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「水を治める者は国を治める」決して疎かにしてはいけない治水事業

日本だけでなく、古来から国の統治者は治水事業に重点を置いてきました。国を潤すため、災害から守りため。我が国は世界有数の災害国家でありますのでなおさらです。民主党政権時の負の遺産を顧みて、治水の歴史をまとめました。

更新日: 2018年07月09日

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tamushiさん

「水を治める」ことは「日本を治める」こと。
この先人の知恵を蔑ろにした「民主暗黒時代」の負の遺産に日本人はまたしても苦しめられている。

まだその全貌がつかめないが西日本の豪雨災害は甚大な被害をもたらした。今まさにそれぞれの地域で行政、消防、地元の消防団、自衛隊がフル稼働して救助対応している。被害に遭われた方のご無事を心よりお祈りするほかないが、また何でも見境なく「安倍政権批判のネタ」にする不見識な連中が「雨後のタケノコのように」現れるのは目に見えている。そこで現時点で、これだけははっきり指摘しておきたい事実があるので彼らへの「お薬」代わりに列挙しておく。

・民主党蓮舫の「事業仕分けパフォーマンス」と治水予算の大幅削減
・数年にわたる予算の激減に伴う治水工事産業の崩壊
・第二次安倍政権からの「国土強靭化政策」と予算復活
・一度崩壊した産業はその後の好景気での人手不足もあり復活しない
・実際に最も大きな影響を受けた地域と今回の被害区域

民主党蓮舫の「事業仕分けパフォーマンス」と治水予算の大幅削減

【おまいう】参院・予算委。立憲民主党・蓮舫「安倍内閣は防衛予算とか公共事業には大盤振る舞いするけど少子化対策予算が残念ながら確保する努力が見えない」 防衛予算のどこが大盤振る舞いなんだよ。事業仕分けとかのパフォーマンスでなんの財源確保もできないかった人に言われたくはないな。#kokkai pic.twitter.com/yWCQ7qvJYW

蓮舫さんが「災害対策予備費」「学校耐震化予算」「地震再保険特別会計」を事業仕分けしたことから、Twitterユーザーから「お前がくだらないパフォーマンスで削ったからだろ!何をきれい事言ってる?」「削らした4000億円でどれだけの人々が救われるか」などのバッシング。

どんなに間違った政策だったとしても決して責任を問われることのない日本の政治。パフォーマンスだけで中身のない無責任旧民主党。民主党政権が治水事業費を大削減!事業仕分けで治水や防災が衰退・倉敷の浸水、河川改修予定だった。#民主党 #蓮舫 #事業仕分け deliciousicecoffee.jp/blog-entry-714…

数年にわたる予算の激減に伴う治水工事産業の崩壊

(´・ω・`)本気で思うわ……スーパー堤防計画が順調に進んでたらって。事業仕分けのせいで公共事業が減って廃業した建設業者もいるし --- 豪雨:倉敷の水没地区で8人遺体見つかる 不明者15人 (毎日新聞 - 07月08日 19:03) mixi.at/abqXYDG

治水の歴史

治水(ちすい)とは、洪水・高潮などの水害や、地すべり・土石流・急傾斜地崩壊などの土砂災害から人間の生命・財産・生活を防御するために行う事業を指し、具体的には、堤防・護岸・ダム・放水路・遊水池などの整備や、河川流路の付け替え、河道浚渫による流量確保、氾濫原における人間活動の制限、などが含まれる。

日本の治水は、次に挙げる理由により多大な困難性を有している。まず、日本列島が3-5枚の大陸プレートが複雑に衝突し合うその上に立地していること。ゆえに急峻な地形が多く、安定した地質帯が存在せず、国土は脆く不安定な地質に占められている。さらに台風・モンスーン地帯に当たるため、河川や崩壊による侵食が著しい。また、河況係数(=多水期の河川流量/渇水期の河川流量)が非常に大きく(ヨーロッパ河川の概ね10倍以上)、出水期に洪水が発生しやすい。日本では人間活動・生活の大部分が沖積平野上で営まれているが、元来沖積平野は河川洪水の氾濫原であり、洪水被害を受けて当然の地域なので治水が非常に難しい。また比較的安定している洪積台地も農地や住宅地などの拡大・開発が進んだため、土砂災害が発生する確率が増大している。そのため、日本では水害や土砂災害による被害を非常に受けやすい地理的条件が生まれており、ここに日本における治水の特殊性・困難性がある。

中国古代、春秋時代(紀元前770年~前476年)を構成こうせいする五覇ごはの一つである、斉国せいこくの宰相さいしょう(日本でいう総理大臣そうりだいじん)の管中かんちゅうは、斉せいの覇者はしゃである桓公かんこうとともに、国を治める方策ほうさくを論議ろんぎしていたとき、「善よく国を治める者は、必ずまず水を治める」と熱弁ねつべんし、水を治めるということは、国を治める上で根本的な国家の大計であると強調しています。
 つまり、水害や干かんばつによる被害ひがいは、経済発展けいざいはってんと社会秩序しゃかいちつじょの安定にとって重要な影響えいきょうを及およぼす自然災害しぜんさいがいである、これらを克服こくふくしてはじめて、農業収益のうぎょうしゅうえきの確保かくほ、国民生活の安定、天下太平、国家繁栄こっかはんえいをもたらすことができるというものです。

利根川

利根川下流はその昔、それは広大な入り江でした。毛野川(現在の鬼怒川)などから運ばれた土砂が積もって、水の出口をなくした川が湖沼になったのです。1000年ほど前、今日の利根川河口から霞ヶ浦は一帯となった水郷地帯で、万葉集には「香取の海」、家隆歌集では「香取の沖」と詠まれています。

時代はくだって江戸時代。天正8年(1590年)、徳川家康が江戸城に入ったときの利根川のお話。当時の利根川は、関東平野を乱入しながら南下し、荒川や入間川と合流して、下流では浅草川、隅田川と呼ばれて東京湾に注いでいました。
このままではお江戸が洪水におそわれる! 先見の明のあった家康は、水路や支派川、堤防などを築いて流れを東に移し、銚子で海に注ぐように大規模な河川改修を行いました。これを「利根川の東遷(とうせん)」と呼び、この結果、香取の海は土砂の堆積が急速に進んで陸となり、現在のような穀倉地帯が形成されていったのです。

利根川の中流から下流にかけては、肥沃で広大な平野がひらけ、特に江戸時代以降は穀倉地帯となった代わりに、大雨のたびに洪水に見舞われる氾濫域にもなってしまいました。特に明治18年、23年、29年の洪水被害は予想外に大きく、これを受けて明治33年、大がかりな第1期改修工事が開始されました。

その後、第2期改修工事(明治40年~)、増補計画工事(昭和14年~)と、工事は着々と進みましたが、その努力にもかかわらず、昭和22年のカスリーン台風では記録的豪雨で堤防が決壊、洪水は東京の葛飾区や江戸川区にまで及びました。このため治水計画の再検討が行われ、昭和24年2月、新たな利根川改修改訂工事計画が立てられました。

以降、これらの経緯を踏まえた改修計画の見直しと並んで、水門や排水機場の改修・新設、河口堰や河口の導流堤の築造、スーパー堤防の整備など総合的な治水対策を実施してきました。

現在は、利根川水系河川整備基本方針(平成18年策定)、利根川水系利根川・江戸川河川整備計画(平成25年5月策定)を基に、下流部の無堤箇所等で治水対策を積極的に推進しています。

天竜川

諏訪湖を源に、太平洋へ注ぐ天竜川は、昔は「暴れ天竜」の異名を持ち、たびたび氾濫を繰り返して天竜川平野に住む人々を苦しめてきました。記録からは、奈良時代から人々は堤防を築き、天竜川による水害に備えた暮らしを営んできた歴史があります。明治以降は、金原明善による治水事業や植林、国による築堤事業、昭和のダム建設など、大土木工事により天竜川の氾濫から私たちを守ってきました。

長良川

長良川が伊勢湾にそそぐ木曽三川の下流域は、古くは長良川、木曽川、揖斐川が網状に流れて洪水のたびに川の形を変えるといった有様でした。



 江戸時代初期の1609年には、木曽川の左岸に尾張の国を取り囲む形で約50kmにもわたる大堤防が築かれ、「御囲堤(おかこいづつみ)」と呼ばれるようになりました。「御囲堤」は、西国勢力の侵入を防ぐという軍事上の目的を持つとともに、尾張の国を洪水から守るための役割も果たしました。

しかし、美濃の国では、対岸の堤防より3尺(約1m)低くしなければならないという制限があったため水害がしきりに起り、この地域の「輪中(わじゅう)」の形成をますます発達させることになりました。


 輪中とは、水害に悩まされた人々が集落や耕地を洪水から守るために、その地域全体を取り囲むように堤防で囲んだ地域をいいます。


 ここに住む人達自身の手で造られた輪中の歴史は、洪水との闘いの歴史でもあります。

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