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"たった2分の映像なのに” ネットがポール・ウォーカーへの涙で溢れた

「ワイルド・スピード SKY MISSION」の撮影途中の2013年11月30日、車の事故で亡くなったポール。全米で彼のドキュメンタリー番組『I am Paul Walker』の予告編が流れたが、今尚彼を慕う多くの人達の涙がネットに溢れかえったそう。

更新日: 2018年08月18日

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nonoichigoさん

▼”たった2分の予告映像なのに...” 彼は愛され続けている

生年月日 1973年9月12日
没年月日 2013年11月30日(40歳没)
出身国 アメリカ
身長 188cm

全米で8月11日にテレビ放送されるドキュメンタリー番組
『I am Paul Walker(アイ・アム・ポール・ウォーカー)』を前に、
予告編となる映像が公開された。

弟たちもポールさんが常々「パークレンジャーになって、自然の
中で生きたい」と言っていたと語り、名声よりもサーフィン、そして
何より一人娘を愛した素朴な彼の人柄が浮かび上がってくる。

▼『事故の様子』については、こちらにまとめています

▼『最愛の娘と...』 『ハリウッドからの引退』も検討していた矢先

幼い頃に離れ、15際になった娘から
一緒に住みたいと連絡が。

40歳という若さで他界したポールウォーカーには、1998年頃
交際していたレベッカ・ソテラスとの間に出来た娘、メドウ・
ウォーカーが。

事故直前にメドウはハワイでの母親との生活をやめポール・
ウォーカーと一緒に暮らし始めました。彼等にとってかけがえのない
父と娘の時間がスタートしたばかりの悲しい出来事でした。

メドウの母親であるレベッカは、深刻なアルコールの問題を抱えており、以前にも2度程、飲酒運転で逮捕されていたそうで、メドウの方からポールと一緒に住みたいとの電話をしたのだそうです。

メドウ・ウォーカーと共に暮らし始めたポールは、娘と過ごす時間
を確保する為、ハリウッドからの引退すらも検討していた様です。

娘のメドウ・ウォーカーは多額の遺産をひとりで相続。

2500万ドル(約25億円)を相続。生前、ポールが遺言書を書いていたそうで、遺産は全額娘のメドウへ。メドウが未成年の間の後見人には、ポールの実の母親シェリル(メドウにとっては祖母)をと記していたため、メドウの母親レベッカとシェリルとの間で、後見人の座を巡る争いが。裁判所の下した判断により、現在は母親のレベッカと暮らしているそうです。

その後、ポルシェ側に危険な車を製造販売したことで、父ポール・
ウォーカーは事故のあとまだ息があったのに、簡単に脱出することが
ままならなかったなどとして、訴訟を起こすなど注目されています。

およそ4年にわたって続いたメドウとポルシェ社の裁判は、合意に達したが、示談の金額や内容については非公開。

▼娘は父の志を継いで、『モデル、女優、慈善活動家として』活躍中

現在、メドウさんは父親を失った後に設立した慈善団体『ポール
・ウォーカー財団』で、慈善活動を積極的に行う女性へと成長。

ポールはコミュニティ・カレッジで熱心に生物海洋学を学んでいた
過去があり、この財団は、海洋科学を学ぶ学生や、その分野で働く
人々や研究者に支援金や奨学金を提供している。

ポールは高校卒業後にいくつかのコミュニティ・カレッジで生物海洋学を学ぶも、コンスタントに仕事が入り、その後復学・休学を繰り返す。

(右)ケイレブ 4歳年下
(左)コディ 15歳年下
撮影途中で亡くなった兄ポールの代役として、
弟達は共に、映画に出演しています。

(またポールは、)2010年のハイチの災害の場面を経験し、
世界で災害が起こったときに、いち早く駆け付け、応援ができる、
チャリティー(ボランティア)団体 Reach Out WorldWide (ROWW) 
を立ち上げていました。

今回は(実弟のコディが)ポールの意思を受け継ぎ、日本でも
ROWWのチャリティー・イベントを開催。

ROWW Japan ( PAUL WALKER MEMORIAL TOUR ) が今年4月、開かれました。

▼『17歳年下の婚約者』とは、娘を養子に迎える話も 哀しみは深く

二人はそれぞれのFacebookで婚約を発表。7年間の交際の末の
ゴールイン、になるはずでした。

お相手の女性は、ブロンドのナチュラル・ロング・ヘアが美しい
ジャズミン・ピルチャード・ゴズネルさん。カリフォルニア大学
サンタ・バーバラ校に通う実に飾り気のない学生さんで、なんと
ウォーカーと交際を始めた時は、たったの16歳。

彼女の伯父さんがポールと大変仲が良かったとのことで、家族ぐるみのお付き合いだったのでしょう。

メドウとの関係も良好で、ジャスミンにとってかなり年の近い娘
ではありますが、養子として自分の娘とすることにも前向きでした。

ポールの死を聞いた直後、ジャスミンさんはその場で倒れたと言われています。心に受けた衝撃は大きく、しばらくは精神病院への通いが続くほどの状態だったそうです。

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