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裏では凄かった「地下鉄サリン事件」被害拡大を抑えられた理由

2018年7月6日に麻原彰晃(本名 松本智津夫死刑囚)ら7人の死刑執行された。 オウム真理教の死刑囚の刑の執行については今回が初めて。それに伴ってオウム真理教の事件を振り返ってみました。

更新日: 2018年07月06日

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この記事は私がまとめました

tomomo-nさん

1995年3月20日午前7時50分通勤時間を狙った「地下鉄サリン事件」

当時の営団地下鉄・丸ノ内線、日比谷線、千代田線の計5両の車内で、化学兵器として用いられる神経ガス“サリン”が散布された

8時2分、北千住発中目黒行きの電車がホームに入ってきた。電車が止まった瞬間だった。乗客が次々とホームに倒れこんだ。駅員が駆けつけると、電車の床の紙包みから、透明な液体がしみでていた。

地下鉄サリン事件(オウム真理教) 営団地下鉄(当時)の3路線5両にて化学兵器のサリンが散布され6300人以上の死傷者を出した事件。東消庁の化学機動中隊や陸自第101化学防護隊などが測定及び除染を行った。 pic.twitter.com/r9yb16xRye

号外です。まだ7人に死刑執行の事実は入っていません。地下鉄サリン事件の日、私は桜田門の警視庁9階の記者クラブにいました。一報を受けて現場に出した後輩記者が霞ヶ関駅でサリンを吸い治療を受けました。電車が止まり担当記者がなかなか出社できず、号外と夕刊早版の記事をほぼ一人で書きました。 pic.twitter.com/iZpG66Yeo0

1995年は、阪神淡路大震災に続いて地下鉄サリン事件があったという激動の年だった。

朝から特番が組まれるほど凄かった事件

地下鉄サリン事件の時俺小2やったけど、当日のニュース鮮明に覚えてるもんねー。感慨深い。

地下鉄サリン事件の日は、小学校卒業して休みだったから、昼に「いいとも」見れると思ってテレビつけたら臨時ニュースで、すごい嫌だった

サリン事件の日、当時のバイト先の会社は新橋だったのもあって社員の実家から安否確認の電話きたり、就業時間中にも関わらず社内のテレビがニュースつけっぱになってた 帰りの電車内は緊張感につつまれてたよね…

Twitterで事件当時の事を振り返る

携帯電話はまだそこまで普及しておらず、安否確認も時間が掛かった時代。

地下鉄サリン事件の日、私の通う学校の卒業式だった。 全校生徒の何割かは日比谷線利用者。 開始時間になっても始まらない卒業式。慌ただしく動く先生と保護者。現れない同級生。 安否確認が取れていない生徒が登校して来る度、良かったー!と皆が心から思っていた。 あの日の事は忘れられない。

あの日、仕事で霞ヶ関へ行く予定だった。あと数時間事件があとなら、巻き込まれていたかもしれない。 そうであったならば、生まれたばかりのMIXは2人の中で完結し、今、世の中はMIXのない世界になっていたかもしれない。 地下鉄サリン事件は、そういう事件でもあるのよ。

報道によると、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚の死刑が東京拘置所で執行されたそうです。地下鉄サリン事件の時は、静岡県庁に勤務していましたが、部下が丁度霞が関に出張しており、連絡が付くまで随分心配したのを思い出します。

特に地下鉄サリン事件は、当時東京駅ある会社に勤めていて、社員が出勤できなくなってその安否確認で社内がめっちゃパニックになったからよく覚えてます

地下鉄サリン事件。 短大の卒業式で、在校生として先輩を見送る為に短大に向かってる途中の丸ノ内線車内のアナウンス 『お客様っ!はぁ…はぁ…身の回りに丸まった新聞紙、紙袋などがありましても、決して手をふれないでください!!』 あんなに殺気立った車掌さんの声は後にも先にも聞いたことない。

事件に貢献した、聖路加国際病院名誉院長「日野原重明」氏

事件の日は、外来を断るという徹底さ。

『サリン』という情報もなく、原因不明の患者が多数運ばれてくる中、院長の日野原重明は患者を全員受け入れ、一人も断らないことを決断。

病院中の空きベッド、車椅子が集められた。続々と重症患者が到着、急いで救命センターに運んだ。続いて意識はあるが目の痛みや吐き気のある患者が、タクシーやバスでやってきた。

83歳の日野原は陣頭指揮を執り、被害者640名の治療に当たった。

(´-`).。oo(地下鉄サリン事件が起こった日、聖路加病院さんではただちに一般診療を中止し、日野原重明先生指揮のもと多数の負傷者を受け入れ治療にあたりました。聖路加病院さんの対応を学び、今では日本中の医療機関がしっかり準備と訓練をしています)

「地下鉄サリン事件」が発生したのが1995年3月。 その年の5月に『顔面麻痺』を患い、都内の病院に入院しました。看護師さんがサリン事件の際、多くの救急搬送があった事。「目の瞳孔が針で穴を開けたように縮小した患者さんが多かった。治療を続行している方がかなりいる」という話を教えてくれました

地下鉄サリン事件で要請された患者全員を受け入れる決断をした聖路加病院は、院長の日野原先生がかつての東京大空襲で病院に入りきらない患者が亡くなるのを見た苦い経験から、大災害に対応できる造りになっていたうえ、それに対応できる準備も出来ていた。 そのことが多くの人命を救ったんだと思う。

地下鉄サリン事件も忘れてはいけない事件だけど、負傷者を受け入れて治療した聖路加病院のことも忘れられない。看護学生のとき講義でビデオ見たけど、すごかった。

オウム真理教事件の死刑囚の死刑執行が現時点で4人。事件から時間経ち過ぎだよね。これのせいで駅からゴミ箱が撤去されたこと、日野原先生と聖路加病院救命救急センターによる神対応が思い出されます。

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