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報道されない地下鉄サリン事件の真相

日本の犯罪史上、最多の被害者を出した地下鉄サリン事件。既に裁判も終わり、死刑執行も間近いと言われていますが、明らかになっていないことが多々あります。捜査に関わった当時の警察官や自衛官からは、裁判では全く触れられなかった、背後関係を疑わせる発言も出ています。そのことについて、まとめてみました。

更新日: 2018年05月22日

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サリンプラントでの製造に関する弁護側の尋問を、裁判所は制限

なぜ、裁判所は、サリンプラントについての弁護側証人尋問を制限したのであろうか。

建設されたサリンプラントでは、実際にはサリンは製造されなかったとされる。サリン製造が可能だったとする検察側主張について疑いをかけたい弁護側は、詳細な尋問を繰り返した。
(中略)
阿部裁判長も「(証人が)できた、と言っているんだからいいじゃない」と意見した

出典朝日新聞2001年1月31日

サリンが入っていたとされる容器をめぐる疑惑

事件直後の警察の発表と、しばらくしてからの発表では、サリンの容器の材質、形状、個数に違いが生じている。客観的事実がなぜ、変わってしまうのか。

6個の容器がいつの間にか5つに

地下鉄サリン事件翌日の報道では、容器の数は6つとなっていた。

5本の電車から不審物6個

出典毎日新聞1995年3月21日

しかし、事件から2日経つと5つに減っている。

5車両から、5個

出典読売新聞1995年3月22日夕刊

ガラス容器がナイロン袋に

東京・営団地下鉄の車内で有毒ガスが流出した地下鉄サリン事件で、車内に残されていた不審物は、複数の薬品をそれぞれ溶剤に溶かして試験管のようなガラス製容器に詰め、容器を割って混合させるとサリンが発生する構造だったことが二十二日までの警視庁捜査本部の調べで分かった。
 調べでは、不審物のいくつかは平べったい弁当箱大の包みにおおわれ、内部から割れたガラス片が多数見つかった。形状から試験管大のガラス容器とみられる。また日比谷線霞ヶ関駅の電車からはガラス瓶を押収した。一方、別の日比谷線の電車では、異臭がする直前に、乗客がガラスの割れる音を聞いていた

出典毎日新聞1995年3月23日

築地駅では車内の床に流れていた液体と、散乱した透明の瓶の破片をそれぞれ押収した

出典産経新聞1995年3月21日

計11個の特殊なビニールの容器

出典読売新聞1995年3月31日

マスタードガスもまかれた?

事件直後には、びらん性ガスも検出されていたが……

日比谷線小伝馬町駅構内で同部隊(陸上自衛隊の化学部隊)のガス検知器が、神経ガスではなくびらん性ガスを検出した

出典日本経済新聞1995年3月21日

防衛庁に二十日夜入った情報によると、東京都内で発生した有毒ガスのうち、営団地下鉄日比谷線の小伝馬町駅のガス残留物はサリンではなく、化学兵器のびらん性ガスとして用いられるマスタード系の有毒ガスの可能性があるという。

出典産経新聞1995年3月21日

裁判では、マスタードガスの話は、取り上げられることはなかった。

麻原有罪の根拠となった、リムジン謀議は実はなかった

麻原彰晃の地下鉄サリン事件の有罪の決め手となったリムジン謀議。裁判が行われている当時は、諜報省長官の井上嘉浩が、リムジンで麻原が地下鉄にサリンをまく指示をしたと証言していた。

井上被告はこの日も車中謀議について「松本智津夫氏(麻原被告)が地下鉄にまくのはサリンじゃないとだめだと言った」と話すなど、麻原被告の事件への関与を強調する証言を行った。

出典産経新聞1996年11月22日夕刊

しかし、裁判終了後、その証言を撤回。

「実はリムジンでは、たとえサリンで攻めても強制捜査は避けられないという点で終わったのです」とNHKに宛てた手書きの手紙の中で、暴露。その手紙は、NHKスペシャル『未解決事件 File.02』で放映されている。

では、一体、誰が、何のために地下鉄にサリンをまくことを、どうやって決めたのか?
地下鉄サリン事件の出発点が分からない状態に。

麻原が喋ると不都合な真実が出てきた?

麻原を隔離しよう、喋らせないようにしようとしている当局の姿勢があちこちで垣間見られる。これは何を意味するのだろうか。

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