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ヘネス・バイスバイラー、日本と関わりのある超一流監督の歴史。奥寺を欧州へ移籍させた監督。

1970年代、サッカー界で超一流監督だったヘネス・バイスバイラー(Hennes Weisweiler)を紹介します。

更新日: 2018年10月21日

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rulliさん

【本編開始】

ヘネス・バイスバイラーは1970年代、世界で超一流の監督だった。

1919年生、ドイツ、エルフトシュタット出身。

【選手時代】
1948ー1952 ケルン (選手時代はMF)

【監督時代】
1955-1958  ケルン
1958-1964  ビクトリア・ケルン
1964-1975  ボルシアMG
1975-1976  バルセロナ
1976-1980  ケルン
1980-1982  ニューヨーク・コスモス
1982-1983  グラスホッパー

【タイトル】
ブンデスリーガ優勝4回。ドイツ杯優勝3回。
UEFA杯、優勝1回。

バイスバイラーは国内リーグとUEFAカップで優勝した。
しかし、欧州チャンピオンズ・カップは優勝できなかった。
バイスバイラーは欧州CCに3回参戦した。
ボルシアMG時代、R16で2度敗れた。
1971年のイングランド王者エバートンとの対戦で2試合とも引き分けの末、PK戦を行い惜しくも敗れた。
翌1972年ではホームでインテルに7-1で歴史的大勝をしたがこの試合で観客がビール瓶をインテルの選手にぶつけた為に試合後の裁定で無効試合にされた。それでボルシアMGは中立地で再試合をする事になりこの試合で敗れた。
ケルン時代は準決勝まで進んだがノッティンガムに敗れた。彼は欧州CCでは運が無かった感じだ。

写真、中央がバイスバイラー。右の選手はドイツ代表FW、ユップ・ハインケス。左の選手はGKのウォルフガンク・クレフ
この写真は、1975年にボルシアMGが国内リーグとUEFAカップの2冠優勝を達成した時のモノだ。

ユップ・ハインケスは後にサッカー史に残る名将となった。
ハインケスはバイスバイラーの影響を大きく受けていて、弟子みたいなものだ。

この頃、バイエルンは欧州チャンピオンズ・カップ3連覇するなどとても強かった。またバイエルンにはW杯1974年大会で優勝したドイツ代表の中心選手が数多く居た。ベッケンバウアー、ゲルト・ミュラー、ゼップ・マイヤー、ウリ・ヘーネス、パウロ・ブライトナーらだ。当時のバイエルンは世界一のスター軍団だった。
そんなバイエルンに対抗して優勝争いをしてドイツ2強の地位を築いたのがボルシアMGだった。バイスバイラー監督が率いたボルシアMGはリーグ優勝を3回した。
この偉業により、バイスバイラー監督は稀代の名将と評価されるに至ったのである。

写真はボルシアMG時代の、バイスバイラーとドイツ代表MF、ギュンター・ネッツァー。
UEFAカップ1975年優勝の記念写真を撮る2人。
ネッツァーはボルシアMGの司令塔で、一番のスター選手だった。
しかし、その後、2人の関係は悪化してネッツァーはボルシアMGを退団した。

写真はボルシアMG時代のモノだ。
右がバイスバイラー。中央がハインケス。そして左がドイツ代表DF、ベルティー・フォックツだ。
ハインケスもフォックツもドイツ代表選手で、W杯1974年大会で優勝した。
ハインケスは監督としてレアル・マドリード、バイエルンで欧州CL優勝した稀代の名将だ。
一方、フォックツは1990年から8年間もドイツ代表監督を務めた。そしてユーロ1996年大会でドイツ代表を優勝に導いた。
ハインケス、フォックツの2人はバイスバイラーの影響を強く受けていて、弟子である。
バイスバイラーはドイツ・サッカーに大きく貢献した人物だ。彼は選手にサッカーを教え、多くの優秀な人材を育てた。

左がハインケス。右がフォックツ。
2人はボルシアMGの主力選手だった。
FWハインケスはリーグ得点王2回、欧州チャンピオンズ・カップ得点王1回に輝いた。ブンデスリーガで243得点(372試合)も決めた。これはリーグ歴代3位である。

DFフォックツは2度もリーグ年間最優秀選手に選ばれた。DF、しかもサイドバックで「リーグ最優秀選手」に2回も選ばれたのは偉業である。
2人共、ドイツ・サッカー史に残る名選手である。

写真は、1975年、バルセロナ監督時代のバイスバイラー。
左の選手が、当時、世界最高の選手で欧州史上最高の選手とも評されていたヨハン・クライフ。
このシーズン、バイスバイラー監督が率いるバルセロナはリーグ2位の成績で終了した。
2人は関係が悪化した為に、バイスバイラーはたった1年でバルセロナを去った。
そして翌シーズン、ケルンの監督に就任した。

写真はケルン監督時代のバイスバイラー。

バルセロナ退団後、ケルン監督に就任したバイスバイラーは就任1年目からドイツ杯に優勝した。
そして翌1977-78シーズンは国内リーグ優勝とドイツ杯優勝して2冠優勝を成し遂げた。
この時のケルンはドイツ史上3つ目の2冠達成チームで歴史的チームとされている。快挙であった。
この時のチームには日本人の奥寺康彦が在籍して活躍した。
ケルンはこのシーズン、14年振りのリーグ優勝だったが2冠優勝で華々しく成し遂げた。
バイスバイラー監督はケルンを復活させたという事だ。

写真は1976年、ケルンの選手と一緒に写っているバイスバイラー。
一番左が、ベルギー代表のFW、ロジャー・ファン・グール。
左から2番目がドイツ代表MF、ウォルフガンク・オベラート。
そして一番右がドイツ代表FW、ディーター・ミュラー。

MFオベラートはドイツ・サッカー史に残る名選手だった。

写真、左の人物はドイツ杯のトロフィーを掲げる奥寺康彦。
バイスバイラーは奥寺康彦を勧誘してケルンに入団させた。
バイスバイラーは奥寺の素質を見抜いた。
バイスバイラーは日本サッカーと関わりの深い世界の超一流監督だった。
彼は奥寺を欧州に移籍させたので日本サッカーの歴史に大きく関わった監督と言える。

奥寺康彦はケルン移籍1年目からレギュラーを掴み、そしてシーズン終盤に3試合連続ゴールの大活躍をしてケルンをリーグ優勝させた。

写真、中央がバイスバイラー。
左でリーグ優勝のトロフィーを掲げている選手は、ドイツ代表MF、ハインツ・フローエ。
右でドイツ杯優勝トロフィーを掲げている選手はドイツ代表GK、ハラルト・シューマッハ。

当時のケルンには5、6人、ドイツ代表選手が所属して居た。それぐらいタレントが揃っていた。
そこで奥寺康彦は外国人助っ人として活躍していた。

ケルン時代のバイスバイラー監督。
ドイツ代表GK、ハラルト・シューマッハと会話中の写真。

シューマッハは1980年代を代表する世界的GKだった。

バイスバイラーはケルン史上最高の監督だ。

バイスバイラーはボルシアMG、ケルンの2つのクラブで史上最高の監督と評価されている。

バイスバイラーはドイツ・サッカーの歴史で確実にベスト5に入る名将である。

この後、バイスバイラーはアメリカのニューヨーク・コスモスで監督を務め、その後、スイスのグラスホッパーで監督を務めた。アメリカでもスイスでもリーグ優勝を成し遂げた。

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