サッカー日本代表に呼ばれるも…早すぎた天才たちの悲劇

W杯が開幕し、盛り上がりを見せるサッカー界。実は日本のサッカー界には、天才と呼ばれながらもW杯に行けなかった選手がいたのをご存知でしょうか。『財前宣之』は、度重なる不運なケガで引退へ。『石塚啓次』は現役時代、そのクセのある性格から問題を起こしていましたが、その後始めた事業が話題になってるようで…

更新日: 2018年06月29日

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"全チーム"からオファーがあった逸材

サッカー界の天才と言われたら、間違いなく挙げられる1人。

17歳以下のサッカーのナショナルチームに中学生で選出される。

※サッカーの名門校。1年からエースナンバーの「10番」を背負っていた。

当時の帝京は、ユース日本代表の経験者が集まったエリート軍団で、3年生にも全国レベルの選手は多かったのだが、チーム全体が礒貝をエースとして認めている

【帝京高校で一緒だったある選手は…】
「化け物だと思いましたね。初めて一緒になった時は衝撃でした。次元が違って、大人かと思った。」

大学在学中だった礒貝には、全10チームからオファーが届くほど注目に

その中からガンバ大阪を選択し、大学を中退して入団。

大怪我を負ってしまい、両足に人工靭帯を入れる手術を受ける。そのため、Jリーグ開幕をピッチで迎えることは出来なかった

その後復活し、天才的なプレーを見せるもチームは年々低迷。モチベーションを失い、29歳の若さで引退。

「監督の意にそぐわなかったので使われない日々が続いた。無理やりサッカーを続けるよりも、自分の人生を生きたいと思った。足も負傷していたし、サッカーを十分楽しめたという思いもあった」

「子どもたちにサッカーも教えています。でもね、人生の前半は、サッカーの神様に愛されて、後半は好きなことがやれている」と話している

中田英寿「あの才能には敵わない」

【伝説その1】
中学入学と同時に受けた読売ユース(※1)の入団テストでは、『ボールを持ちキープした瞬間、合格(※2)』

※1.ヴェルディの下部組織。
※2.ボールを持った瞬間に合格をもらったという意味。

【伝説その2】
全国からユース代表の練習にやってくる選手たちに、財前は手本を見せる。その様子を、中田や松田は体育座りして真剣に観ていた

靭帯断裂というケガに見舞われたため、トップチームに登録されず。結局、公式戦に1度も出場しないまま退団を余儀なくされた

この時の大ケガが、輝かしいキャリアを送るはずだった財前に影を落とす。

その後も度重なるケガで苦しみ、靭帯断裂を計3度経験。怪我を何度もを乗り越え、山形や仙台で奮闘するも結果が出せずに、35歳で現役を引退

今は仙台市内でサッカースクールを開校。「俺のような失敗をさせたくない」そんな思いで、子どもたちの指導にあたっている

「天才司令塔」と評判でしたが…

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