前國柳浦合戰事」

然(さ)らば、先ず軍勢を指し向け柳川(柳川城)を圍(囲)ませ、一人も洩(も)らさぬ様(よう)に構え、又(また)、豊後國柳が浦(※1)に出張(でばり)して、

船軍(ふないくさ)に馴れぬ京家の武士等(など というか「なんど」って読んだ方がいいか?)、一々に海底に追いつめ慰みものにするのは由々敷(ゆゆしき)見物となるであろう(笑)」

といって、軈(やが)て軍勢の手分けをして、先ず右衛門佐純乘に五千餘騎を相添えて筑後國へ指し向け、大貮公頼の籠る柳川の城を圍(囲)ませる。

又(また)、「出張(る際)の先陣は當(当)家の佳例(かれい 意味:めでたい先例)なれば」という事で、今度も權亮純素が三萬餘騎にて進み柳が浦に陣を取り、伊豫掾純友(藤原純友)はこれに四里引き退いた形で筑前國黒崎(※2)に支える。

出典通俗日本全史 第2巻 前太平記 巻第八 「豊前國柳浦合戰事」

※1 柳が浦 文献の記載通り「豊後」と考えると現在の大分県宇佐市柳ヶ浦地区で駅館川河口付近になるのですが、この後の文の「筑前国黒崎まで四里」という記載を考えると、今の北九州市門司区大里原町(門司駅辺りを中心とした付近)で大里町(その前は柳ヶ浦村)と呼ばれていた辺りになります。おそらくこれは前太平記の間違いかと。藤元元さんあんま情報出て来ない人物ですが、九州人じゃあないなw下にリンク貼っておきます。

ちなみに以上の通り場所は違うのが判明してますがw大分県の方の柳ヶ浦は、この後の平安時代末期に、元家人の「おそろしき者の末裔」と言われ恐れられた、豪傑の緒方惟栄さんに追い落とされた平清経さんが入水自殺を遂げた場所でもあります。

多分こちらで見るのが分かり易いです。

※2 筑前国黒崎 現在の福岡県北九州市八幡西区屋敷にある黒崎城かと。

リンク貼っておきます。

長門に駐屯中の官軍側は「純友側は箱崎(現在の福岡県福岡市東区)~博多(おそらく狭義の「博多」の方の博多区北西部の那珂川と御笠川に挟まれた区域)において陣を敷いて待っているだろう」と推量していたが、思いの外に純友軍が赤間関の対岸へ打って出たとの報がもたらされたため、諸将は重ねて評定を始め、

「當國赤間が關は、南北僅か五町(約545m)に過ぎず、瀬戸は狭うして汐早く舟の駆け引きは自在になるまい。御方(みかた)は大半船軍(ふないくさ)に慣れぬ武士共であれば、舟筏を組んで平場の如くし、馬上(騎馬武者のこと)を快く駆け引きさせるべし」

という事で、數(数)千艘の舟を聚(あつ)めその用意をしていた。

出典通俗日本全史 第2巻 前太平記 巻第八 「豊前國柳浦合戰事」

權亮純素はこの事を聞いて

「さらば御方も術(てだて)を替えて禦(ふせ)ぐべし」

という事で濱面になる掻楯(かいだて)の蔭(かげ)に投げ松明をいくらともなく拵え置いて、「舟筏が出来上がれば焼き払うべし」と支度して待ち懸けていたが、(七月)廿(二十)一日に激しい嵐が巻き起こり雷によって伊賀壽太郎(伊賀壽兄弟(太郎、次郎)の兄貴の方。兄弟ともに藤原純友配下の鬼神と呼ばれる程の豪傑)の陣屋の檐(のき)に落ちて、山のように積み置いていた投げ松明や櫓や搔楯にも火が移り全て焼失してしまう。

軍兵も始めは消火に努めたものの猛火盛んなため次第に混乱に陥り、純素の役所にも火が燃え移ったため純素勢は力無く純友が控える黒崎へと撤退する。

出典通俗日本全史 第2巻 前太平記 巻第八 「豊前國柳浦合戰事」

青:小野好古率いる官軍

赤:藤原純友勢。黒崎が純友率いる本隊。柳浦が純素率いる先手勢。

この状態から、柳浦の純素勢は雷による火災で黒崎の純友本隊へ撤退合流したって形になります。

②↓ここから本文

同月(七月)二十三日。(官軍は)「(今日は)軍の手合わせも有るだろう」という事で、兼ねて陣中へ相觸れられていた處(ところ)に、權亮純素は雷火によって役所を焼かれ、柳が浦を引退く由(報)が聞こえてきたため

「さらば敵の寄せぬ先に渡海有るべし」という事で、

廿(二十)二日。俄かに件の舟筏を渡して、官軍都合六萬餘騎が柳が浦に陣を取る。

明(あ)くれば廿(二十)三日。權亮純素、三萬餘騎にて柳が浦に押し寄せて、敵の陣を見渡せば方四~五里が間(※1)を雲霞の如くに打ち圍(囲)んで、思いの外の大勢であれば、少し猶豫(猶予 ゆうよ)して進み得ず。

しかしながら(原文:されども)純素は元來(来)不敵の猛將(将)であれば、大敵を見ても氣(気)を屈せず、早くも矢合わせの鏑矢を射させ、入れ替え入れ替え攻め戰(戦)う。

出典通俗日本全史 第2巻 前太平記 巻第八 「豊前國柳浦合戰事」

※1 方四五里が間 約16㎞~20㎞四方。ほぼ門司港一帯の平地部を埋め尽くしていたと考えた方がいいかも。

先ず、一番に純素が左將(将)軍、長屋源八廣之、千餘騎にて懸け出でれば、好古の裨將(将)軍、大藏丞春實(大蔵春実)、千五百餘騎にて馳せ合わせ、暫く戰(戦)って引退く。

二番に兵部丞源滿政、兵庫允同滿季、二千餘騎にて馬を進めなされば、伊豫太郎有信(藤原有信。純友さんの嫡子)、同次郎純年(藤原純年。同じく純友さんの子にして有信さんの弟)、千八百餘騎にて打って出で、追いつ返しつ戰(戦)って百四十五騎討たれれば、官軍も百騎計(ばかり)討たれて三陣に譲って引退く。

(これに)右衛門尉慶幸(藤原慶幸)二千三百餘騎にて入れ替わりなされば、若狭守純義(藤原純義)二千餘騎にて受け取って火を散らして戦い続ける。

出典通俗日本全史 第2巻 前太平記 巻第八 「豊前國柳浦合戰事」

このような處(ところ)に、純義が勢の中より武者が一騎懸け出でる。

黑絲(くろいと)の大鎧に五枚甲(かぶと)の緒を締め、栗毛の馬に金貝(かながい)の鞍を置かせ、四尺(約121cm)餘の太刀の鍔本まで血(まみれ)に成っているものを、甲(かぶと)の眞向(まっこう 意味:真正面)に當(あ)て、大音揚げて名乗るには、

「是(これ)は安藝國の住人!!金剛十郎知泰(こんごうじゅうろうともやす)と申す者にて候!!

其身(そのみ)不肖(ふしょう 意味:この場合「まだまだ未熟」ってとこかと)なりと雖(いえど)も、豫洲司馬(※3)の幕下に属(原文フリガナ:シヨク)し、戰(戦)場に蒞(のぞ)む事廿(二十)餘度。敵を討つ事其(その)數(数)を知らず!而(しか)も今日まで一箇所も疵を蒙らず!!

山陽西海兩(両)道には、已(すで)に其名(そのな)を證(あらわ)すと雖(いえど)も、未だ東國北國の人々には見参せず。誰と言って相手を嫌う事はない(原文:誰と相手は嫌ふまじ)、「我」と覚えの有らんずる人は出で合い給え!!打物して兩(両)陣の眠りを醒まさせん!!」

出典通俗日本全史 第2巻 前太平記 巻第八 「豊前國柳浦合戰事」

※2 金貝 詳細なのがあったのでリンクでどうぞ。

※3 豫洲司馬 もちろん藤原純友さんの事だが、字的には豫洲(伊予国)の司馬(軍権を司るもの)って意味。

と、傍若無人に訇(ののし)ったところ、官軍の中より

「齋藤越後十郎光利(さいとうえちご(の)じゅうろうみつとし)!!」

と名乗って、緋威の鎧に鍬形打ったる甲(かぶと)の緒を締め、手縄(たなわ 原文フリガナ:クバナ)搔繰(かいぐ)り馬に白沫(しらあわ)嚙(噛)ませ駈出だし、會釈(えしゃく 意味:この場合「挨拶」)もなく馳せ合わせ二打ち三打ち打つぞと見えていたが、

何かがあったのだろう(原文:何とかしけん)齋藤が乗っている馬が沙(いさご 意味:砂)に足を折(くだ)いて尻居(しりい 意味:尻餅ををつく事)になれば、光利は馬手(めて 意味:左手)の鐙(あぶみ)を踏み外し、

乗り直そうとする處(ところ)を、知泰は透(すか)さず、齋藤が甲(かぶと)の鉢を續(続)け様(ざま)に

「碎(くだ)けよ破れよ!!」

と打ったため、(齋藤は)甲(かぶと)の吹き返しの端(はずれ)より弓手(ゆんで 意味:右手)の眼(まなこ)を懸けて切り下げられ、仰向(原文フリガナ:ノツケ)に返すを引き寄せて軈(やが)て首を掻き落とす。

出典通俗日本全史 第2巻 前太平記 巻第八 「豊前國柳浦合戰事」

光利が郎等の十三騎は

「主を討たせては我等の命など何の為に惜しむ必要があろうか!!(原文:主を討たせ命をば何の用にか惜しむべき)」

と抜き連れて打って懸り、知泰を中に取籠め火水になれと(※4)攻め立てる(原文:火水になれとぞ攻めたりける)。

知泰は元來(来)究竟(原文フリガナ:クツキヤウ)の手利きなれば、十三騎の敵共を(相手に)前後に當(当)り、左右に相受け打ち合いし(様)は、「天晴一人當(当)千の兵」とぞ見えていた。

十三騎の郎等も、命を限りに戰(戦)いつづける内に(原文:戰ひし程に)一騎討たれて、残る兵も五箇所三箇所の痛手を蒙らぬ者はいなかった。

知泰も痛手を三箇所負ってしまっていたので、次第に腕は緩く気は疲れて、遂に首を捕られてしまった。

出典通俗日本全史 第2巻 前太平記 巻第八 「豊前國柳浦合戰事」

※4 火水になれと 火水を辞書で調べると色んな意味が出て来るのですが、この場合とてつもない勢いでってなとこかな?リンク貼っておきます。

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