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サッカー・スペイン代表・セルヒオ・ラモス選手の経歴・プレースタイル・人物

サッカー・スペイン代表・セルヒオ・ラモス選手の経歴・プレースタイル・人物

更新日: 2018年07月02日

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セルヒオ・ラモス選手は、強い個性とリーダーシップを持った選手で、高い守備力、技術、統率力を兼ね備えたほぼ完璧なDFとして絶大な評価を得ています。

孔明0530さん

セルヒオ・ラモス

セルヒオ・ラモス・ガルシア(Sergio Ramos García, 1986年3月30日 - )は、スペイン・セビリア出身のサッカー選手。リーガ・エスパニョーラ・レアル・マドリード所属。スペイン代表。ポジションはディフェンダー。右サイドバック、センターバックのポジションを高いレベルでこなすほかMFとしてもプレーすることができる。

セビージャFCの下部組織出身。2004年にトップチームデビューし、翌年にはレアル・マドリードに移籍した。レアル・マドリードでは2015年よりキャプテンを務め、キャプテンとして史上初となるUEFAチャンピオンズリーグ連覇を達成した。スペイン代表でも150試合以上に出場し、レギュラーとしてEURO2008、W杯2010、EURO2012とメジャータイトル3連覇を達成した。

クラブ経歴

セビリア、カマスにて3人兄妹の次男として生まれる。幼少期には友人と共に近所の広場で木や石をゴールに見立ててサッカーをしていた。6歳でカマスのチームでスタートし、8歳で提携していたセビージャFCに入団した。

レアル・マドリードではフェルナンド・イエロの背番号4を譲り受けた。2005年12月6日のUEFAチャンピオンズリーグ・オリンピアコスFC戦で移籍後初得点を決めた。2005-06シーズンは主にセンターバックとしてプレーし、チーム事情によっては守備的ミッドフィールダーとして起用されることもあった。2006-07シーズンはファビオ・カンナヴァーロが加入したが、ポジションは守った。2007年夏にセンターバックのクリストフ・メッツェルダーとペペが加入した後はミチェル・サルガドに変わって右サイドバックとして起用された。

2008年5月4日、CAオサスナ戦の試合終了間際にゴンサロ・イグアインのゴールをアシストし、31度目のリーグタイトル獲得を決めた。レバンテUDとのリーグ最終戦では2得点を決め、リーグ戦の得点を5とした。2008年にはFIFAとUEFAの両方の年間ベストイレブンに選ばれ、2007-08シーズンにはFIFProのベストイレブンに選ばれた。バロンドール投票では21位にランクインした。2008-09シーズンのスーペルコパ・デ・エスパーニャセカンドレグでは2試合合計で同点となる貴重な得点を決め、タイトル獲得に貢献した。

2009-10シーズンはクラブの第4キャプテンを務め、ペペの負傷によりシーズンの大半をセンターバックとしてプレーした。2010年2月21日のビジャレアルCF戦でレアル・マドリード移籍後公式戦200試合出場・リーグ戦150試合出場を達成した。

2010-11シーズンは、ラウル・ゴンサレス、グティの退団により、副キャプテンを任されたが、当初からあまり調子が上がらず、2010年11月20日のアスレティック・ビルバオ戦で、クリスティアーノ・ロナウドからPKを譲ってもらいシーズン初得点を決めた。11月23日のUEFAチャンピオンズリーググループリーグアヤックス戦では、4-0でリードした後半終了間際にシャビ・アロンソが遅延行為で退場した後、ラモスも同じようにして退場となった。この行為に関してUEFAの調査が入り、2万ユーロの罰金が科せられた。

2010年11月29日、カンプ・ノウで行われたFCバルセロナとのエル・クラシコでは、リオネル・メッシに対して激しいタックルを行い、その後抗議に来たカルレス・プジョルを突き飛ばして主審からレッドカードを受けた。レアル・マドリードに移籍して以来5度目の退場処分であり、175試合にしてイエロの持つ退場数のクラブ記録と並んでしまった。

12月15日のレアル・サラゴサ戦にラモスは右足靭帯を負傷して出場することが出来なかったが、右サイドバックでアルバロ・アルベロアを起用したジョゼ・モウリーニョが「アルベロアはレギュラーとなる予定だった。彼は右サイドバックのポジションを勝ち取っていたんだ。この決定にセルヒオの負傷は関係していない」と発言。モウリーニョとの確執がメディアで騒がれたが、本人が会長と面談して監督批判をしていないと否定したほか、ツイッターにも「何かしらの亀裂が生じていると誰かが言ったとしても、それは嘘だ。偉大なグループ、偉大な団結がここにはある」と書いてチーム内不和を完全に否定した。

2011年4月20日のコパ・デル・レイ決勝ではセンターバックとして出場し、1-0で優勝した。その優勝パレードの最中、優勝カップをバスから落としてしまった。

2011-12シーズンはリカルド・カルヴァーリョの負傷などもあって主にセンターバックとしてプレーし、チームの4シーズンぶりの優勝に貢献した。同シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ準決勝バイエルン・ミュンヘン戦において、2試合合計3-3でのPK戦となった際に4人目のキッカーを務めた。しかし、1人目であったクリスティアーノ・ロナウド、2人目のカカと同じくPKに失敗し、レアル・マドリードは準決勝で姿を消した。

2013-14シーズンもリーガ・エスパニョーラでは4ゴールと相変わらずの得点力を示した。UEFAチャンピオンズリーグでは準決勝のバイエルン・ミュンヘン戦では、フースバル・アレナ・ミュンヘンで前半に立て続けに2得点を記録して勝利を大きく引き寄せ、アトレティコ・マドリードと対戦した決勝では、1点を追う後半のアディショナルタイム3分にルカ・モドリッチのコーナーキックにヘディングで合わせて同点。チームを敗戦の危機から救い、クラブのラ・デシマ(10度目のチャンピオンズリーグ制覇)に貢献した。決勝では、ファンの選ぶ最優秀選手となった。

2014年のFIFAクラブワールドカップでは、守備面での貢献に加えクルス・アスル戦、サン・ロレンソ戦でセットプレーから先制点を奪い、得点王になると共にゴールデンボールを受賞した。

2015年夏にイケル・カシージャスがFCポルトへ移籍したことにより、2015-16シーズンからはキャプテンを務める。

キャプテン就任直後、「子供の頃からキャプテンになることを夢見ていた。今、その夢が実現した」と語った。また移籍も噂されたが2015年8月17日にレアル・マドリードとの契約を2020年まで延長したと正式に発表した。自身2度目となるUEFAチャンピオンズリーグの決勝ではチャンピオンズリーグ決勝での2試合連続ゴールとなる先制点を奪い、PK戦でも第4キッカーを務めた。同試合ではMVPに選出され、キャプテン就任後初トロフィーとなるビッグイヤーを掲げた。チャンピオンズリーグにおいて異なる2つの決勝戦で得点を挙げた史上5人目の選手となり、DFとしては初の快挙となる。

2016-17シーズン。2016年9月10日のオサスナ戦で今シーズンのリーグ戦初得点を記録したことで、リーガ・エスパニョーラタイ記録となるDFとしての13シーズン連続ゴールを記録した。2017年3月7日、欧州CLのSSCナポリ戦ではコーナーキックから得点を決めた。

2017-18シーズンのリーガ第12節、アトレティコ・マドリードとのマドリードダービーではリュカ・エルナンデスとの接触により鼻骨を骨折したが、プジョルの助言もありその後の試合はフェイスガードを着用してプレーした。同シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでも存在感を見せ史上初の3連覇に貢献したが、決勝の前半31分にモハメド・サラーのドリブルを止める際にサラーを負傷させたプレーはリヴァプールFCやエジプト代表のファンをはじめ多くの非難を浴びた。

代表経歴

2004年、U-19スペイン代表に選出されUEFA U-19欧州選手権優勝を経験。同年、U-21スペイン代表としても6試合の公式戦に出場した。

2005年3月26日、中国との親善試合でスペイン代表デビューし、過去55年での最年少出場記録を更新した。この記録はその後、セスク・ファブレガスが更新している。デビュー戦の7ヶ月後のサンマリノ戦で代表初得点を含む2得点を決め、6-0で快勝した。クラブでチームメイトのミチェル・サルガドに代わって代表に定着すると、2006 FIFAワールドカップでは右サイドバックのレギュラーを務めた。

2007年8月に親友のアントニオ・プエルタが亡くなってからは、プエルタが代表デビューした際の背番号15を着用している。UEFA EURO 2008予選では11試合に出場して2得点し、スウェーデンを抑えての本大会出場を決めた。オーストリアとスイスで共催された本大会では攻守両面にて質の高いプレーを見せ、ドイツとの決勝戦ではルーカス・ポドルスキを抑え込んだ。優勝決定後には、アントニオ・プエルタの顔写真と「いつも一緒に」というメッセージが描かれたTシャツを着て優勝を祝った。試合終了のホイッスルと共に蹴り上げられたボールを持ち帰ったため、決勝戦で使用されたボールのうちの1つは現在彼が所有している。

2009年のFIFAコンフェデレーションズカップ2009にもレギュラー右サイドバックとして臨んだが、準決勝でアメリカに敗れて3位に終わった。その後の韓国戦では初めて代表キャプテンを務めた。2010 FIFAワールドカップ・南アフリカ大会では全ての試合に右サイドバックとして先発出場して優勝に貢献し、FIFA選出のベストイレブンに選ばれた。大会参加選手中もっとも多くのシュートを放ったディフェンダーであった。

優勝セレモニーでは記念ユニフォームの上にプエルタへのメッセージが書かれたシャツを重ね着し、「この優勝は亡きアントニオ・プエルタに捧げる」とのコメントを残した。また、大会スポンサーであるカストロールが選んだ大会最優秀選手に選ばれた。南アフリカW杯後、ユニセフの親善大使の一環として視察のためセネガルを訪れた。

UEFA EURO 2012予選のリトアニア戦で、スペイン代表70試合出場の最年少記録を達成した。EURO 2012本戦ではジェラール・ピケとセンターバックのコンビを組み、スペインの優勝に貢献。大会優秀選手に選ばれ、カストロールEDGEインデックスにおいて最優秀選手となった。

2013年3月のフィンランド戦で、代表史上最年少での100試合出場を達成し、自身も1得点したが、試合には引き分けた。

2014 FIFAワールドカップ・ブラジル大会においてはグループリーグ3試合すべてにフル出場し、オーストラリア戦ではキャプテンを務めた。しかしスペインは1勝2敗でグループリーグ突破はならず、大会を後にした。

UEFA EURO 2016以降において、イケル・カシージャスではなくダビド・デ・ヘアがスターティングメンバーとして起用されるようになってからはスペイン代表でもキャプテンを務めた。

プレースタイル

フィジカル、スピード、予測、タックル、戦術眼、攻撃参加した味方のカバーに加え、セットプレー、ヘディングでの強さ等攻守双方において優れた能力を併せ持つ。プロ入り前にはストライカーとしてプレーしていたため得点力が高く、レアル・マドリード移籍後の4シーズンで20ゴール以上を挙げている。レアル・マドリードのアシスタントコーチを務めていたパウロ・カンポスは、イケル・カシージャスやロナウド、デビッド・ベッカムらとの居残り練習によって得点力が高められたと語っている。

カルロ・アンチェロッティは、「個性、技術、ピッチ内外でのリーダーシップ。マルディーニが持っていたもの全てを兼ね備えている」とかつて指導したマルディーニと比較して賞賛、ファビオ・カンナヴァーロやフランコ・バレージの名前を挙げた上で「クオリティを考慮するならば、ラモスは最も完璧なDFだ。個性、技術、統率力など全ての能力を有している。彼は私が見た中で最も完璧なDFだよ」とも語った。守備を統率する能力はフランツ・ベッケンバウアーと比較されることもある。

一方でファールによる退場も多く、リーガ史上最多の退場記録保持者であるとともにUEFAチャンピオンズリーグでも被イエローカード数が史上最多となるなど、カードコレクターとしても知られている。

人物

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