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ヘネス・バイスバイラー、日本と関わりのある超一流監督の歴史。奥寺を欧州へ移籍させた監督。

1970年代、サッカー界で超一流監督だったヘネス・バイスバイラー(Hennes Weisweiler)を紹介します。

更新日: 2019年10月07日

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rulliさん

【本編開始】

ヘネス・バイスバイラーは1970年代、「超一流の監督」だった。

1919年生、ドイツ、エルフトシュタット出身。

【選手時代】
1948ー1952 ケルン (選手時代はMF)

【監督時代】
1955-1958  ケルン
1958-1964  ビクトリア・ケルン
1964-1975  ボルシアMG
1975-1976  バルセロナ
1976-1980  ケルン
1980-1982  ニューヨーク・コスモス
1982-1983  グラスホッパー


【タイトル】
ブンデスリーガ 優勝 4回(1971、72、75、78)

ドイツ杯 優勝 3回(1973、77、78)

UEFA杯 優勝  1回(1975)
    準優勝   1回(1973)

バイスバイラーは、
国内リーグ、UEFAカップ優勝した。
しかし、欧州チャンピオンズ・カップは優勝できなかった。

バイスバイラーは欧州CCに3度挑戦し、
敗退した。
ボルシアMG時代は、R16で2度敗れた。
1971年、イングランド王者エバートンと対戦し、
2試合とも引き分けの末、PK戦を行い、敗れた。
翌1972年は、ホームでインテルに7-1で
歴史的大勝をしたが、
観客がビール瓶をインテルの選手にぶつけ、
試合後の裁定で無効試合にされた。
その後、中立地で再試合をし、敗れた。

ケルン時代は1978年、準決勝まで進んだが
ノッティンガムに敗れた。

彼は欧州CCでは、運が無かった感じだ。

この頃、バイエルンは
「欧州チャンピオンズ・カップ、3連覇」をし、
とても強かった。
またバイエルンには、
W杯1974年で優勝したドイツ代表の主力が、
数多く居た。
ベッケンバウアー、ゲルト・ミュラー、
ゼップ・マイヤー、ウリ・ヘーネス、
パウロ・ブライトナーらだ。
当時のバイエルンは、「世界一のスター軍団」
だった。

ボルシアMGは、そんな強豪バイエルンに対抗し、
優勝争いをし、「ドイツ2強」の地位を築いた。
バイスバイラー監督が率いたボルシアMGは
「リーグ優勝を3回」した。
この偉業により、彼は、「稀代の名将」と評価されるに至ったのである。

写真、
中央が バイスバイラー。
右は  FW、ユップ・ハインケス(ドイツ代表)
左は  GK、ウォルフガンク・クレフ

この写真は、1975年にボルシアMGが、
「国内リーグとUEFAカップの2冠優勝」
を達成した記念写真。

FWユップ・ハインケスは、
後にサッカー史に残る、名監督となった。
ハインケスは、
バイスバイラーの影響を大きく受けており、
「弟子」みたいなものだ。

写真、
右は バイスバイラー監督。
左は MF、ギュンター・ネッツァー
   (ドイツ代表)。

「UEFAカップ1975年、優勝記念写真」
を撮る2人。

ネッツァーは、ボルシアMGの司令塔で、
「チームの顔、スター選手」だった。

しかし、その後、2人の関係は悪化し、
ネッツァーは、ボルシアMGを退団した。

写真、
右が  バイスバイラー。
中央が FW、ハインケス。
左が  DF、ベルティー・フォックツ。

ハインケスもフォックツもドイツ代表選手で、
W杯1974年で優勝した。

ハインケスは監督として
レアル・マドリード、バイエルンで
欧州CL優勝した、稀代の名将だ。
一方、フォックツは、
1990年から8年間も、ドイツ代表監督を務めた。
そしてユーロ1996年大会では、優勝をした。

ハインケス、フォックツの2人は、
バイスバイラーの影響を強く受けていて、
弟子である。
バイスバイラーはドイツ・サッカーに
大きく貢献した人物だ。
彼は、選手にサッカーを教え、
多くの優秀な人材を育てた。

写真、左が ハインケス。
   右が フォックツ。

  2人はボルシアMGの主力だった。

FW、ハインケスは、リーグ得点王2回、
欧州チャンピオンズ・カップ得点王1回に輝いた。
ブンデスリーガで243得点(372試合)
も決めた。
これはリーグ歴代3位である。

DF、フォックツは、
2度も「リーグ年間最優秀選手」に選ばれた。
DF、しかもサイドバックで「リーグ最優秀選手」に2回も選ばれたのは偉業である。
2人共、ドイツ・サッカー史に残る名選手である。

写真は、
右が バイスバイラー。
左は、FW、ヨハン・クライフ
(当時、世界最高の選手で、欧州史上最高の選手とも評されていた)。

1975-76シーズン、
バイスバイラー監督が率いるバルセロナは
リーグ2位の成績で終了した。

シーズン中、バイスバイラーとクライフは、
関係が悪化した。
その為、バイスバイラー監督は、
たった1年でバルセロナを去った。
そして翌シーズン、ケルンの監督に就任した。

写真、左が バイスバイラー。
   右が クライフ。

写真は、ケルン監督時代のバイスバイラー。

バルセロナ退団後、
ケルン監督に就任したバイスバイラーは、
就任1年目で、ドイツ杯優勝した。
そして翌1977-78シーズンは
「国内リーグ優勝」と「ドイツ杯優勝」し、
「2冠優勝」を成し遂げた。

ケルンはドイツ史上3つ目の
「2冠達成チーム」となり、
歴史的偉業と称賛された。
この時のチームには、
日本人の奥寺康彦が在籍し、活躍した。
ケルンはこのシーズン、14年振りのリーグ優勝だったが2冠優勝で、華々しく成し遂げた。

バイスバイラー監督は、
ケルンを復活させたという事だ。

写真、
右から2人目、白いシャツが、バイスバイラー。

左端、FW、ロジャー・ファン・グール
     (ベルギー代表)

左から2番目、MF、ウォルフガンク・オベラート
         (ドイツ代表)。

右端 FW、ディーター・ミュラー(ドイツ代表)

写真、右が バイスバイラー監督。
   左が MF、オベラート。

オベラートは、
「ドイツ・サッカー史に残る名手」だった。

写真、左、
ドイツ杯のトロフィーを掲げているのは、
奥寺康彦。

バイスバイラーは日本サッカーと関わりの深い
世界の超一流監督である。

バイスバイラーは奥寺康彦を勧誘し、
ケルンに入団させた。
彼は、奥寺の素質を見抜いた。
彼は奥寺を欧州に移籍させた故、
「日本サッカー史の大きな一歩に、助力した監督」
と言える。


奥寺康彦は
ケルン移籍1年目からレギュラーを掴み、
シーズン終盤に3試合連続ゴールの大活躍をし、
リーグ優勝に大きく貢献した。

写真、
中央奥が バイスバイラー。

左で、リーグ優勝のトロフィーを掲げているのは
MF、ハインツ・フローエ(ドイツ代表)

右で、ドイツ杯優勝トロフィーを掲げているのは
GK、ハラルト・シューマッハ(ドイツ代表)

当時のケルンには、
5、6人、ドイツ代表選手が所属して居た。
それぐらいタレントが揃っていた。
そこで奥寺は、外国人助っ人として活躍した。

右が バイスバイラー監督。
左が GK、ハラルト・シューマッハ
  (ドイツ代表)

シューマッハは1980年代を代表する
世界的GKだった。

バイスバイラーは「ケルン史上最高の監督」だ。

バイスバイラーは
ボルシアMG、ケルン、2つのクラブで
史上最高の監督と評価されている。

バイスバイラーはドイツ・サッカー史上、
確実に「ベスト5に入る名将」である。

この後、バイスバイラーはアメリカの「ニューヨーク・コスモス」で監督を務め、その後、スイスの「グラスホッパー」で監督を務めた。      アメリカでもスイスでも、リーグ優勝を成し遂げた。

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