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旧日本軍の玉砕地。マリアナ諸島のサイパン島&グアム島&テニアン島の戦争玉砕

太平洋戦争の時に、マリアナ諸島のサイパン島&グアム島&テニアン島は、太平洋戦争の時に旧日本軍が玉砕の末に米軍に奪われ、その後に米軍機の発着場所となりました。

更新日: 2019年06月13日

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misukiruさん

◆絶対国防圏の要だったマリアナ諸島

マリアナからの本土空襲が始まれば日本は関東の工業地帯を破壊され、さらには民間人に大量の死者を出すことや国民の士気が低下して戦争継続が困難となることが予想された。

第43師団の第二陣を輸送中の第3530船団は大損害を受け、戦場に辿り着く前に約1万名が大量の物資と共に海の藻屑と消えた。

◆サイパン島の玉砕

アメリカ軍は1944年6月11日に空爆と艦砲射撃を始め、6月15日に上陸を開始した。日本の水際作戦もアメリカ軍の圧倒的な火力の前には無力で上陸の阻止は失敗した。

日本は7月18日にサイパン島の玉砕を発表し、東條内閣は絶対国防圏が破られたことの責任により退陣

◆以後、籠城戦に作戦を変更

その戦訓を更に詳細に検証し、ペリリューの戦い・硫黄島の戦い・沖縄戦では徹底した陣地構築を行い、無用な突撃も禁止したことにより、アメリカ軍を大苦戦させている。

◆B-29の発射基地

マリアナ諸島を攻略してここに戦略爆撃機B-29を配備すれば日本本土の大部分をB-29で爆撃することが可能になる

整備されたグアム島の飛行場上空を飛行するB-29

◆原子爆弾の出発地

◆戦後も戦い続けた人

終戦を知らないまま1972年まで戦い続けました。

横井庄一伍長ら数名の日本兵が終戦を知らずにジャングルに潜伏し続けていた。1人生き残った横井伍長は1972年(昭和47年)にグアム島住民に発見され、保護された後に日本へ帰国

横井軍曹らはジャングルや竹藪に自ら作った地下壕などで生活、グアム派遣から約28年後の1972年2月2日に満57歳で日本に帰還

◆参考リンク

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