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警察官の未成年息子が殺人犯!匿う警察の失態...栃木リンチ殺人事件

集団リンチに加え、728万円を脅し取った殺人犯は警察官の息子だった!警察への不信感が一気に増加した事件。

更新日: 2018年09月29日

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firk12さん

●栃木リンチ殺人事件

1999年12月4日に栃木県で発覚した複数少年らによる拉致・監禁・暴行・恐喝・殺人・死体遺棄事件。

被害者を連れまわして暴行を加え多額の金銭を奪い、被害者家族が警察に相談していることを知るとを殺害に及んだという凶悪・凄惨な少年犯罪。

また被害者の両親から9回も相談を受けながら拒絶し続けた栃木県警察の不手際も世論に衝撃を与え、国民の警察不信の一因となった事件。

●おとなしい被害者を標的に

栃木県警警部補を父に持つ萩原克彦(当時19歳)は幼いころから粗暴な行為が目立ち、通信制の高等学校を退学した後は暴走族に入り、恐喝や傷害などの事件を度々起こしていた。

萩原は日頃から、会社員の梅沢昭博 (当時19歳、日産自動車栃木工場勤務)・無職の村上博紀(当時19歳)から金を巻き上げていたが、やがて梅沢は会社の同期で性格がおとなしい須藤さんを身代わりにたてることを思いついた。

そして1999年9月29日、梅沢が須藤さんを電話で呼び出すと、萩原らは須藤さんを拉致し、サラ金から次々と借金をさせて、自分たちの遊興費にあてた。

9月下旬から4人は須藤さんを殺害するまでの約2ヶ月間(正確にはDだけが11月26日から参加)、宇都宮市内のラブホテルや 都内の渋谷のホテルを転々としながら正和を監禁し、丸坊主にしたうえ、眉をそり落とし、顔や腹を殴る蹴るの暴行から「熱湯コマーシャル」「火炎放射器」な どと犯人らが名付けた凄惨なリンチへとエスカレートさせていった。

須藤さんがサラ金から借金を拒絶されるようになると、今度は須藤さんの知人や友人から金を借りさせ、およそ2ヶ月にわたって連れまわした。

●警察に捜査を求める両親

須藤さんの失踪に不審を抱いた両親は栃木県警石橋警察署(現・下野警察署)に捜査を依頼するが、応対した担当官は

「仲間に金を分け与えて、面白おかしく遊んでいるんだろう」

などと両親を突き放し、まったく取り合おうとはしなかった。

その後両親は石橋警察署だけでは埒が明かぬと加害者の逮捕までに宇都宮東警察署、宇都宮中央警察署、黒羽警察署(2006年、大田原警察署へ統合)栃木県警本部にも捜査を懇願し続けたが、その一切が拒否された。
そこで、両親は独力で、須藤さんが監禁・暴行されている事実をつかみ、犯人グループに梅沢と村上がいるということを突き止めた。しかし、それでも石橋警察署は全く動こうとはしなかった。

須藤さんが勤務していた日産自動車も梅沢の証言を鵜呑みにして、「須藤さんが嘘を言っていると思われる」との見解を示した。しかし梅沢は社内でも札付きの存在に対し、須藤さんは欠勤すらない真面目な社員であり、また社内の評判も良かったことからこの対応は不自然であるとし、ジャーナリストの黒木昭雄は、ここから日産による事件隠しではないかと推察している。

●変わり果てた姿

やがて、須藤さんから両親のもとに、たびたび金を無心する電話がかかるようになり、両親は須藤さんの安全のために金を振り込み続けた。

その金を銀行に下ろしに来たSの姿が銀行の防犯ビデオに映っていた。

ビデオに映っていた須藤さんは、髪を丸坊主にされ眉をそり落とされ、火傷や殴られた跡があり失踪前とかなり異なっていた。

銀行の関係者は「須藤さんの後ろに複数の男たちがついていました。いつでもビデオを証拠として提出する用意があるので警察に相談してください」と須藤さんの両親に勧め、両親は再び石橋警察署を訪れ、ビデオテープを証拠品として銀行から取り寄せるよう依頼した。

しかし、石橋警察署の署員は「裁判所の許可もないのにそんなことできない」と再び突き放した。

その際、須藤さんから両親の携帯電話に電話がかかってきた。

須藤さんの父親は事態が逼迫していることを理解してもらうべく「お父さんの友人がいるから」と友人に見立て、警察官に携帯電話を渡した。

しかし、その警察官が「石橋署の警察官だ」と名乗ってしまい、電話は切られた。

●警察官の言葉をキッカケに...

左から警察官息子で主犯の萩原、梅沢、村上

警察官は「あ、切れちゃった」と言って、携帯電話を父親に返したという。

一部では、萩原らはこの出来事によって警察の捜査が自分たちに迫っていると考え、須藤さんの殺害を決意したのではないかという見方がされている。

のちにこの刑事の不用意な発言が須藤さんの殺害計画のきっかけとなったことが裁判で認定された。

1999年12月2日、犯行に途中から加わった高校生のD(当時16歳)とともに萩原らは、須藤さんを紐で首を絞め殺害した。

そして市貝町の山林に埋め、死体を埋めた穴にコンクリートを流し込んだ。死体を埋めるコンクリートやベニヤ板、スコップ、砂利を調達するのに使われたのは、須藤さんの最後の給料だった。

このとき須藤さんは退職扱いとなっていた。死体を隠した後、萩原らは「十五年逃げ切ればいい(当時の殺人罪の公訴時効が15年であるため)」と、『追悼花火大会』と称して花火で遊ぶなどしていた。

しかし、良心の呵責に耐えられなかったDが12月4日、警視庁三田警察署に自首し、事件が発覚。警視庁は早速、三田警察署内に捜査本部を設置し、Dの証言にもとづいて須藤さんの遺体を発見。翌日警視庁は萩原・梅沢・村上を逮捕した。

●無期懲役判決

萩原・梅沢に求刑通り無期懲役。村上に懲役5~10年の判決を下した。

出典黒木昭雄 『栃木リンチ殺人事件―警察はなぜ動かなかったのか』

自首によって事件解決のきっかけをつくったDは酌量が認められ少年院送致となった。

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