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伝説の登山家である『植村直己』の生涯。マッキンリーで消息を絶つ最後

伝説の登山家である『植村直己』は、登山好きであれば、知らない人がいないほどの存在です。冬のマッキンリーで消息を絶って以降、発見されていません。

更新日: 2018年06月15日

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misukiruさん

1984年2月12日、43歳の誕生日に世界初のマッキンリー冬期単独登頂を果たしたが、翌2月13日に行われた交信以降は連絡が取れなくなり、消息不明となった。

◆兵庫県の農家に出生

1941年2月12日、兵庫県城崎郡日高町(現豊岡市)で、植村藤治郎・梅夫妻の末っ子として生まれる。実家は農家。

◆明治大学に入学して登山に没頭

兵庫県立豊岡高等学校卒業後、豊岡市の新日本運輸(現在は廃業)に就職。翌1960年に明治大学農学部農産製造学科に入学、山岳部へ入部してからは登山に没頭。

1965年明治大学のゴジュンバ・カン(チョ・オユーII峰)登頂隊に途中参加、4月23日登頂を果たした。

◆アメリカに乗り込む

アルバイトで貯めた4万円(110ドル)を持ち両親や友人の反対を押し切って、1964年5月2日に横浜から移民船「アルゼンチナ丸」に乗り込み、アメリカ・ロサンゼルスへ向かいました。

観光ビザで入国していた植村は、アメリカでの労働は禁止されていたのです。英語を話せないふりをしていると、日系2世の通訳が現れ、アルプスの山を登りたいと熱く語った植村は、なんとか強制送還を免れることができました。

◆登頂を次々と成功させる

1966年7月モンブラン、続いて7月25日マッターホルン単独登頂に成功。10月24日アフリカ最高峰キリマンジャロの単独登頂に成功。

1970年8月26日、エベレスト登頂の勢いを借りて再びマッキンリーに挑戦し単独登頂を成功させ、この時点で世界初の五大陸最高峰登頂者となった。

◆冬のマッキンリーで最後

かつて「探検家になるために必要な資質は臆病者であることです」と持論を語っていた植村が、悪天候のため雪洞で待機中に「何が何でもマッキンレー、登るぞ」(2月6日)と記すほど焦っていた。

1984年2月12日、43歳の誕生日のこの日、植村は世界で初めてマッキンリー冬期単独登頂を果たし、山頂付近に日の丸を建てた。ところが翌13日に行われた交信以降は連絡が取れなくなり、下山途中で消息不明となってしまう

◆植村直己冒険館の展示

植村直己さんはふるさとを愛し、冒険に使った数多くの装備品や世界各地で集めた品々を故郷に残してくれました。植村直己冒険館は、これらの装備品や冒険行の記録映像、世界各地からふるさとへつづった絵はがきなどを展示

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