1. まとめトップ
  2. 雑学

松本潤がNHKドラマ主演!“北海道の名付け親”松浦武四郎ってどんな人?

嵐の松本潤が北海道命名の“名付け親”を描くNHKドラマ「永遠のニㇱパ〜北海道と名付けた男 松浦武四郎〜」に主演する。松浦は元々は三重出身の探検家。アイヌの協力により蝦夷地(北海道)を調査し、アイヌの文化に寄り添い、彼らを搾取し苦しめた和人(日本人)たちを批判した気骨の人でもあった。

更新日: 2018年11月07日

4 お気に入り 8000 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

aku1215さん

◆松本潤が“北海道の名付け親”を描くNHKドラマに主演する

2019年春に松本潤主演で北海道150年記念特別ドラマ「永遠のニシパ〜北海道と名付けた男 松浦武四郎〜」(NHK総合)が放送される。

脚本は、大河ドラマ『功名が辻』や連続テレビ小説『ふたりっ子』を手がけた大石静氏のオリジナル作品。

松本演じる幕末の大探検家にして北海道の命名者である松浦武四郎を主人公に、北海道が誕生するまでの知られざる格闘の人生を4Kで描いていく。

◆元々、三重県に生まれた松浦武四郎

文化15年(1818年)、伊勢國須川村(現三重県松阪市小野江町)に松浦武四郎は生まれました。

16歳で突然一通の手紙を残して旅に出たのを皮切りに、17歳から全国を巡る旅に出ます。21~26歳までは長崎で僧侶になるという、少し変わった体験の持ち主でもあります。

武四郎は諸国をめぐり、名所旧跡を訪ね、日本の百名山にも登ります。ただその土地を訪れてみるだけでなく、野帳(フィールドワークのメモ帳)に土地の風土や文化を記録しました。

◆アイヌの人たちの協力で“蝦夷地”を調査

長崎でロシアが勢力を広げるために蝦夷地を狙っていることを知り、日本の危機を感じた武四郎は、自ら蝦夷地を調べ、その様子を多くの人に伝えようと決意。以降、1858年までの間に計6回探査。

1845(弘化2)年、28歳の時

その際、武四郎は蝦夷地で暮らすアイヌの人々の協力を得て、寝食をともにする中でアイヌ文化に触れ、その文化や生活を紹介することにも力を注ぎました。

足跡は択捉(えとろふ)島や樺太にまで及んだ。水戸の徳川斉昭(なりあき)や藤田東湖、吉田松陰ら勤皇派とも交わりをもち、日本の北辺の安全保障に意を用いた。

◆その知識から政府に雇用され“北海道”の案を提出

評価した江戸幕府は武四郎を雇い入れ、4回目以降は幕府の命を受け、探査の任務にあたりました。

時代が明治にかわり、武四郎は明治新政府から蝦夷地開拓御用掛の仕事として蝦夷地に代わる名称を考えるよう依頼されました。武四郎は「道名選定上申書」を提出し、その六つの候補の中から「北加伊道」が取り上げられます。

「北加伊道」「日高見道」「海北道」「海島道」「東北道」「千島道」の6案

「北加伊道」は「北の大地に住む人の国」という意味であり、武四郎のアイヌ民族の人々への気持ちを込めた名称でした。明治新政府は「加伊」を「海」に改め、現在の「北海道」としました。

◆一方で、アイヌの人たちを思い、役人を辞した気骨の人でもあった

武四郎は、江戸時代にアイヌの人々を苦しめていた「場所請負制度」(特権的な商人が松前藩や幕府から蝦夷地各場所の経営を請け負った制度)の廃止を強く訴えていましたが、それはなかなか実現しませんでした。

松浦は、アイヌ民族の生活と伝統的な生態系を守ろうとする真面目な政策を公に採用しようともがき続けた。和人とアイヌが共存しながら、アイヌが安心して暮らせる日々を夢見ていた松浦は、抵抗勢力とぶつかることになる。

開拓使を批判した武四郎は、1870(明治3)年、開拓判官の職を辞し、長年の功績により与えられた従五位も返上しました。

・当時の和人(日本人)の行状

1 2