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畑恵について

キャスター、政治家として活躍した畑恵さんは一体どのような人物なのでしょうか。畑恵さんの経歴、政治活動、そしてキャスターとしての失跡をまとめてみました。

更新日: 2018年09月10日

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畑恵の経歴

1962年2月15日生まれの畑恵さんは、東京都出身で都立国立高校を卒業したのち、早稲田大学へ入学。
その後HNKに入局しました。最年少で夜7時~のニュースを担当。
主な分野は、報道、科学、生活情報等。
1989年には、NHKを退局しフリーランスとしてテレビ朝日系へ。
「サンデープロジェクト」をはじめとした、様々な報道番組を担当しました。

1992年には、パリに留学をし文化制作や文化マネージメントを行いそれと同時に美術史を勉強。
1995年、参議院に立候補し初当選。
1999年、衆院議員である船田元さんと結婚、翌年には作新学院の副院長に就任。
2001年、現役の参議院議員として初、お茶の水女子大学後期博士課程に入学。
2008年、後期博士課程を終え、2013年作新学院理事長に就任。

畑恵の人生

NHKに入局し、ニュースキャスターとして活躍していた畑恵さん。
フリーキャスターになってから、テレビ朝日系で活躍。
「ザ・スクープ」には8年、「5:30ステーション」には2年とその実力は他のキャスターとは比べられないほどの安定感がありました。
こういった実績を持ち合わせているという事もあり、キャスター業だけではなく複数の連載を持つなど様々なジャンルから引っ張りだこ状態でした。

フリーとして活躍している中で、政治関連の番組を多くありました。
関わりを持つ機会が多くなっているという事もあり、キャスターという仕事から徐々に政治家へ興味を持つようになってきました。
ニュースだけではなく、実際の政治家の方との関わりも広がりついに1995年には新進党から参議院選挙に立候補。
無事に当選しましたが、新進党が解党してしまった事もあり一時期無所属になり、その後自民党へ入党をしています。
政治家としては6年間活躍をし、任期終了と同時に政治家としての道を退きました。

キャスターとして活躍していた時、パリに留学を経験。その中で、レコール・ド・ルーブルにおいて美術史を勉強していました。
こういった経験もあり、政治活動をする中南青山いアートギャラリーを開設。
芸術に関しても良き理解者で、芸術を通し日本だけではなく海外の人との交流を楽しめるような空間づくりにも力を入れていました。

議員としての仕事が終了し、畑恵さんが次に行ったのがお茶の水大学大学院への入学です。
これは、博士後を取得する為に入学をしたのですが取得をするまでにかなりの時間を要したとされています。

その後、2013年には以前から副院長を務めていた作新学院の理事長に就任。

教育の原点となった作新学院

日本最大の規模と卒業生を持つ大規模校であり、ピークの1991年には4部[1]3学年合わせて約1万人の在校生がいた。長年、同一敷地内に別学の男子部・女子部を設置していたが、2003年、二つの部を統合し、「総合進学部」を設置した。現在、英進部、総合進学部、情報科学部の3部で、約4千名の在校生を擁する日本一の生徒数を誇る学校である。敷地内に幼稚園・小学部・中等部・高等部がある。高校の分だけで、10以上の校舎、3つの体育館、3つのグラウンドを持つ[2]。校名の「作新」は、黒羽藩14代目当主大関増徳(増式)の開設した藩校「作新館」に由来する。藩校の「作新館」は、15代目当主大関増裕の海軍奉行時代の部下であった勝海舟も影響を与えたと言われている[3][4]。

教育者としての理念

畑恵さんの教育への関心を深めるきっかけとなった、作新学院。
栃木県にある学校法人で、中高等部、大学、大学院などがある総合学校となっています。
1885年に設立したこの学校は100年以上もの古い歴史をもっています。

作新学院は、栃木県内で最知名度の高い学校で東京大学や京都大学への進学率も高いです。更に、国が指定するSSHの指定も受けています。
勉強面だけではなく、スポーツにも力を入れており、野球、水泳などオリンピック選手を輩出もしています。

優秀な人材を育て挙げている作新学院。畑恵が考えている教育方針とは一体どんな事なのでしょうか?

1.教員の数へのこだわりではなくて、クオリティにこだわる
2.学校だけではなくて、自宅での教育の充実
3.偏差値に偏った教育環境を変革させる
4.日本人ならではのアイデンティティを育て上げる

教育方針をいくつか挙げていますが、最終的には「挑戦する」という事が言いたいようです。
前に進む、挑戦しようとする気持ちがなければ結果も出ませんし、自分への力にならない…といった精神的な面も育て上げているようです。
畑恵さん自身も、キャスター、政治家を経て教育の現場に立つ人間として、今の日本教育に足りない事、未来への子ども達をどう育てるべきかを考えながら教育の現場で活躍しています。

畑恵が行っている活動について

畑恵さんは、キャスターとして活躍してしていた頃から、自分の信念を曲げないといった芯を持った女性で多くの人から注文されていました。
常に女性目線で、女性が活躍しやすい社会づくりに力を入れてきました。
特に、就労と出産、育児そして介護に関しての政策を自ら掲げ、規制緩和や税制優遇措置、外国人労働者の活用、その他介護サービスなどの多種多様を唱えてきました。

特に女性が持つべき権利に関しての政策が多くあります。
育児、子育て、介護などに関わることで、働きたくても働けない‥そんな女性が多くいます。こういった環境をなんとか改善する為に「女性が働きやすい環境づくり」をと介護、育児サービスの拡大を訴えてきました。
日本ではなかなか進まないこういった問題は、諸外国では当然のようにある権利です。

更に、少子高齢化問題に関しても力を入れてきました。
女性だからできる政策を積極的に取り組、女性権利向上へ常に力を注いできました。

日本産業に関してもその実力を発揮し、科学技術の促進や研究がしやすい設備、環境の管理など産業への発展を邪魔していると考えられる事全てにおいて、規制を緩和させる為政治家人生を捧げました。

畑恵さんが議員として活躍した事によって、次世代への子供の育て方や教育現場の改善など日本全体が抱えている問題解決の第一歩になった事でしょう。

政治家時代の政策

①「イノベーション力」を向上する政策

基本的な研究から産業までを一元化した「戦略的研究開発体制」。
これは、研修支援人材の育成やつなぎ役、治験制度の拡大、規制緩和などの対策を畑恵さんは主張。

②女性力の開発に関する政策

女性の社会での活躍、そして育児、介護など第一に考えた結果、保育園や介護施設の充実、勤務時間の緩和、育児中の就労者への所得の保証やキャリアに関しての対策を掲げた。

③教育力の向上に関して

作新学院の理事長をしている事もあり、教育現場をよく知っている畑恵さんならではの政策と言っても過言ではありません。
“人づくり”なくして“国づくり”なしという言葉の元、人間力、教育力、家庭力の3つが組み合わさることによって、国全体の教育力が向上と主張。
その為には、親育てプログラムが必要であると提言した。

この他にも、選択的夫婦別姓制度を導入する案に賛成し、「結婚によって名前を変えるという事で発生する不利益な事が緩和される事はない」言った発言もしています。

親育てプログラムとは?

具体的には、教職員の質を高める、偏差値ばかりしか見ない教育方法の見直し、コミュニケーション能力の向上、家庭、学校、地域の関係性を子育てを連動させることで、子育てや教育に関する質を高める事ができる。

未来の羅針盤

未来を作り上げるのは、自立な人間であるとしている畑恵さん。
この自立的な人間を作り上げるためには、子供はもちろん、大人も教育を受ける必要があります。
過去への感謝と同時に未来への責任も発生してきます。
過去を変える事は難しいですが、未来はどんな形にでも変える事ができる。
そして変える事ができるのは…親や友達でもない、自分自身である。
キャスターから政治家へ幅広いところで活躍してきた畑恵さんの熱いメッセージが込められている本です。

未来への羅針盤に込められた思い

未来というのは、日々生活をしていれば自然と訪れると感じている人が大半だと思いますが、この考えや思いが違っているという気持ちにさせられる内容になっています。
未来は、一人ひとりの考えで作られる、そして変化をします。
この「未来の羅針盤」を読む事によって、毎日の生活や今後の生き方についてつい考えさせられてしまいます。

更に、世界的にも視野を広げ社会貢献できる人間形成をするには?といった問いに対して、20個の法則が挙げられています。

日本人は、周りの空気ばかりを読んでしまい自分で行動をしたり、自分の意見を主張する事が苦手な人種です。その為、ある目標を決めたとしても周りに流されてしまったり、途中であきらめてしまったり…こうした自分の意見や考え、目標を最後まで持る事、達成させる事ができる人間作りが今の日本には必要だとしています。

その他著作物

フリーランスに転身、パリに留学そして政治家、結婚など自分の信念を貫き、自分らしさを大切に生きる事をモットーにしてきました。
人一倍悩み、苦しみ…様々な事で格闘し続けた畑恵さんの本当の気持ちが書かれている2冊目のエッセイです。

風の記憶、時の雫の2部に分かれていて自分自身の前半、後半での記録は書かれています。
キャスターという肩書を脱ぎ素直な自分に向き合った時の事、プライベートな事などが綴られています。

キャスターとして活躍していた1年程の間「週刊読売」にコラムを書いていたり、「月刊朝日」にエッセイを出版していたりしていました。
その時のものをまとめたのが、「夢見るリアリスト」です。
現実に直面する勇気を持ちながらも、理想の社会に少しでも近づこうとするジャーナリストとしての覚悟の気持ちが込められています。

キャスターとして、様々な現場に遭遇してきた中で理不尽な事でも貫かなければいけない…苦悩、心情など感じることのできる一冊です。

未来の為に…

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