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サッカー日本代表が銅メダルを獲った  メキシコ五輪は本当にレベルが低い。  日本人が知らない真実。

日本のマスコミが決して伝えない、サッカー日本代表が銅メダルを獲得した大会の正確なレベルを紹介する。

更新日: 2020年01月04日

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rulliさん

【本編開始】

釜本(24才)は当時、5才ぐらい下の
10代の選手と試合していたんだよ。

この当時の大会の得点王は10代で得点王だ。
(ちなみに彼らは、21才頃には既に
「世界のトップ級選手」になっていた)。

24才で10代と試合して得点王になった釜本は
レベル低いのが分からないのか?

釜本はこの大会直前に欧州遠征をし、
11連敗し、「日本史上最多連敗」記録を作った。
この記録は50年経っても破られていない。

大会前に大人と試合したら11連敗して全く勝てなかったという事だ。日本人はそれを知れ。
釜本は「史上最多連敗記録」を作った時の
エースFWだ。
その後、10代と試合してやっと点が取れたという事だ。

写真は、デンマーク代表FW、ハラルド・ニールセン。

この当時、北欧と東欧(デンマーク、ハンガリーなど)は
まだプロ・リーグがなかった為、10代のとても優秀な選手が西欧と違い、アマチュアなのでオリンピックに参加していた。だから彼らが得点王になった
(西欧では10代で優秀だとすぐプロになるので大会不参加)。

ニールセンは18才で
1960年のローマ・オリンピックで得点王に輝いた。
6得点を挙げ、得点王になった。

ちなみにニールセンは、ローマ五輪得点王後、
デンマークを飛び出し、プロ選手となり
21才と22才の時に「セリエAで2年連続得点王」になった。

当時の早熟の天才。世界的スターだった。

写真は、1964年東京オリンピックで得点王になった
ハンガリー代表、ベネ・フェレンツ。
この時の年齢が19才だった。

彼は5試合で12得点挙げ、
「大会新記録で得点王」になった。
ちなみにこの最多得点記録は未だに破られていない
(2018年現在)。

ちなみに彼は1964年東京オリンピックに参加する2ケ月前、
ユーロ1964年大会に参加し、19才で得点王に輝いた。
これは「史上最年少得点王」で、未だに破られていない。
彼も早熟の天才。世界的スターだった。

写真は、W杯1966年大会に参加した時のベネ。
この時の年齢が21才。
この大会で4試合に出場し、4戦連続ゴールの
大活躍をした。
この年は、世界ベスト・イレブンにも選ばれた。

ベネは次の1968年のメキシコ・オリンピックにはもう参加していない。
なぜなら、当時のオリンピックは若手の大会で、
23才のベネが出る大会ではなかったからだ。
「23才でもう出る必要のない大会」だったのが、
昔のオリンピックだ。
昔はそれぐらい若い選手が出る大会だった。

ベネが次のメキシコ・オリンピックに
出場をしていたら、
釜本の得点王などなかった。

日本が参加した「1968年メキシコ五輪大会は本当にレベルが低い」。しかし、日本のマスコミは商売する為、その真実を伝えない。だから日本人はアホのままだ。

当時のオリンピックは20才前後の下部組織の選手が参加してた大会。つまり「プロ契約できない2流が参加した大会」だ。一流のプロ選手はおろか、プロ契約済みなら10代の選手でも参加しない大会だった。

写真は
ハンガリー代表FW、アルベルト・フローリアン。

彼は1967年に欧州最優秀選手(バロンドール)
に選ばれた。
メキシコ・オリンピック前年、
欧州ナンバー・ワンになった世界的スターだ。
しかし、釜本が参加した
1968年メキシコ五輪には参加しなかった。

当たり前である。
当時の五輪は若手の大会だった為、
アマチュアでもアルベルトのような超一流は
大会参加しなかったのだ。
故に、東欧は全くこの大会に全力でない。
彼が参加していたら釜本の得点王などあり得ない。
ちなみにオリンピック準決勝で
日本はハンガリーに0-5で敗れた。
アルベルトが参加していたら
0-10ぐらいで負けていただろう。

写真は、ポーランド代表エース、デイナ。
10月開催なら参加しなかった24才のデイナは1972年8月ミュンヘン五輪に参加し、
9ゴールの得点王で、ポーランドは優勝した。
4年後のミュンヘン大会は
8月27日~9月10日開催だった為、
新シーズン開始直後でまだ都合がつくので
東欧のアマチュア国の主力が参加した。

つまり、釜本は
たまたまメキシコ五輪が10月開催だった為、
西欧、東欧、南米の名手が
一切参加しない幸運な大会となり、
目立てただけだ。

更に4年後の1976年モントリオール大会も
7月開催だった為、東欧の主力が参加し、
ポーランドのアンジェイ・シャルマッフ(26才)が得点王になった。

釜本ら日本代表が参加した大会は、西欧も東欧も南米もどこも本気ではなく、「どこも若手参加のレベルの低い大会」だ。それが当時の「東京、メキシコ・オリンピック」の実態である。

写真は、1970年代、日韓戦での釜本邦茂。

ちなみに日本は、釜本の得点記録を
FIFA基準無視をし、22点も増加させた。

同じ時代に、釜本と同じアマチュア選手で
オリンピックで得点王になったハンガリー、
デンマーク、ポーランドの選手は「五輪得点」を
1得点も国際Aマッチに含め、集計していない。

また韓国もきちんとFIFA基準を守り、
オリンピック関連の試合を得点集計してないが
日本は釜本の得点を勝手に
国際Aマッチの得点として集計した。

当時、オリンピック予選で、日韓戦が行われ、
韓国は日本戦を国際Aマッチにしてないが
日本は勝手に国際Aマッチ集計し、
釜本の得点を増やした。酷過ぎる。

日本代表11連敗。日本で3連敗した後にオリンピック直前にヨーロッパ遠征し、8連敗した。
日本は『最後に1番弱い地域アマ選抜を対戦相手に選び』、その試合だけ勝利。そして帰国した。
日本代表は本当に弱く低レベルなチームであった。せっかくヨーロッパに行ったのだから強化目的通り最後もまともな対戦相手(プロ・チーム)を選ぶべきだが、そうしていたら恐らく12連敗をして
連敗記録を更新し、全敗帰国していた事だろう。

  1968年                   [開催地]
● 5.23 アーセナル 1-3          日本  
● 5.26 アーセナル 0-1          日本     
● 5.29 アーセナル 0-4          日本     

● 7.18 ロシア共和国選抜 0-2       ロシア    
● 7.21 ゼニト 0-6            ロシア    
● 7.24 チェルノモレッツ 1-2       ソ連     
● 7.27 モルドバ 2-3           ソ連     
● 8.01 チェコスロバキア五輪代表 1-3    チェコスロバキア
● 8.03 リアス・ヤプロネッツ 1-3       チェコスロバキア 
● 8.07 ゴーアヘッド 2-5             オランダ     
● 8.13 ボルシア・メンヘングラッドバッハ 1-4   ドイツ 
○ 8.15 レウリング・バウゼン・アマ選抜  6-0   ドイツ

  10.4 オリンピック、初戦。

オリンピック直前に日本は史上最多11連敗を樹立し、
この11連敗は50年経った今でも破られていない。
そして、オリンピックで『プロ契約を勝ち取れない2流のユース選手達と試合』し、
やっと勝利を重ねる事ができた。
日本の銅メダルとはこの様なレベルの低い対戦相手だったから獲れたもので、
このオリンピック自体がひどく低レベルな大会であるが日本人の多くはそれを知らない。
この大会の試合をFIFAは国際Aマッチとしていないが、
日本は幾つかの試合を勝手に国際Aマッチと変えて記録集計している。
FIFAが「年齢が20歳前後の下部組織在籍選手ばかり参加」、「超低レベル」という事から
極めて明快な常識的見解により『国際Aマッチ大会に指定していない』のだが、
日本という国は頭がおかしい様で勝手に国際Aマッチにしている。
釜本は日本サッカー協会の顧問の立場を利用し、自分の記録を増やす為、
JFA幹部と仲の良い評論家と協力し、『作る必要のない日本独自の基準』を勝手に作り、
FIFA基準を否定し、自分の得点記録を22得点、勝手に増量している。

欧州遠征が1勝8敗(1勝は地域アマ相手)。前年の南米遠征が1分5敗。
世界の強豪地への遠征は通算1勝1分13敗。
オリンピックの銅メダルチームはプロにゼロ勝の超低レベルの力量で、
オリンピックがいかに低レベル大会かご理解できたと思う。

ちなみに釜本は対中東国戦は5試合1得点。
欧州ではアイスランド(人口30万の小国)にしか勝った事が無い。
釜本のようなFW待望論が言われるが負けの山を積み重ねるだけで
中東相手には点を取れず欧州の国にも勝てない。金星を呼び込むような活躍はした事がない。
釜本は”子供専門”のFWであり、対戦相手が大人だと活躍できずに敗戦の山を築き上げていた。
南米遠征では酷く全6試合無得点で帰国している。
本人は「欧州からオファーがあった」、「肝炎にかかった」と言っているが、
ピーク時でも南米でブラジル2部チームを相手にしても無得点で活躍できないし、
日本代表では11連敗の最悪の連敗記録を作っており、
外国の大人相手に活躍できるレベルの選手ではなかった。
実際、オリンピックの数年後に外国人解禁となりブラジル2部で出場機会を得られず
日本リーグに移籍して来たカルバリオという選手に
釜本のシーズン最多得点記録は塗り替えられた。
この事実から釜本の得点能力が世界と比較すればどれほど低いかは容易に想像できる事であろう。 現在、Jリーグの選手は、ブラジル1部から移籍して来る選手と得点王争いをしているが、
ブラジル2部で試合に出れない選手と競争していた釜本の方が
彼らよりレベルが上と言う人間がいる。
だから、日本には変な人間が多いのだろう。
「カルバリオは現在のJリーグでは移籍して来る事もできない」という事実が分からない、
アホな人間が日本には多いという事である。

つまり、1968年のメキシコ五輪というのは、           「大会前、11連敗するほど弱い国でも銅メダルを獲れる低レベル大会だった」という事だ。大人に勝てず、子供相手に勝ったという事だ。

FIFA基準だと三浦知良55得点、釜本53得点。
三浦がれっきとした日本1位である。
しかし、日本は、
勝手なJFA基準という独自基準を作り、
釜本の得点を22点も増やし、75得点にした。
そしてそちらを公式記録としている。
三浦ではなく、釜本が日本1位としている。
釜本は日本協会顧問なのでこれに関わり、
自分を1位にする為、
汚い事をした可能性が非常に高い。

ちなみに世界では、
世界210ヶ国中、約205ヶ国は
FIFA基準を遵守し、統計を取り、
公式記録を制作している。
日本はFIFA基準を無視し、
勝手な事をしている。
しかし、こんな酷い話を
日本国民の99%以上は知らないのだ。

左は、1970年代、韓国代表エースFWだった
チャ・ボングン。

韓国の最多得点記録、58得点を持っている(2018年現在)。
1976年モントリオール・オリンピック
アジア予選で、日本と韓国は対戦した。
チャ・ボングンと釜本はこの試合で得点した。
韓国はこれは五輪予選の試合なので
国際Aマッチ集計していない。
「チャ・ボングンの得点を
国際Aマッチ集計していない」。
しかし、日本は勝手にFIFA基準を否定し、
この試合での釜本の得点を
国際Aマッチ得点で集計した。

日本は同じアジアのライバル国との試合で
FIFA基準で国際Aマッチでないモノを勝手に
国際Aマッチ集計している頭のおかしさだ。

釜本のウィキペディアで「釜本の得点を80点とFIFAが認定した」と書いてある。あれはAthletaという執筆者が書いているデマである。こいつは本当に最悪で多くのデマを書き多くの日本人をだましている。

執筆者Athletaはath02という名前でも活動中だ。この男は    「統計機関は釜本の22点増加記録を支持した」と嘘を書いてる。   こいつ一人に何万人という人間がだまされている。本当に最悪だ。

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