1. まとめトップ

8年間地下室に閉じ込め強姦三昧..オーストリア少女監禁事件の全貌

10歳だったナターシャさんは、オーストリアで8年間監禁された。

更新日: 2018年11月06日

0 お気に入り 91358 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

firk12さん

ウォルフガング・プリクロピル

■誘拐・8年間の監禁

10歳だったナターシャさんは登校中に、無職のウォルフガング・プリクロピルに拉致され、バンの中に押し込められた。

プリクロピルは、自宅のガレージの下に掘った6平方メートルに満たない地下室に彼女を閉じ込めた。

出入口は、金庫で塞がれていた。幼いカンプシュさんには「ドアや窓には爆弾が仕掛けてある」と伝えた。また、両親は彼女のことを忘れたとも言い聞かせたという。

数年間、暴行し、食べ物もごく少量しか与えなかった。

何日も食べ物を渡さない日もあった。

ナターシャさんが思春期を迎えた後は強姦を繰り返した。  

当時の様子を振り返り、「叫ぶことはありませんでした。私の体が叫べなかったのです。でも無言で叫んでいました」と述べた。

プリクロピルは彼女に多くの本を与え、教育していた。

また、彼女はラジオを聞き、テレビも見ていた。誘拐後数年間、彼女は犯人の名前を知らなかったが、彼女にとって彼は父親のような存在で、基本的なことから生理用品の使い方に至るまで何もかも教えられていた。

監禁から8年経ち、ナターシャ18歳になると、ナターシャはプリクロピルのすぐ傍ではあったが、外出が許された。

ただし、声は一切出すなと言われていた。
ある時、ちょっとした声を出した事があり、その直後、プリクロピルはナターシャの首を掴み流し台まで引っ張って行き、頭を水に押し込んで気を失いそうになるまで首を絞めた。

■逃走

2006年8月23日、逃走の機会が出来た。

掃除機を使って車内の掃除を命じられた際、男が携帯電話に出て掃除機の騒音がうるさくて車を離れたわずかな隙に、隣家に逃げ込んだ。

何年もの間、これほど全力で走ったことはなかったが、郊外の住宅の庭を200メートル駆け抜け、フェンスを飛び越えた。

初めは通行人に警察に電話してもらえるよう頼んだのだが、信じてもらえず、5分後、辿り着き必死に窓を叩いたのが、71歳の女性の家であった。

「私の名前はナターシャ・カンプシュ。私のことを聞いたことがあるはずです」 ――

■男の自殺

保護されたナターシャは、健康状態は良好であった。

ただ、体重が48キロしかなく、栄養失調の為、誘拐されてから15センチしか伸びてなかった。

警察はすぐにプリクロピルを探したが、プリクロピルは、ウィーン北駅の近くで、走行している列車に飛び込み死亡した。

プリクロピルが列車に飛び込んだ事を聞いたナターシャは、監禁されていた時に「生きて俺を逮捕することはない」と語っていたと発言する。プリクロピルはナターシャに逃げられた場合は最初から死ぬ気だったと思われる。

ただ、ナターシャはプリクロピルが死んだ事を聞くと、悲しみ、その死を悼んだ。

また、警察の取り調べでは、プリクロピルに対して親近感を表し、好意的であった。
警察はこれを『ストックホルム症候群』ではないかと判断した。

■ナターシャさんのその後

自伝を出版し、複数のテレビのインタビューにも応じ、今年初めには自分の体験をベースにした『3096日』という映画もリリースされた。

両親とは「疎遠になった」という。

現在はウィーンの自宅で蘭の花やペットの金魚と一緒に過ごす。テレビで好きなのは刑事ドラマだという。

教育も受けられなかったため、教育課程を終わらせ、金細工の技術を身につけようともしたが、続かなかった。

それでも2011年には、自伝の印税と寄付金を使ってスリランカに小児病院を建設した。

「脱出することによって、私は自分を迫害していた人間から逃げることができた。それと同時に、いや応なく近くにいた人を失った」

「私を殴り、地下室に閉じ込め、餓死寸前まで追い込んだ男が求めていたものは、誰かに抱きしめてもらうことだった」

・関連まとめ

1 2