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東京大虐殺で1日10万人が焼死!アメリカ軍の残虐性とホロコースト戦争犯罪

太平洋戦争で行われたB-29による東京大空襲では、東京が巨大ガス室のような状態になり、1日に10万人が焼け死にました。何の罪もない多くの女性・子供を含む民間人を大量虐殺した戦争犯罪が行われました。

更新日: 2019年04月19日

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misukiruさん

◆東京が『ガス室』になった日

上空から大量の爆弾を投下する大量虐殺が行われました。

東京の東部の下町が甚大な被害を受けて、ほとんどの建物が消失しました。

民間団体や新聞社の調査では死亡・行方不明者は10万人以上と言われており、単独の空襲による犠牲者数は世界史上最大

この空襲で一夜にして、東京市街地の東半部、実に東京35区の3分の1以上の面積にあたる約41平方キロメートルが焼失した。

◆300機以上のB-29が飛来

大量のB-29が飛来して、東京の上空から大量の爆弾を投下、無差別殺害を行いました。

アメリカ軍は、市街地を火災により壊滅させるため、爆発力の代わりに燃焼力を主体とした焼夷弾を用いることとし、その焼夷弾も日本家屋に火災を発生させるために新たに開発

爆撃による火災の煙は高度1万5000メートルの成層圏にまで達し、秒速100メートル以上という竜巻並みの暴風が吹き荒れ、火山の大噴火を彷彿とさせた。

◆女性・子供の多くが焼死

この空襲で使われた焼夷弾は小型の子弾が分離し大量に降り注ぐため、避難民でごった返す大通りに大量に降り注ぎ子供を背負った母親や、上空を見上げた人間の頭部・首筋・背中に突き刺さり即死

◆戦争犯罪である無差別殺人

日本人を大量虐殺した張本人として名前が知られています。

2007年の東京大空襲訴訟でも無差別攻撃はハーグ陸戦条約3条違反という主張がなされた。

◆東京大虐殺を記録したカメラマン

石川 光陽(いしかわ こうよう、本名:石川 武雄。1904年(明治37年)7月5日 - 1989年(平成元年)12
月26日)は、警視庁に所属していた警察官・写真家である。

1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲の際も、その惨状を33枚の写真に残した。空襲開始後に両国警察署(現・本所警察署)にかろうじて到達したが、猛烈な風と煙と火の粉のために撮影はできず、目前で多数の市民が死んでいくのをどうすることもできなかったという。

戦時中は一般市民が空襲の被災現場を写真に撮影することは事実上禁じられていたため、光陽が撮影した一連の写真は空襲の被害を伝える貴重な映像となった。

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