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石破茂の9つの裏切りの歴史

ここぞとばかりに政権を批判する石破茂氏。狙いは次期総裁選の為であるのは明らかである。「後ろから撃つ」の裏切りスタイルは初当選からずっとである。石破氏の裏切りの歴史をまとめました。

更新日: 2018年04月13日

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渡り鳥のようにコロコロ党派を変え、人を裏切る人は信用におけません。これは森元総理が石破茂元幹事長に感じた事です。私も同意見です。人の上に立つには信用が第一ではないでしょうか。

石破 茂(いしば しげる、1957年(昭和32年)2月4日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(11期)、水月会会長。血液型はB型。

防衛庁長官(第68代・第69代)、防衛大臣(第4代)、農林水産大臣(第49代)、自由民主党政務調査会長(第52代)、自由民主党幹事長(第46代)、内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域)、内閣府特命担当大臣(地方創生)、さわらび会会長、無派閥連絡会顧問、自民党たばこ議員連盟副会長などを歴任。

父は、建設事務次官、鳥取県知事、参議院議員、自治大臣などを歴任した石破二朗。

所属政党(自由民主党(渡辺派)→)(改革の会→)(自由改革連合→)(新生党→)(新進党→)(無所属→)自由民主党(渡辺派→額賀派→無派閥→石破派)

裏切り①父の死後、父の友人田中角栄を裏切り中曽根派から立候補

1982年に成立した中曽根内閣を田中はコントロールしようとしており、手駒であった石破二朗の死去後の鳥取の地盤も田中の影響下にある人物に後継させたいと考えていた。そこで、当時三井銀行員であった25歳の石破茂に目をつけ、銀行を辞めさせ、田中派の木曜クラブ事務局に囲い込んだ。
しかし、親米保守派の元海軍軍人の中曽根康弘は徐々に田中のコントロールから離れ、1983年末には田中に事実上の決別宣言をしている。このとき、軍事オタクの石破茂は元軍人のタカ派である中曽根側につき、1984年9月の自民党総裁選を前に木曜クラブを退職している。翌1985年田中は脳梗塞で倒れ事実上政治的な力を失った。
中曽根派について上手く立ち回った石破茂は、1986年の衆院選で初当選し、まずは農水族として地盤固めを行うことになる。

父の死後、二朗の友人であった田中角栄から「おまえが(おやじの後に)出ろ」と薦められ、政界入りを志した。
石破茂氏は田中角栄の最後の教え子とされてきました。当然田中派からの出馬であると思われたのだが、当時の田中角栄はロッキード事件の影響で表舞台での影響力は衰えていて田中角栄のコントロールから離れた中曽根派の幹部であった渡辺美智雄を頼り、中曽根派から立候補した。
1986年、第38回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で鳥取県全県区(定数4)から出馬し、得票数は最下位ながら4位で初当選した。当時28歳で、全国最年少の国会議員であった。

裏切り②1993年自民党が下野した際に離党

石破氏は、自民党が下野するきっかけになった1993年6月の宮沢喜一内閣に対する内閣不信任案に賛成した。解散総選挙後に成立した細川護煕内閣が、同年11月に提出した小選挙区制の導入などを柱とした「政治改革4法案」にも賛成し、役職停止処分などを受けた。当時の自民党幹事長は森喜朗元首相。その後、自民党を離党し、小沢氏らの新進党の結成に参画した。

 自民党ベテラン秘書は「石破氏は自民党が野党のときに出ていき、与党のときに戻ってきた。つまり『裏切り者』だ。

森氏には「(石破氏は)『こんな党にいても何もできない』とたんかを切って出て行った」と個人的な恨みが深い。

『自民党が野党に転落すると、 立て直しに四苦八苦する森喜朗幹事長に 「私はね、政権与党にいたいんです。自民党の歴史的使命は終わった」 と捨て台詞をはき離党届。 』このやり取りは有名ですね。これこそ石破茂氏の本性でしょう。

裏切り③真の改革者と称賛し小沢一郎と新進党結成に合流するも離脱

石破茂前政調会長は、新進党で小沢一郎元代表と行動を共にしていながら、新進党党首選挙で、羽田孜元首相に味方し、小沢一郎候補と敵対した。すると、小沢一郎元代表に電話しても出てもらえなくなったことを恨んでいるが、これは当たり前のことだろう。裏切り者と電話で何をしゃべろうというのか。そんな恨みごとを言うようでは、石破茂元政調会長は甘すぎる。敵は敵なのだ。これを恨んで、逆襲するというのは、あまりにも自己中心的すぎる。

小沢氏らと動きを共にしながら新進党に所属したこともあったんだけど、小沢氏が打ち出した、国連を重視した安全保障政策に反発。

この話も初当選の時と似てますよね。
小沢一郎=田中角栄
羽田孜=中曽根康弘
全く同じパターンです。気に入らなければ平気で人を裏切る人なんですね。

裏切り④拾ってくれた人を裏切る

自民党に復党するも誰も相手にされず、伊吹文明が「石破君は仕事のできる人だから」と情けをかけて伊吹派に入れてあげるも、その後に入閣すると「閣僚が派閥に属するものはいかがなものか、派閥は旧態然としていると思いますよ」の捨て台詞で伊吹派を離脱。

裏切り⑤麻生政権の閣僚を務めていながら麻生おろしに加担

首相のこの人事方針を後押しした人物がいた。麻生太郎副総理兼財務相だ。「石破外し」と「谷垣幹事長起用」を早くから進言していた麻生氏には、二〇〇九年七月、麻生内閣の農相でありながら「麻生おろし」に加担した石破氏への強い不信感があった。

7月16日、反麻生勢力は署名128人を上回る133人を集めたと発表。署名した人物には与謝野馨財務大臣や石破茂農林水産大臣といった衆議院解散の閣議決定に必要な国務大臣2人も含まれていた。

麻生政権の閣僚を務めていながら、支持率低迷で総選挙が近づくと総理官邸に乗り込み、「後任は麻生さんが指名すべきだと、私は思うわけです」と謎の論理を展開して麻生おろしに加担。

裏切り⑥自民党支持者を裏切る。

民主党からの政権奪還を目指した自民党総裁選で安倍晋三と総理を争い、敗れて幹事長に在任期間中、地方選挙で連戦連敗。

裏切り⑦地方を裏切る。

安保関連法担当大臣を任せたいと言われるも、面倒くさそうなので、屁理屈をこねて固辞。代わりに受けた地方創世担当で実績を残せないどころか既得権益に配慮して加計学園問題で地方見殺し

2014年9月3日の第2次安倍改造内閣発足に先立ち、安倍は石破に対し、新設する安全保障法制担当大臣への就任を打診していたが、石破は8月25日にラジオ番組に出演し、安保法制担当相への就任を辞退する意向を明言し、内閣改造後も引き続き幹事長職に留まりたい意向を表明した。しかし、日刊スポーツによると、「幹事長が公の場で人事の希望を言うなど前代未聞」等、石破に対する批判が高まり、自民党参議院幹事長の脇雅史は「個人の見識があるのは当然だが、内閣、組織の意向に従うのが常識だ」と苦言を呈した。安倍はさらに、挙党体制の確立のため石破に安全保障法制担当相以外での入閣を打診し、8月29日に正式に会談した際、石破もこれを受け入れた。9月3日に発足した第2次安倍改造内閣では、内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域)及び「元気で豊かな地方の創生のための施策を総合的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」を担当する国務大臣(地方創生担当大臣)に任命された。

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