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【U2のアルバム④】The Unforgettable Fire

BonoReedさん

・発売日:1984年10月1日
・レーベル:アイランド
・プロデューサー:ブライアン・イーノ ダニエル・ラノワ
・チャート:IRE53位、UK1位、US12位

解説

Warツアー最終公演でボノは「U2はここで解散し、また同じメンバーで再結成します」と話した。恐らく一時代の終焉を嗅ぎ取っていたのだろう。そして今度彼らがプロデューサーとして白羽の矢を立てたのがブライアン・イーノ(Kraftwerkのプロデューサーとして有名なコニー・プランク も候補に挙がっていた)。Warの時もプロデュースを依頼して断れらたのだが、執拗なオファーに音を上げたイーノは、当時から盟友だったダニエル・ラノワを伴ってダブリンを訪れた。この頃イーノはロックバンドのプロデュースに興味を失っており、ラノワに仕事の大半を任せて彼のキャリアアップを図ろうと考えていたのだった。が、ダブリンに着くと、二人は口の上手いボノにすっかり丸め込まれて、共同でアルバムをプロデュースすることになった。当時両者のコラボは音楽業界を驚かせ、アイランド・レコード社長クリス・ブラックウェルなどはせっかく売れかけているロックバンドを前衛芸術家が駄目にしてしまうのではないかと危惧していたらしい。

レコーディング場所はダブリン近郊にあるスレーン城。メンバーやスタッフはここに寝泊まりして昼夜を問わず曲作りに励んだ。その模様はデビュー前にU2の曲をプロデュースしたことがある元Horlipsのバリー・デヴリンによって撮影され、RTEテレビで放映されて、後にThe Unforgettable Fire Collectionという映像作品にまとめられている。

そして出来上がった作品は初期三作品とは趣がかなり異なる輪郭のぼやけた実験的な作品だった。ヨーロッパ的とも評されるが、個人的な感想を申せば、後年のThe Cranberriesにも通じるアイルランドの曇天がよく似合うアイルランド的な作品のように思える(けれどもアイルランドでのチャートアクションが異常に悪いのはどういうわけか?)。が、この変化に戸惑ってここでU2を離れたファンも多かったらしく、レコーディングの最終段階でスタジオに顔を出したリリーホワイトが「Prideがある限り君たちは大丈夫だ」と言ったらしいが、仮にPrideがなければ、評価もセールスな残念なものに終わった可能性もあったかもしれない。またアルバムやツアーの出来や評価とは別に、その後、ライブエイド、セルフエイド、希望の戦略ツアーなどのチャリティコンサートのパフォーマンスで評価を高めることができたのも、U2につきがあったと言えよう。

こうして大傑作が誕生する土壌は出来上がった。

ジャケット

デザインはスティーブ・アルビニ。写真撮影はアントン・コービン。

アルバムが完成した後、U2のメンバーはアントン・コービンと一緒にアイルランドで撮影旅行を行い、アスローンという町にあるモイドラム城の前でジャケットの写真を撮った……ところがこれはIn Ruinsという写真集の完全なパクリで、U2側は後々賠償金を支払う羽目になったのだという。今や超一流写真家のアントン・コービンの信じられない失態である。

収録曲

1. A Sort of Homecomig

スレーン城のレコーディング前に出来上がっていた曲の一つ。Warツアーの最中から小説、哲学書、詩集など読書に没頭するようになったボノは、パウル・ツェラン(写真)というドイツ系ユダヤ人の詩人の"poetry is a sort of homecoming"という一節に当たった。これはツアーで旅ばかりしているボノの心に響き、曲のタイトルに使った。それ以外にもツェランの言葉は宗教で凝り固まっていたボノの思考を解きほぐし、彼が固定観念から離れるきっかけとなったのだという。

シングルカットはされておらず、今となってはライブで演奏されることも稀だが、新しいU2の誕生を告げる佳曲である。Coldplayのクリス・マーティンがまだ生まれていない子供に聞かせた初めての曲であり、Peal Jamのエディ・ヴェーダーはライブで度々この曲をカバーしている。

Wide Awake in Americaに収録されているヴァージョンは1984年11月5日ロンドンのウェンブリー・アリーナにおけるサウンドチェック時のもので、歓声は後で付け加えたものである。イーノとラノワがなかなか完成させることができなかったので、デヴィッド・ボウイのプロデュースで有名なトニー・ヴィスコンティにお出まし願って完成させてもらった。

ちなみにThe Unforgettable Fireのデラックスエディションにはダニエル・ラノワによるミックスが収録されており、ピーター・ゲイブリエルがバックコーラスで参加している。

監督:バリー・デブリン ロケ地:パリ、ブリュッセル、ロッテルダム、ロンドン、グラスゴー

2. Pride (in the name of love)

・発売日:1984年9月
・レーベル:アイランド
・プロデューサー:ブライアン・イーノ、ダニエル・ラノワ
・チャート:IRE2位 UK3位 US33位
・収録曲:

1. Pride (in the name of love)
2. Boomerang I / Boomerang II

The Unforgettable Fireからのリードシングルで、公民権運動の指導者であったマーティン・ルーサー・キング・ジュニアに捧げる曲。UKチャートでは3位に入り、初のトップ5、USチャートでは33位に入り、初のトップ40を果たした。また、ニュージーランド・チャートでは1位に輝き、あらゆるチャートでU2のシングルが1位を記録したのはこれが初めてである。

Warツアーのハワイ公演のサウンドチェックの際に曲の原型が出来上がり、サウンド・エンジニアのジョー・オハーリーが録音していたものをThe Unforgettable Fireセッションの際に持ち出して手を加えた。

当初、歌詞は強硬な外交政策を採ってリベラル層から反感を買っていたアメリカ大統領ロナルド・レーガンを批判する内容だったが(Prideとはレーガンの傲慢なプライドの意味だった)、上手くいかなかった。「僕はある賢者の言葉を思い出した。『光で闇と戦おうとするな。ただ光を照らせ』とね。僕はレーガンを過大評価していたんだ」と語るボノは、その後シカゴ平和博物館を訪れ、広島・長崎の原爆被害者が書いた絵とマーチン・ルーサー・キングの展示会を見てインスピレーションを受け、さらにキングとマルコムXの伝記を読んで、市民運動や暴力と非暴力を曲のテーマにすることを思いついた。そのアイデアを初めて聞いたとき、エッジは、アイルランドでは暴力が日常沙汰なのに非暴力をテーマにするなんてU2に相応しくないと思ったのだが、ボノが歌ってみせるとすぐに気に入り、その方向性で曲作りを進めることにした。

「俺が……平和の体現者たちに興味を持つのは、自分が彼らのような人間ではなく、でも彼らのようになりたいと願っているからなんだ。実生活では僕は決して『もし右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい』なんて男じゃない」「自分が感情的になりやすいのにはうんざりするね。高い理想や大望についても歌っているし、マーティン・ルーサー・キング牧師とかジョン・ヒュームとか、平和主義者の人々に憧れてもいるのに……俺ときたら、暴力的なことだってやりかねない人間なんだ。自分の中でそういう感情が頭をもたげて、抑えきれずに誰かを殴ったら最低じゃないか」(ボノ)

レコーディングは困難を極め、特にコーラスが上手く行かなかったのだが、ちょうどダブリンをライブで訪れていたThe Pretendersのクリッシー・ハインドがバッキング・ボーカルを入れ、ようやく完成に漕ぎ着けた。なお、クリッシーは当時シンプル・マインズのジム・カーと結婚していたため、クレジットでは"Mrs. Christine Kerr"と記されている。

なおU2の曲で他人のボーカルがフィーチャーされているのは、War収録のRed Light、SurrenderのThe Coconuts、The Unforgettable Fire収録のPride(in the name of love)のクイッシー・ハインド(The Pretenders)、Rattle and Hum収録のLove Rescure meのボブ・ディラン、When Love Comes to TownのB.B.キング、 I Still Haven’t Found What I’m Looking ForのNew Voices of Freedom、OneのシングルのB面収録のSatellite of Loveのギャヴィン・フライデー、Zooropa収録のThe Wandererのジョニー・キャッシュ、Ordinary Loveのエンジェル・デラドオリアン(Dirty Projectors)、Songs of Innocence収録のThe Troublesのリッキ・リー、Songs of Experience収録のThe Lights Of HomeのHaim、Get Out Of Your Own WayとAmerican Soulのケンドリック・ラマー、Summer of Loveのレディ・ガガである。またボツに終わったのはSweetest ThingのBoyzone、Stuck in a Moment You Can't Get Out Ofのミック・ジャガーとその娘、Irisのクリス・マーティンである。

ブライアン・イーノは終始PrideとThe Unforgettable Fireには関心を示さなかったが、レコーディング中にスタジオを訪れたスティーヴ・リリーホワイトは、 「Prideがある限り、君たちは大丈夫だ」とメンバーを励まし、実際にはU2の代表曲となった。後年、ボノは「僕たちが書いた中でもっとも成功したポップソングだ」と語っている。しかしファンサイトのアンケートでは「ライブから外して欲しい曲」1位となっている。みんな聞きあきてしまったようだ。

ボノは歌詞の出来には満足しておらず、後年、未完成に終わったBadの歌詞とともに「単なるスケッチだ」と言い、「素晴らしい曲だとは思うけれど、一体なんの曲なんだい? ただ母音を連ねて偉大な人物を描写しているだけじゃないか。感覚的には素晴らしいアートだろう……もしも英語を話せれなければだけれどね」と腐している。 しかも実際キングが暗殺された時刻は午後6時にもかかわらず、歌詞は”Early morning, April 4”と誤って記されており、そのためライブでは”Early evening”と歌い直すこととなった。

キングの未亡人コレッタ・スコット・キングは、この曲がリリースされると、U2をアトランタのマーチン・ルーサー・キング・センターに招待、84年のアメリカ・ツアーの際にメンバーは訪れた。

2009年1月18日のバラク・オバマ大統領の就任を祝賀して行われたコンサート『ウィ・アー・ワン:オバマ就任祝典』では、U2はPrideとCity Of Blinding Lightsを歌った。曲の最後、ボノは観客にキングの夢を問いかけた。その夢をイスラエル・パレスチナ問題に結びつけて、「イスラエル人の夢でもあり、パレスチナ人の夢でもある」と言った後、「アメリカ人だけの夢ではない。アイルランド人の夢でもあり、ヨーロッパ人の夢でもあり、アフリカ人の夢でもある」と言い、最後に「自由の鐘を鳴らせ! 自由の鐘を鳴らせ! 自由の鐘を鳴らせ! すべての村に、すべての部落に、すべての国に、すべての町に。自由の鐘を鳴らせ!」という有名なキングの「I Have a Dream」の演説の一節で締めくくった。

PVは3種類作られた。

監督:ドナルド・キャメル ロケ地:ダブリン

メイアート・エイヴィス以外の人物と初めて作ったPV。ドナルド・キャメルはイギリスのカルト映画監督である。

http://www.eiganokuni.com/yoshida/23-1.html

けれどもバンドはあまりにも映画的過ぎてヴァイブレーションが欠けていると考え、新たにアントン・コービンにPVを撮ってもらったが、これも出来が悪かったため、プロモーション当初はこのPVが使われた。

監督:アントン・コービン ロケ地:ロンドン

U2が来日公演に赴く直前にヒースロー空港近くのホテルで撮影したもの。Meet the Beatlesのジャケットのイメージだったらしいのだが、あまりにも出来がひどく、ほとんど使われなかった。ポール・マクギネスは「二度とU2のビデオは撮れないだろう」とコービンに通告したのだという。

監督:バリー・デブリン ロケ地:ダブリン

スレーン城でのThe Unforgettable Fireのセッションの模様を継ぎ接ぎしたもの。これもあまり使われなかった。

3. Wire

Badと同じく当時アイルランドで社会問題となっていたヘロイン中毒の蔓延をテーマにした曲。アダムがマリファナを少々やる以外、U2のメンバーはクリーンだが、彼らの友人が何人かヘロイン中毒に陥り、人生を台無しにしてしまった。 音楽的にはTalking Headsの影響が見られると言われており、エッジのお気に入りの曲の一つである。

The Unforgettable FireのデラックスエディションにWire (Kevorkian 12" Vocal Remix)とWire (Celtic Dub Mix)が収録されている。

4. The Unforgettable Fire

・発売日:1985年4月1日
・レーベル:アイランド
・プロデューサー:ブライアン・イーノ、ダニエル・ラノワ
・チャート:IRE1位 UK6位 
・収録曲:

1.The Unforgettable Fire
2. Love Comes Tumbling
3. The Three Sunrises
4. Sixty Seconds in Kingdom Come
5. Bass Trap

The Unforgettable Fireからの2ndシングル。U2のシングルとして初めてアイルランドチャート1位を記録した曲である。

The Unforgettable Fireのレコーディングに入る前、エッジがブロンディのジミー・デストリとセッションした時に、Be There(未発表曲)やEndless Deepと一緒に書いた曲。当初はサウンドトラック向けでU2に相応しくないと考えていたが、Warツアーが終わり、アイルランドに戻った後、ボノと2人でドラムマシンとシンセサイザーを使って手を加え、さらにアダムとラリーも加わって、曲の原型を作った。

歌詞はシカゴ平和博物館で見た広島・長崎の原爆被爆者が描いた絵に触発されたボノが、Warツアーで来日中、宿泊先の京王プラザホテルの窓の外から東京の夜景を眺めながら書いたもの。ちなみにアルバムのタイトルがThe Unforgettable Fireと決まった後にこの曲を書き、相応しいタイトルを考えた挙句、タイトル曲になった。ボノはこの曲の歌詞もスケッチ風と評している。

あの曲は木っ端微塵のイメージなんだけど、東京の京王プラザホテルの上の方の部屋で僕が書いた。窓から輝く街とスカイラインを眺めててさ…夜のクリスマス・ツリーみたいなんだよ。その頃の僕はものすごく落ち込んでいたもんだから部屋が滅茶苦茶になってて、部屋中のものがひっくり返ってた。僕はワイン1本でひどいことになっちゃうんだよ。あの頃は元気もなくて。歌詞を見てもらえばわかると思うけど、ボロボロになった状態を綴った記録なんだ。(ボノ)

レコーディングの際は、ギターの音入れに苦労したが、結局、ジャズミュージシャンで「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」のRTEオーケストラの指揮者だったノエル・ケレハンの力を借りて、アンビエント風なものになった。当初はもっと激しい曲調だったが、最終的に今の形に落ち着いたのだという。 エッジはこの曲についてクラシック音楽のようだとも、U2最高のダンストラックだとも述べている。

ちなみに、曲が始まって4~7秒のところでラリーがスティックを叩いた後、「糞」と呟き、22秒あたりからドラムを再開する音が聞こえる。The Best of U2 1980-1990に収録された際も訂正されていない。

監督:メイアート・エイヴィス ロケ地:スウェーデン

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