人生これから。実は「遅咲き」だった成功者たち

人生まだまだ捨てたもんじゃないかもしれない。日清食品の創業者「安藤百福」氏は48歳でチキンラーメン、61歳でカップヌードルを開発するなど年を重ねても飽くなき挑戦を続けました。また、あの「本田宗一郎」氏も、世界のホンダを創業したのは40歳。遅咲きでも、夢を掴んだ成功者達をまとめています。

更新日: 2018年06月10日

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あのカップヌードルを61歳で開発

(さらにその後、)頼まれて理事長になった信用組合が倒産。その責任を問われて全財産を失うことに

彼は「やっぱり食が大事。食がなければ、衣も住も、芸術も文化もあったものではない」と、全くノウハウも無い食品の開発に着手(※)

※当時47歳でのスタート。開発成功までは丸1年休みなく、1日平均4時間という睡眠時間の中で研究を続けた。

たった一人で試行錯誤しながら、天ぷらの原理を応用した麺の開発に成功し、世界初のインスタント麺「チキンラーメン」が完成

様々な栄養成分が含まれていることから“魔法のラーメン”と呼ばれ、爆発的なヒットに。

チキンラーメンを紙コップに入れてフォークで食べるアメリカ人から発想を得て、紙コップで手軽に食べられるラーメン「カップヌードル」を完成

91歳となった時には、宇宙でも食べられるラーメンの陣頭指揮に立ち、4年をかけて宇宙ラーメン「スペース・ラム」を完成

後に改良品が、JAXA宇宙日本食に認証される。

氏はこんな言葉を残している。「人生に遅すぎることはない。チキンラーメン発明にたどりつくために、私には48年の歳月が必要だった」

過去に「人間休業」をしたことも

日本が太平洋戦争に突入すると、戦争での空爆と三河地震によって、工場は壊滅的な打撃を受けることに

彼は会社の持ち株を45万円でトヨタに譲渡し、闇酒のどぶろくを作って飲むばかりの生活を送る

1945年、終戦の年に「人間休業」を宣言。約1年間、まったく仕事をせずに無職の時代を過ごす

この1年間は昼は将棋、夜はドラム缶1本分もの酒を仕入れ、友人を招いて毎日のように騒ぎ続けていた

氏にとっては、自身を振り返る時間となり、この無職時代が大きな転換となる。

1949年に3馬力のD型エンジンを搭載した本格的二輪車ドリーム号を発売したが、売れ行き不振で資金繰りが悪化

※後に本田技研の副社長となる、本田宗一郎の右腕。稀代の名参謀と呼ばれていた。

通産省の竹島氏の紹介で、運命的な出会いを果たす。

追い込まれたホンダに入社して危機を救ったのが、藤澤武夫だった。“経営の藤澤”と“技術の本田”のコンビで会社を成長させていくことに

(その後)四輪自動車への進出を宣言したのが、1963年の時。皆が知るような現在のホンダという大企業になったのは、それからさらに進んで本田が60代になってから

【これまでの経験から本田氏は…】
「人間が進歩するためには、まず第一歩を踏み出すこと。長い目で見れば人生にはムダがない。」と話している

「初恋の味」のきっかけはモンゴルに

寺出身で仏教を学んでいたが、宗教者には向いていないと悟ったのか、知人の紹介で中国大陸に渡って事業を開始することに。

※中国で、清朝を倒し中華民国を建てた革命(1911年)。

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