1. まとめトップ

西野朗氏がハリル後任監督に決定。「マイアミの奇跡」経験の名将

サッカー日本代表新監督に西野朗氏が決定したと発表がありました。田嶋幸三会長が午後4時から会見し、W杯ロシア大会開幕まで約2カ月となる時期でのハリルホジッチ氏の解任、西野氏に就任要請した経緯を紹介します。

更新日: 2018年04月09日

0 お気に入り 845 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

サッカー日本代表新監督に西野朗氏が決定したと発表がありました。ハリルホジッチ解任の経緯、各方面からのコメントや反応、新監督に就任した西野朗氏のプロフィールを紹介します。

ハリル退任の経緯

日本サッカー協会(JFA)は9日に都内で会見を開き、日本代表のヴァイッド・ハリルホジッチ監督の解任と、新監督として西野朗氏の就任を発表した。

会見に臨んだJFAの田嶋幸三会長は、ハリルホジッチ監督と代表選手たちの間で「信頼関係が失われてきたこと」が解任の理由のひとつだと説明している。
解任を検討するにあたり、選手たちとも議論を行った上で決断に至ったとのことだ。

協会とハリルホジッチ監督との間では、「基本的に摩擦があったとは思っていません」と田嶋会長。だが「選手たちとの摩擦が少なからずあったと思う」と認め、「そういったことが引き金になったのは間違いない」と述べた。

昨年12月のEAFF E-1サッカー選手権で韓国代表に大敗を喫したあとにも議論を行い、「リスクと誰がやるのかを考えて、継続の決断をしました」とのこと。だが「残念ながらそこで最後まで改善できなかったところが、この結果になってしまったと思っています」と解任に至る経緯について語った。

田嶋会長はハリルに感謝のコメント

前任のアギーレ監督の契約解除の後、短い時間でチームをまとめ、ワールドカップ予選を突破してくれました。サッカーを愛し、ピッチでぶつけてくれた。デュエルという、日本サッカーに必要な言葉を植え付けてくれました」と感謝した。

ハリルは怒りと絶望…

田嶋会長は、質疑応答の中で、解任を伝えた際のハリルホジッチ氏の様子について聞かれ、フランス・パリのホテルで7日午後6時(現地時間)に会って解任を伝えたこと、ハリルホジッチ氏が「満足出来ない、何でこの時期に?」と怒りと失望をにじませていたことを明かした。

「選手とのコミュニケーションが足りないと伝えたのは事実。
日本を少しでも勝たせたいから、この決断をしたと伝えました」とも語った。

解任を受けて吉田麻也、酒井宏樹のコメント

サウサンプトン(イングランド)の吉田麻也選手は「何があるか分からないのがサッカー。(W杯で)結果を出せるように頑張る。結果がすべて」と、落ち着いた様子で約2カ月後に開幕が迫った大舞台を見据えた。

 マルセイユ(フランス)の酒井宏樹選手は「そういう報道が出ること自体、選手は責任を感じないといけない。(責任を)監督だけに押しつけるのはどうかなと思う」と、代表の不振について選手の立場で反省を口にした。

川淵三郎氏もコメント

日本サッカー協会(JFA)相談役で、元キャプテンの川淵三郎氏(81)が9日、ツイッターを更新し、サッカーW杯ロシア大会に出場する日本代表のバヒド・ハリルホジッチ監督(65)の電撃解任について触れ
「監督更迭。遅きに失したと言われるだろうけどまだ時間がある。どん底からのスタートだから上昇あるのみ」とエールを送った。

9日、新監督を西野朗氏に決定したと発表

本大会まで残り2カ月…アトランタ五輪代表やJ1の柏レイソル、ガンバ大阪などを率いた手腕はあるものの、ここまでの短期間でチームを作った経験は、西野氏にもないのではないか?と質問が出た。
田嶋会長は「短い時期だからこそ、西野さんをお願いした。
得手不得手とか、そんなこと言っていられない。
実質3週間で出来ることをやるということでこの決断をした」と力を込めた。

西野朗氏のプロフィール・経歴

生年月日
1955-04-07

指導歴
1990~91:日立製作所ヘッドコーチ
1991~92:U-20日本代表監督
1994~96:U-23日本代表監督
1997:柏ヘッドコーチ
1998~2001.7:柏監督
2002~11:G大阪監督
2012:神戸監督
2014~15:名古屋監督

主にMFとして活躍し、浦和西高時代全国高校選手権でベスト8を経験。

早稲田大学教育学部に進学し、1年の時日本代表入り。卒業後日本リーグの日立で活躍、釜本邦茂と並ぶ8試合連続得点のリーグ記録を打ち立てた。

1990年現役引退後コーチに。のち日本ユース代表監督を経て、1993年アトランタ五輪日本代表の監督に就任。1996年同大会予選では、対ブラジル戦で歴史的勝利を挙げるなど2勝するが決勝トーナメント進出はならなかった。

1997年2月柏レイソルヘッドコーチとなり、1998年監督に昇格。1999年11月ヤマザキナビスコカップに優勝し、初タイトルを獲得。2000年Jリーグ第1ステージ4位、第2ステージ2位に終わるが年間総合勝ち点、勝率ともに首位となり、最優秀監督賞を受賞。2001年7月解任。

2002年シーズンからガンバ大阪監督に就任。いきなりクラブ史上最高位のリーグ戦3位に押し上げると、2005年に春のリーグ優勝、2007年はナビスコ杯、ゼロックス杯初優勝、2008年、天皇杯、AFCチャンピオンズリーグ初制覇、2008年天皇杯連覇とガンバの黄金時代を築き上げます。2011年まで10シーズン監督を歴任し、同年退任。

2012年シーズン途中にヴィッセル神戸監督に就任も半年後解任。2004年から2シーズン、名古屋グランパスエイト監督に就任するも結果を残せず2015年退任。

2016年、日本サッカー協会(JFA)の理事に就任し、技術委員長を務める。ベストイレブン1回(1985年)、Jリーグ最優秀監督賞2回。国際Aマッチ 12試合 1得点。早稲田大学教育学部卒。

西野氏はJ1のG大阪、名古屋、神戸などで監督を務め、96年アトランタ五輪ではブラジルに勝ち「マイアミの奇跡」を起こした。

監督としての手腕

1 2