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【#NBA】背番号の代表選手まとめ(伝説の選手、現役選手、永久欠番)#NBAjp

神様・ジョーダンの「23」、ジャバーの「33」など…背番号 0(00)~99まで、それぞれの番号を代表する選手をまとめました。※随時更新

更新日: 2020年06月30日

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hakatanotoraさん

NBAでは、0(00) - 99番まで使用可能である

NBAでは、0(00) - 99番まで使用可能である。ただし、56以上の番号を使用するにはリーグの許可が必要であり、また同じチーム内に00と0番を着ける選手がいてはならないという条件がある。

また、チームを移らずに背番号を変更する際は、同じチームで最低4年間は同じ背番号を着け、期限までにリーグに申請を行う必要がある。そして、新しい背番号は最低3年間着けなくてはならない。

NBAでは、0(00) - 99番まで使用可能である。ただし、56以上の番号を使用するにはリーグの許可が必要であり、また同じチーム内に00と0番を着ける選手がいてはならないという条件がある。

マイケル・ジョーダンの活躍以後は23番を着用する選手が増えた

背番号がある特定の選手と結びついて記憶されていることも多く、カリーム・アブドゥル=ジャバーの活躍以後は33番を着用する選手が増え、マイケル・ジョーダンの活躍以後は23番を着用する選手が増えた。

特にジャバーの33番はバスケットボールのエースナンバー的扱いになり人気の背番号となった。その為、既に使用されていたり永久欠番になっていたりと使えない場合に前後の32番や34番を選ぶ例も多く(マジック・ジョンソンはレイカーズ入団時にジャバーが居た為32番を選択している)、そこから新しいエースナンバー的背番号が生まれている。

背番号:『00』

大学卒業後、1976年のNBAドラフトの1巡目全体8位でゴールデンステート・ウォリアーズに指名されNBA入りする。

ウォリアーズ時代は出場時間に恵まれなかったが、1980年にセルティックスにトレードで移籍後、目覚しい活躍を見せる。セルティックスにはラリー・バードがおり、ケビン・マクヘイルという強力フォワードがいた。

そこにパリッシュという大型センターが加わることによって理想的なトライアングルが形成された。このトリオの活躍によりセルティックスは東地区の伝説的な強豪にチームになり、西地区のロサンゼルス・レイカーズと二強の時代になる。

テキサス大学を卒業した後、1979年のNBAドラフトで2巡目全体43位でシアトル・スーパーソニックスに指名されるが、入団せず、翌年サンアントニオ・スパーズに入団し、キャリアの殆どをポイントガードとして務めた。00番はスパーズの永久欠番となっている。

ブレイザーズのセンターは当初サム・ブウイが担っていたが、このブウイが足の故障で戦線離脱し、スティーブ・ジョンソンが当時はスターターを担っていた。ところが、このジョンソンも怪我で1987-1988シーズン序盤にリタイア。ダックワースにチャンスがやってきた。

ダックワースはこの機会を完全にものにし、平均15.8得点、7.4リバウンドをマーク。それ以上に守備でチームに大きく貢献し、MIPを獲得した。

2016年NBAオールスターゲームダンクコンテストにおいて、下馬評を遥かに上回るパフォーマンスを見せ、昨年度王者のザック・ラヴィーンと熱戦を繰り広げるなど、2015-16シーズンは中盤戦から先発に定着した。

アウトサイド、インサイド共に点を取れるバランスのいい選手。ダンクコンテストからもわかるように、試合中も度々豪快なダンクで会場を湧かせる。チーム事情でSF起用のときは調子が出づらい傾向にある。

背番号:『0』

アリゾナ大学をNCAAトーナメント準優勝に導いた立役者であったにも関わらず、アリナスはゴールデンステート・ウォリアーズから2巡目全体31位という低い指名を受けた。これはアリナスがNBAのシューティングガードとしてはサイズが足りず、ポイントガードとしての技術は不足していると考えられたからであった。

ポイントガードでありながらゲームメークよりも自ら得点することでチームを牽引するNBA屈指の点取り屋。毎試合大量得点を叩き出すオールスター選手。劇的な決勝ブザービーターを何度も生み、NBAでもトップクラスの評価を受けた時期もあった。

アリゾナ大学時代はシューティングガードとしてプレイしていた。「お前の出場時間はゼロだ」という有名なエピソードがあるが、1年目から34試合中31試合に先発で抜擢され、15.4得点2.1スティールの成績を残し、NCAAトーナメントではチームハイの平均18.5得点をあげた。

2年目にはスコアリングリーダーとしてチームをNCAAトーナメント決勝にまで導いたが、デューク大学に敗退し、優勝はならなかった。

マイケル・ジョーダン登場以前のシカゴ・ブルズを支えたフォワード。身長206センチのビッグマンであったが身体能力が高く、その巨体に見合わないスピードを持ち、ダンクはNBAでも随一の名人であった。

2008年のNBAドラフトではシアトル・スーパーソニックスから全体4位指名を受けた。

2016-17シーズンが始まり、デュラント、イバカが居なくなったサンダーを一身に背負ったウェストブルックは、今まで以上にコートを縦横無尽に駆け巡り、怒涛の勢いでトリプルダブルを量産するようになると、NBA史上初の2シーズン連続で平均トリプル・ダブルを達成した現役最強PG。

選手が新たなスタートを切るときは『0』を着用する

ウェストブルックはUCLAの1年生だった頃、『New York Times』に対し、選手が新たなスタートを切るときは『0』を着用すると語りました。(高校時代の背番号は「4」)

ユタ州オグデンにあるウィーバー州立大学から2012年のNBAドラフトでポートランド・トレイルブレイザーズから全体6位で指名されてNBA入り。NBA史上4例目となる満票で新人王を獲得した。

オフェンスに関してはオールラウンドな能力の持ち主で、ドライブインから3ポイントシュートまで多彩な方法で得点ができるSG寄りのPG。最大の特徴は驚異的なクラッチ力(試合終盤の勝負を決定づけるような局面での活躍する能力)で、統計上、現在NBAで最も勝負強い選手とされている。

オークランド(Oakland)とオグデン(Ogden)、オレゴン州(Oregon)の頭文字

背番号「0」は、リラードの出身地であるオークランド(Oakland)と、大学時代を過ごしたオグデン(Ogden)、ブレイザーズの本拠地があるオレゴン州(Oregon)の頭文字から取ったものである。

2017年ドラフト直前にフィラデルフィア・セブンティシクサーズと指名権をトレードしていたボストン・セルティックスに全体3位指名された。

2018年2月2日に行われたアトランタ・ホークス戦でキャリアハイとなる27得点を記録した。試合はカイリー・アービング等を欠きながらもセルティックスが119-110で勝利した。

クーズマは4年生でのプレーはせずに2017年のNBAドラフトへのアーリーエントリーを表明。

27位でブルックリン・ネッツから指名された後、ドラフト開催日にブルック・ロペスやデアンジェロ・ラッセルらが絡んだロサンゼルス・レイカーズとの大型トレードに組み込まれ、権利がレイカーズに移動。2017年のNBAサマーリーグで、ファイナルMVPに選出されるなど、片鱗を見せた。

2017年12月1日、ウェスタン・カンファレンスの10月、11月の月間最優秀新人選手賞に選出された。

ケビン・デュラントを真似ることを嫌がり

大学時代に『35』を着用していたクーズマは、現ブルックリン・ネッツのケビン・デュラントを真似ることを嫌がり、代わりに『0』としてキャリアを始める道を選びました。

2018年6月21日、2018年のNBAドラフトにおいてロサンゼルス・クリッパーズから全体12位で指名されたがその後、全体11位でシャーロット・ホーネッツから指名されたシェイ・ギルジアス・アレクサンダーと引き換えにトレードされた。

2018年7月2日、ホーネッツと正式に契約をした。2019年のNBAオールスターウィークエンドのダンクコンテストに出場した。

2020年2月14日、シカゴで開催されたライジング・スターズ・チャレンジにチームメイトのディボンテ・グラハムやP・J・ワシントンと共に選出され、チームUSAで活躍しMVPを受賞した。

ポジションはコンボガード。大学時代はノースカロライナ大学でプレイしており、歴代選手の中でも屈指のスコアラーとして名を残した。2019年3月5日のボストン大学との試合で勝利を収め、さらにホワイトはマイケル・ジョーダンが持っていた大学1年生時の得点記録を塗り替えた。

2019年6月20日に行われたNBAドラフトにおいて、彼は全体7位指名でシカゴ・ブルズに指名された。

背番号:『1』

ロバートソンのキャリアの中でも最も輝かしい業績の一つが1961-62シーズンに記録されたシーズン平均トリプル・ダブルである。

もっとも当時はまだトリプル・ダブルという概念そのものが一般に認知されておらず、この記録がいかに偉大で、そして困難極まるものであるかを知る者は少なく、ロバートソン本人ですらも後になって「そんなに凄いことなら毎年でもやっていたのに」と語っていたほどだった。

1961-62シーズンに記録されたシーズン平均トリプル・ダブル

ロバートソンのキャリアの中でも最も輝かしい業績の一つが1961-62シーズンに記録されたシーズン平均トリプル・ダブルである。もっとも当時はまだトリプル・ダブルという概念そのものが一般に認知されておらず、この記録がいかに偉大で、そして困難極まるものであるかを知る者は少なく、ロバートソン本人ですらも後になって「そんなに凄いことなら毎年でもやっていたのに」と語っていたほどだった。

1970年のNBAドラフト全体19位指名でシンシナティ・ロイヤルズ(現サクラメント・キングス)に入団。身長185cm、体重68kgと小柄ながらリーグを代表する選手として1970年代のキングスを支えた。

NBA史上唯一、得点王、アシスト王の二冠達成をした選手として知られる。

NBA史上唯一、得点王、アシスト王の二冠達成をした選手

NBA史上唯一、得点王、アシスト王の二冠達成をした選手として知られる。

身長185cm、体重68kgと小柄ながらリーグを代表する選手として1970年代のキングスを支えた。キャリア後半はボストン・セルティックスで過ごし、1981年の優勝に貢献している。1991年には殿堂入りを果たし、NBA50周年記念オールタイムチームにも名を連ね、彼の背番号「1」はキングスの永久欠番となっている。

1972年に2巡目でゴールデンステート・ウォリアーズに指名され入団。身長188センチの小型だったが、1年目から平均11.7得点、3.1アシストを記録。オールルーキーファーストに選ばれた。

1977-78シーズンからFAでシアトル・スーパーソニックスに移籍。移籍1年目から平均18.1得点、3.7アシスト、2.3スティールを記録。移籍2年目の1978-79シーズンには19.2得点を記録。プレーオフでは平均26.6得点、4.1リバウンド、3.7アシストと大暴れを見せ、ファイナル制覇に大きく貢献。”Wizard”のニックネームが定着した。

愛称は「ペニー (Penny)」。身長2メートルの大型PGとして活躍。『マジック・ジョンソンの再来』と騒がれた。

1996年にはドリームチームⅢのメンバーとしてアトランタオリンピックで金メダルを獲得するなどリーグを代表するスター選手の一人だったが、2000年以降は負傷によりプレイを制限され、以前のような活躍を見せることはなかった。

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