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半端ない大迫勇也が移籍したブレーメンについて知ろう!!!

かつて本当に半端ない日本人選手が活躍したクラブ、ヴェルダー・ブレーメンについて教えます。

更新日: 2018年08月10日

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rulliさん

ヴェルダー・ブレーメンは1899年に創設された。クラブが創設されて120年近い歴史があります。北ドイツを代表する人気クラブです。

奥寺さんは、ブレーメンのレジェンドですよ。
当時の外国人枠はたったの2人でした。それで5年間、ずっと強豪ブレーメンで主力選手でした。2018年現在では、奥寺さんは外国人助っ人の試合出場ランキングで、歴代9位です。

ちなみに当時の1位は、1970年代に活躍したデンマーク代表主将CB、名手ペル・ロントゥベッドでした(彼は7年間在籍して194試合に出場した。現在、彼の記録は歴代4位です)。1970年代にロントゥベッドはデンマーク代表の最多出場記録も作りました。彼はデンマーク代表でもレジェンドです。

1980年代中頃は、ブレーメンとバイエルンの2強時代でした。
奥寺さんは、ブレーメン時代、ビッグ・クラブのバイエルンと直接対決で、4勝3分2敗(リーグ戦)で勝ち越しました。
本当に凄いですね。
今の日本人選手はバイエルンと試合しても負けてばかりです。奥寺さんとは全然、違いますね。
2014年に、ブンデスリーガは公式に奥寺さんを「ドイツに来た歴史上の日本人助っ人、第1位」に選びました。これは当然ですね。

左の選手が、ルディー・フェラーです。彼はW杯1986年大会で準優勝、W杯1990年大会では優勝しました。
彼はドイツ代表で当時、歴代2位の47得点の記録を作りました。当時、ブレーメンのクラブ最多得点記録97得点も樹立しました。たった5年の在籍で作りました(現在でもまだ3位です)。
彼は1982-83年シーズンにリーグ得点王になりました。
右の選手が、奥寺康彦さんです。2人は4年間、一緒にプレイしました。奥寺さんは、フェラーにサイドからクロスを上げてアシストをしていました。

ピサーロはブレーメンのユニフォームを着て、リーグ戦で通算104ゴールを挙げています(2018年8月現在)。これはクラブ史上1位です。彼はブレーメンのレジェンドです。

左が1985-1986シーズンで優勝争いに負けて2位になった年のブレーメンの選手です。そして右がこの年、優勝したバイエルンの選手です(奥寺康彦さんはこのシーズン、ブレーメンに所属していました)。
この様に、ブンデスリーガ公式サイトでも、当時の2チームのライバル関係の歴史を紹介しています。
バイエルンはこの年、リーグ優勝して翌シーズン、欧州CLに参戦して、準優勝しました。
奥寺さんは、ブレーメン時代、欧州2位になる程、強いバイエルンと毎年、戦いました。優勝争いには毎年、僅差で敗れましたが、この時代、ブレーメンはバイエルンに直接対決では勝ち越しました。昔のブレーメンは強くて今とは全然、違いますね。

写真は、1987-88年シーズンの国内リーグ優勝のトロフィーを抱えているレーハーゲル監督です。彼は1993年に再びリーグ優勝しました。ドイツ杯では1991年、1994年に優勝しました。
他に1992年にカップ・ウィナーズ・カップという欧州の国際大会でも優勝しました。これでブレーメンは初の国際タイトルを得ました。
ブレーメンは、レーハーゲル監督の時代が一番強かったです。彼は通算16年もブレーメンの監督を務めて、最も優勝したクラブ史上最高の監督です、

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