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増え続ける【 #西城秀樹 論】―その功績、伝説―

1970年代からの歌謡曲全盛期にTOPアイドルだった西城秀樹。が、彼にはそんなアイドルという枠だけではおさまらない、数々の伝説が。訃報後に初めて知る世代の中には、当時の動画に衝撃を受け、カッコイイ!歌ウマ!セクシー!もっと早く知りたかった(T^T)という悲痛な叫びも。

更新日: 2019年09月02日

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この記事は私がまとめました

訃報から月日が経つにつれ、WEBに増殖し再燃する西城秀樹熱についてまとめました。

sunsun7さん

日本の音楽史に残るアーティストの功績を音楽的な側面からたどる本連載。初回で取り上げるのは、5月16日に死去した西城秀樹だ。“ヒデキ”が歌謡曲史に残した爪痕を、2回に分けて振り返っていく。

日本人の多くが“ヒデキ”と聞いて思い浮かべるのは、西城秀樹だと言っていいだろう。彼のような人はもう二度と現れない……その活躍を見届けてきた人ならば誰しもがそう思うスーパースター。間違いなく彼はそうだった。

歌謡曲華々しき時代を駆け抜け、孤高でありながらもお茶の間を通じていつもその存在を身近に感じさせてくれたスーパースター西城秀樹。彼を失った喪失感は思っていた以上に大きい。しかし、1つや2つのヒット曲だけでは語り尽くせない彼の偉大なる足跡をこの先の世代にも伝えていくことで、ヒデキの歴史にまた新しいページが刻まれることになるだろう。

絶妙な総合チャートを作り、視聴者をテレビに釘付けさせた『ザ・ベストテン』。他の誰も通り抜けられなかった難関を乗り越えた西城秀樹さんは、まさに国民的スターだったのだ。

5月16日に西城秀樹さんが逝去してから、2か月が経つ。抜群の歌唱力と派手なアクションで人々の心を掴んだ西城さんを惜しむ声は今も絶えない。

TBSで『ザ・ベストテン』の特番を行ない、西城さんに記念の椅子をプレゼントしたらどうでしょうか。

『ザ・ベストテン』は様々な場所から中継を行なっていることもあり、時代の空気を感じ取れる。版権の問題があることは承知していますが、貴重な映像資料として絶対に後世に残すべきだと思います」

昭和歌謡界の革命児 西城秀樹と桑田佳祐 (1/2ページ) 酒井政利 時代のサカイ目

『ブームとなっている昭和歌謡だが、昭和歌謡はいくつかの時期に分けられる。その節目のひとつが70年代の青春歌謡、ロック歌謡。その先頭で時代を引っ張っていたのが新御三家の次男といわれた #西城秀樹 だった

『酒井政利 時代のサカイ目』
夕刊フジ 2018.6.6

出典ironna.jp

豪雨の中、コンサートで熱唱する西城秀樹=1979年8月24日、 後楽園球場

西城秀樹さんがアイドルの世界でやったことは、画期的に新しいことだった。

世間は「新御三家」などと据わりの良い言葉で西城秀樹という現象を整理しようとしていたが、そこにあったのは今まで見たことがない明るい「大彗星(すいせい)」の登場だったのである。

出典ironna.jp

1975年11月、「日本歌謡大賞」のノミネート歌手発表会で熱唱する西城秀樹さん

西城さんは、自由で元気で明るい1970年代以降の日本文化の象徴だった。これほど年齢性別問わずに愛され、時代とともに生きてきたスターが日本の大衆文化を作り、私たちの考え方や生き方にも影響を与えてきたのである。

同世代の人たちは、まるで兄弟が突然亡くなったような驚きと悲しみを味わっただろう。

芸能人が亡くなっても、ちょっと驚くだけで、心底悲しいと思ったことがなかった私だが、西城秀樹の死はかなりこたえた。テレビに西城秀樹の映像が写るだけで悲しくて悲しくてしかたがない。 不思議なのは私は若い頃、西城のファンでもなんでもなかった、ということだ。レコードは一枚も買わなかった

特にヒデキファンというワケではなく、突然の訃報に接する直前まで正直西城秀樹のことは1㎜も考えたことがなかったのに、この知らせは予想外に堪えた。何なんだ、これは?

生前は特に西城秀樹さんのファンでもなんでもなかったのに、亡くなってからずっと西城秀樹さんのことばかり考え続け、ついに西城秀樹さんをめぐる無駄に長い文章を書いてしまいました。 どうしてそこまで?と思った方は、西城秀樹さんの動画を探して観てください。 pic.twitter.com/TMAf6u5H7K

西城秀樹はただのアイドルではなく、自ら開拓するアーティスト、時代の先駆者だった。

その昔、「みんながどこにいるのかステージからは見えないので、家から懐中電灯(!)を持って来て自分達の場所を教えてほしい」と西城秀樹さんがおっしゃったことがペンライトができるきっかけになったので、今、サイリウムやらキンブレやらを振っている人達はみんな敬意を表するといい

現在、男性アイドルといえばジャニーズのアイドルを連想する人が多いと思われるが、実は日本の男性アイドル像が確立される中で最も大きな役割を果たした一人が、ジャニーズではなく、芸映プロダクションに所属していたヒデキだったのだ。

ヒデキがいなければ、日本のアイドル文化はどうなっていただろうか。

大村「秀樹さんは1974年、大阪球場で野外ライブを行いました。野球場でライブというのも、西城さんが先駆けと言われています。写真では、ファンの方がペンライトを振っているように見えますが、当初はこれ、ペンライトじゃないんです。ラジオで“観客のみんなが見えるように、懐中電灯を持ってきて”とファンの方々に声を掛けたのがきっかけだったそうです。その翌日のライブでは皆さん懐中電灯をかざして、それに対して秀樹さんは“初めて見る観客の光は幻想的だった”とのちにお話されています。この懐中電灯が、今のペンライトになったんです」

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