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デザインの勉強?したことありません 有名デザイナー達の意外な経歴

”いや、ちょっと待ってくださいよ。あなた、超有名デザイナーですよねぇ?それが、ファッションの勉強をしたことがないなんて。”思わずそう言いたくなる超有名デザイナー達の意外な経歴、集めてみました。やはり、生まれながらの天才?

更新日: 2018年07月04日

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nonoichigoさん

▼『アメリカントラッド』『アイビーファッション』の、中心的存在

▼世界中の誰もが知っている、胸に描かれた『乗馬のロゴ』

ラルフ・ローレンは、特に高級スーツやポロシャツなどのメンズ
ウェアでその名を知られ、ブルックス・ブラザーズと並ぶアメリカン
・トラディショナル(アメトラ)の代表的存在とされている。
通称:ラルフ、ポロ。

▼そして『マニッシュなスタイルの代名詞』ともなった、この装い

主演の『ダイアン・キートン』。
ファッション史を扱う際には、必ずといって
いいほど、ダイアンのこのファッションが
登場しますね。

映画は、
1977年アカデミー賞
(主演女優賞受賞 - ダイアン・キートン他多数)
1978年ゴールデングローブ賞
1978年英国アカデミー賞(BAFTA賞)
AFIアメリカ映画100年シリーズ
(アメリカ映画協会)
1992年、アメリカ国立フィルム登録簿に
選ばれました。

1977年のアメリカ映画『アニー・ホール』で、主演のウディ・
アレンとダイアン・キートンが彼の服を着たことで「アニー・
ホール・ルック」と称され一世を風靡した。

メンズサイズのパンツにベスト、そして「ラルフ ローレン」の
ネクタイを締めたスタイルは、“アニー・ホール・ルック”として
当時大流行。

▼なのに ...

ローレンは子供の頃からファッションに興味を持っていたが、服飾
デザインなどの専門分野の学校に通った経歴は持っていない。彼の
ファッションセンスは独学で生み出されたもの。

ビジネスを専攻していた大学を中退した後、アメリカ陸軍に入隊。除隊後、ファッション学校に通わず、ブルックス・ブラザーズで販売員として働いた後は、ネクタイ店を開業し、ネクタイを販売していたのだという。

実は彼自身はデザイン画を描くのが得意でない(本人談)。

自分はデザイナーではなく自分の持つコンセプトをデザイナーへ
提案する人、コンセプターであると称している。

▼人気ブランド『プラダ』の『創設者』

▼常に『ファッション界を牽引し続けてきた』、『ミウッチャ』

出演者 メリル・ストリープ(左)
    アン・ハサウェイ(右)

この映画では、数々のプラダのドレスが楽しめ
ます。女子必見の映画ですね。世界中で大ヒット
しました。

『レ・ミゼラブル』で
『アカデミー賞助演女優賞』受賞時も
アンはプラダのドレス。アンはちょうど
パッシングの真っ最中ということもあって、
何かと物議をかもした、ドレスでした。

プラダ(PRADA)、ミュウ ミュウ(Miu Miu)を手がけるデザイナー、
ミウッチャ・プラダが2013年ブリティッシュ・ファッション・
アワードで新設された「インターナショナル・デザイナー・オブ・
ザ・イヤー」賞を受賞。

つまり初代受賞者が、彼女というわけ。

(また、)ミウッチャ・プラダは、タイム誌の「20世紀の最も
影響力のある100人」に選ばれ、常にファッション業界の潮流を作る
コレクションをシーズンごとに提案することで知られている。

▼ファッションの勉強をしていない彼女が、プラダを生き返らせた

政治学を専攻したミウッチャは、大学を卒業後、母親に乞われて、
気乗りしないままファミリー・ビジネスを手伝うことになり、
その後に後継者となった。

元々のビジネスは、彼女の祖父マリオが、高級皮革製品の会社をミラノに立ち上げたことに始まる。マリオの皮製品は当初は大変な人気を博したが、時代の変化によりその人気は途絶え、長い長い低迷期に突入した。

70年代にはパントマイムの勉強をし、積極的に政治運動にも参加
していたが、ファッションの世界に転じてからは、新たな才能が開花

彼女が開発した防水ナイロン素材「ポコノ」製のバッグによって
日本やアメリカで人気を得る。

▼プラダに続き創り上げた、セカンド・ブランド『ミュウミュウ』

ミウッチャのニックネームが「ミュウミュウ」だったことから
ブランドにその名前が。

ミュウミュウのコンセプトは、『BAD GIRL(不良少女)』ということで、『大人びたふりをしたい若い女性のためのファッション』というのが、コンセプトなのだとか。

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