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地下鉄サリン実行犯・林郁夫はどうして1人だけ死刑を逃れた?

オウム真理教・林郁夫受刑者は、地下鉄サリン事件の実行犯で唯一死刑を免れた人物。現在は千葉刑務所で服役中だ。彼がどうして死刑ではなく無期懲役で終わったのか、まとめ。

更新日: 2018年08月24日

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firk12さん

1995年5月6日夜、オウム真理教元治療省大臣・林郁夫被告が捜査員に話したこの一言は、混迷を深めていたオウム事件の全容解明の突破口となった。

証言台で号泣し、自らを「私は生きてちゃいけない」と断罪したエリート医師は、なぜ死刑ではなく無期懲役となったのか。

●みんなを救っていた元医者

1947年1月23日に医師の家庭に生まれた林は、その後、自身も国立病院の心臓外科医となった。

アメリカ合衆国に渡り、病院で勤務していた。のちに退職して日本に戻り、栃木県済生会宇都宮病院、国立療養所晴嵐荘病院、慶應義塾大学病院などに勤め、同病院での勤務時代には心臓外科の名医として石原裕次郎の手術チームの一員でもあった。

医師として多くの患者の死に触れる中、絶望的な無力感に苛まれ、「死」という過酷な現実に対してできることはないか…という純粋な思いから宗教にのめり込んでいく。

1987年、書店で麻原彰晃の著書と出会う。修行メニューによる具体的な成就記事などに強く衝撃を受け、しだいに傾倒していく。

病院にオウムの療法を持ち込み、患者に塩水や湯、糸を飲ませたり、ジャンプさせたりするなどしたためトラブルにもなった。

1990年1月に病院を退職し、妻、子供達と共に一家4人で出家信者になった。マンションを売った額を含めた全財産8000万円、車2台を布施として寄付した。

●教団での位置

中野区にあった教団付属医院の院長に就任。

1994年には治療省大臣となる。教団の犯罪に従事する信者の指紋消去手術、信者の記憶消し(ニューナルコ)などに携わる。

●地下鉄サリン事件の実行

地下鉄サリン事件では実行犯グループの一人として、地下鉄千代田線内でサリン入りのビニール袋を傘の先端部分で刺し、サリンを発散させた。

●「私がサリンを撒きました」

当時、オウムには近々強制捜査の手が及ぶことが決まっていたため、地下鉄サリン事件は警察の捜査をかく乱するために計画されていた。

林の手記には、「いやだ。やりたくない」と人を殺すことにためらいを覚える一方で、「オウムを潰そうとする国家権力との戦いだ」と自分に言い聞かせるなど、複雑な心境が見え隠れしていた。

取り調べを担当していた警察官たちは、林が地下鉄サリン事件に関与していたことを全く予想しておらず、「先生、嘘だろう」「誰かをかばっているの」と問い直した。

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