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東京大空襲で米軍が10万人を大虐殺!史上最大の東京ホロコーストから米軍の植民地になる日本の惨状

東京大空襲のホロコーストで大量虐殺が行われ、多くの日本人が殺されました。多くの日本人が虐殺された後で、復興と称して、戦後の日本がアメリカの植民地となりました。大量の日本人を虐殺した人物として、ヘンリー・アーノルド大将の名前があげられます。

更新日: 2019年04月14日

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米軍は、東京全体を巨大なガス室に見立てて、1日で10万人の一般市民を虐殺しました。

misukiruさん

早乙女勝元によれば、空襲としては史上最大規模の大量虐殺とされる。

◆東京で行われた民間人の虐殺

焼夷弾の集中豪雨の前には、バケツリレーどころか消防車も何の意味も果たせず、むしろ消防車も火炎(かえん)に包まれ、消防士もろとも丸焼けになってしまいました。

空襲の現場では、巨大な炎が突風に押し流されて街を走り回り、渦を巻く現象※があちらこちらで起きました。

◆日本人を虐殺する方法を分析

アメリカ軍は早くから江戸時代に頻発した江戸の大火や1923年の関東大震災の検証を行い、火元・風向き・延焼状況・被災実態などの要素が詳細に分析

人口密度・火災危険度・輸送機関と工場の配置などの要素が徹底的に検討され、それを元に爆弾爆撃有効度が計算されて一覧表が作成

炎に酸素を奪われて窒息によって命を奪われた人々も多かった。焼夷弾は建造物等の目標を焼き払うための兵器だが、この空襲で使われた焼夷弾は小型の子弾が分離し大量に降り注ぐ

◆大量虐殺者ヘンリー・アーノルド大将

日本人を10万人以上大量虐殺した人物として知られています。

1943年8月27日、アメリカ陸軍航空軍司令官ヘンリー・アーノルド大将は日本打倒の空戦計画を提出、日本都市産業地域への大規模で継続的な爆撃を主張

警視庁の記録では、焼失家屋26万717戸、罹災者(りさいしゃ=被災者)100万8005人、負傷者4万918人、死者8万8793人(または8万3793)人とあります。

◆逃げ場などなかった大虐殺。

警防団と思われる焼け焦げた遺体の山。死者・行方不明者は8万人、民間の調査では10万人以上といわれている。(石川光陽撮影 Wikipadia)

人々は逃げ場所を追い求め走り回りますが、街中が火の海で、上からは旋風に巻き上げられたトタンや桶や瓦など様々な物が落ちてきました。

鎮火後の街の風景(石川光陽撮影 Wikipadia)

逃げ込んだコンクリート建ての頑丈と思われた建物も、周囲からの熱で建物内部の可燃物が燃え出し、逃げ込んだ人々の服や荷物も熱によって自然に発火

◆東京の大虐殺

1945年3月の寒い、風の強い夜、なんの前ぶれもなくやってきたB29爆撃機の大軍のために、焼夷弾で町中が焼かれ、わたしは母親と、母親が縫って作ってくれた人形をもって、無我夢中で逃げました…

◆東京23区のほとんどが焼け野原

1945年3月から5月にかけての空襲で東京市街の50%を焼失した。また、多摩地区の立川、八王子(八王子空襲)なども空襲の被害を受けている。

◆日本政府は、空襲に耐えろと発表

1日10万人を巨大なガス室で虐殺した。

家族と自宅を失って慟哭する国民に対し、「空襲に耐えろ」「一時の不幸に屈するな」と呼びかけている。

2日後には名古屋、その翌日には大阪が大空襲の被害を受けた。いずれも約280機の爆撃機が襲来して猛烈な被害を生じた。

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