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【#NBA】背番号の代表選手まとめ(伝説の選手、現役選手、永久欠番)#NBAjp

神様・ジョーダンの「23」、ジャバーの「33」など…背番号 0(00)~99まで、それぞれの番号を代表する選手をまとめました。※随時更新

更新日: 2019年04月24日

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hakatanotoraさん

NBAでは、0(00) - 99番まで使用可能である

NBAでは、0(00) - 99番まで使用可能である。ただし、56以上の番号を使用するにはリーグの許可が必要であり、また同じチーム内に00と0番を着ける選手がいてはならないという条件がある。また、チームを移らずに背番号を変更する際は、同じチームで最低4年間は同じ背番号を着け、期限までにリーグに申請を行う必要がある。そして、新しい背番号は最低3年間着けなくてはならない。

背番号:『00』

大学卒業後、1976年のNBAドラフトの1巡目全体8位でゴールデンステート・ウォリアーズに指名されNBA入りする。

ウォリアーズ時代は出場時間に恵まれなかったが、1980年にセルティックスにトレードで移籍後、目覚しい活躍を見せる。セルティックスにはラリー・バードがおり、ケビン・マクヘイルという強力フォワードがいた。

そこにパリッシュという大型センターが加わることによって理想的なトライアングルが形成された。このトリオの活躍によりセルティックスは東地区の伝説的な強豪にチームになり、西地区のロサンゼルス・レイカーズと二強の時代になる。

2016年NBAオールスターゲームダンクコンテストにおいて、下馬評を遥かに上回るパフォーマンスを見せ、昨年度王者のザック・ラヴィーンと熱戦を繰り広げるなど、2015-16シーズンは中盤戦から先発に定着した。

アウトサイド、インサイド共に点を取れるバランスのいい選手。ダンクコンテストからもわかるように、試合中も度々豪快なダンクで会場を湧かせる。チーム事情でSF起用のときは調子が出づらい傾向にある。

2015年4月に2015年のNBAドラフトにアーリーエントリーを表明。全体6位でサクラメント・キングスから指名された。

2017年2月23日、デマーカス・カズンズがニューオーリンズ・ペリカンズへトレードされた直後のデンバー・ナゲッツ戦でキャリア・ハイとなる29得点、10リバウンドを記録、試合はキングスが116-100で勝利した。

背番号:『0』

アリゾナ大学をNCAAトーナメント準優勝に導いた立役者であったにも関わらず、アリナスはゴールデンステート・ウォリアーズから2巡目全体31位という低い指名を受けた。これはアリナスがNBAのシューティングガードとしてはサイズが足りず、ポイントガードとしての技術は不足していると考えられたからであった。

ポイントガードでありながらゲームメークよりも自ら得点することでチームを牽引するNBA屈指の点取り屋。毎試合大量得点を叩き出すオールスター選手。劇的な決勝ブザービーターを何度も生み、NBAでもトップクラスの評価を受けた時期もあった。

アリゾナ大学時代はシューティングガードとしてプレイしていた。「お前の出場時間はゼロだ」という有名なエピソードがあるが、1年目から34試合中31試合に先発で抜擢され、15.4得点2.1スティールの成績を残し、NCAAトーナメントではチームハイの平均18.5得点をあげた。

2年目にはスコアリングリーダーとしてチームをNCAAトーナメント決勝にまで導いたが、デューク大学に敗退し、優勝はならなかった。

2008年のNBAドラフトではシアトル・スーパーソニックスから全体4位指名を受けた。

2016-17シーズンが始まり、デュラント、イバカが居なくなったサンダーを一身に背負ったウェストブルックは、今まで以上にコートを縦横無尽に駆け巡り、怒涛の勢いでトリプルダブルを量産するようになると、NBA史上初の2シーズン連続で平均トリプル・ダブルを達成した現役最強PG。

ユタ州オグデンにあるウィーバー州立大学から2012年のNBAドラフトでポートランド・トレイルブレイザーズから全体6位で指名されてNBA入り。NBA史上4例目となる満票で新人王を獲得した。

オフェンスに関してはオールラウンドな能力の持ち主で、ドライブインから3ポイントシュートまで多彩な方法で得点ができるSG寄りのPG。最大の特徴は驚異的なクラッチ力(試合終盤の勝負を決定づけるような局面での活躍する能力)で、統計上、現在NBAで最も勝負強い選手とされている。

2017年ドラフト直前にフィラデルフィア・セブンティシクサーズと指名権をトレードしていたボストン・セルティックスに全体3位指名された。

2018年2月2日に行われたアトランタ・ホークス戦でキャリアハイとなる27得点を記録した。試合はカイリー・アービング等を欠きながらもセルティックスが119-110で勝利した。

クーズマは4年生でのプレーはせずに2017年のNBAドラフトへのアーリーエントリーを表明。

27位でブルックリン・ネッツから指名された後、ドラフト開催日にブルック・ロペスやデアンジェロ・ラッセルらが絡んだロサンゼルス・レイカーズとの大型トレードに組み込まれ、権利がレイカーズに移動。2017年のNBAサマーリーグで、ファイナルMVPに選出されるなど、片鱗を見せた。

2017年12月1日、ウェスタン・カンファレンスの10月、11月の月間最優秀新人選手賞に選出された。

背番号:『1』

ロバートソンのキャリアの中でも最も輝かしい業績の一つが1961-62シーズンに記録されたシーズン平均トリプル・ダブルである。

もっとも当時はまだトリプル・ダブルという概念そのものが一般に認知されておらず、この記録がいかに偉大で、そして困難極まるものであるかを知る者は少なく、ロバートソン本人ですらも後になって「そんなに凄いことなら毎年でもやっていたのに」と語っていたほどだった。

背番号『1』はミルウォーキー・バックスの永久欠番

愛称は「ペニー (Penny)」。身長2メートルの大型PGとして活躍。『マジック・ジョンソンの再来』と騒がれた。

1996年にはドリームチームⅢのメンバーとしてアトランタオリンピックで金メダルを獲得するなどリーグを代表するスター選手の一人だったが、2000年以降は負傷によりプレイを制限され、以前のような活躍を見せることはなかった。

身長160 cmで、NBA史上最短身の選手であった。リーダーシップを発揮し、全盛期を過ごしたホーネッツ時代の地元の人気は絶大で「シャーロット市長選に立候補したら当選間違いなし」と言われた。

160 cmと小柄な体格ながら引退までに通算で39ブロックを記録し、NBAのスタープレイヤーだった身長213 cmのパトリック・ユーイングをブロックしたこともあった。

デュポール大学で3シーズンプレーした後、1988年のNBAドラフトで、ニューヨーク・ニックスに1順目19位で指名され入団。ルーキーシーズンは81試合に出場し、10試合でスターターを務め、1989年のオールルーキー・セカンドチームに選ばれた。1990年にサンアントニオ・スパーズに移籍し、その後7チームでプレーし、2005年に引退した。

1,094試合出場、14,463得点(13.2ppg)、7,987アシスト(7.3rpg)、1,616スティール(1.5spg)を記録した。

カイリー・アービングの名付け親

2011年のNBAドラフト1位、ルーキー・オブ・ザ・イヤーの、カイリー・アービングの名付け親である。

愛称は「T-MAC」「スリーピーマグレディ」。1997年から2013年までNBAを中心にバスケットボール選手としてプレイした後、野球に転向し、米独立リーグ・アトランティックリーグのシュガーランド・スキーターズに所属した。

高い得点能力を誇るスコアラー。全盛期には8年連続平均20得点以上を記録し、得点王にも2回輝いた。1対1のオフェンス能力は非常に高く、攻撃のバリエーションも豊富。フェイクからのペネトレイト、フェイダウェイ、ピボットワークなどを駆使してディフェンスを翻弄し、相手がファウルすれば驚異的なボディバランスでバスケットカウントをもらう。

パワーと機動力を兼ね備えたプレイスタイルで得点を量産するスコアラー。特にインサイドではその身体能力を前面に押し出したスタイルが持ち味で、リーグでもトップクラスの得点力を誇る。

抜群の跳躍力で自分より大きなセンタープレーヤーの上から強烈なスラムダンクを叩き込む様は圧巻である。一方でペリメーターシュートやフリースローも器用にこなすことができる。

正統派PG。バスケットIQの高さと強いリーダーシップでチームをまとめることができ、司令塔としての評価が高い。チームメート一人一人の長所をうまく引き出し、絶妙なチームオフェンスを展開する。守備にも精通し、チーム全体のディフェンス意識すら変えることができる存在感がある。

特筆すべき能力として第4Qの得点数、大事な時間帯や逆転のシュートが非常に多く、"Mr.Big Shot" と現地のコメンテーターによって命名された。

2015年10月、デトロイト・ピストンズは、ビラップスが在籍時に着用していた背番号「1」を永久欠番に認定することを発表。翌年の2月10日に永久欠番授与式が行われた。

2015年10月、デトロイト・ピストンズは、ビラップスが在籍時に着用していた背番号「1」を永久欠番に認定することを発表

2015年10月、デトロイト・ピストンズは、ビラップスが在籍時に着用していた背番号「1」を永久欠番に認定することを発表。翌年の2月10日に永久欠番授与式が行われた。

2010-11シーズン、マイケル・ジョーダン、ラリー・バードらと並びNBA史上7人目のシーズン平均で25得点以上、4.0リバウンド以上、7.5アシスト以上を記録した選手となった。

さらに1シーズン通算2000得点600アシスト300リバウンド超えを記録(オスカー・ロバートソン、ジョン・ハブリチェック、マイケル・ジョーダン、レブロン・ジェームスに続き史上5人目)。PGとしては史上初。

これらの活躍によりローズは2010-2011シーズンMVPを史上最年少となる22歳6ヶ月で受賞。1968-69シーズンのウェス・アンセルド以来実に42年振りとなる記録を更新した。

ドラフトでは1巡目13位という高評価を受けてフェニックス・サンズから指名された。2016年1月2日のサクラメント・キングス戦で21得点を記録し、コービー・ブライアント、トレイシー・マグレディ、レブロン・ジェームズ、ケビン・ガーネット、ケビン・デュラント、ドワイト・ハワードらに次ぐ10代の選手が1試合19得点以上を記録した選手となった。

2017年3月24日のボストン・セルティックス戦では70得点を記録し、リーグ史上6人目となる "1試合70得点" を達成した。

2015年のNBAドラフトのアーリーエントリーを表明し、1位指名の予想もあったなかロサンゼルス・レイカーズに1巡目2位で指名された。2017年6月23日、ブルック・ロペスとドラフト指名権とのトレードでティモフェイ・モズコフとともにブルックリン・ネッツに移籍した。

シュート力とハンドリングに優れており、得点・アシスト能力は高い一方で守備を課題としている。

背番号:『2』

ABAおよびNBAで活躍した往年の名選手である。マローンの引退を最後に、ABAでプレーした経験を持つ選手は現役からいなくなった。1995年に引退したマローンは、1996年にNBA史上最も偉大な50選手に選出され、2001年に殿堂入りした。

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