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この記事は私がまとめました

オリジナルの国有鉄道史です。今回も私のサイトからまとめさせていただきました。地味な内容ですが、国有鉄道の歴史を明らかにしていきたいと思います。

blackcat_katさん

労働運動前史

戦前にも労働組合は存在しましたが、労働組合の存在は非常に弱いものであり、使用者に対しては請願という形で行われるのが一般的でした。
 実際には戦前にあっても、ストライキなどを実行する会社もありましたが、ことごとく労働者の敗北に終わっていました。
 特に太平洋戦争(大東亜戦争)中は、全ての組織が翼賛会に再編されたこともあり、労働運動はひとまず姿を消します。
 鉄道においても、同様で鉄道及び連絡船航路は軍人に準ずるものとして、連絡船航路の従業員は一足先に海軍軍属に、またその他鉄道従業員も、陸軍軍属とされていきました。
 戦前の労働運動に関しては、資料も未だ十分ではないので今後の機会にしたいと思いますが、第1次大戦後から大正デモクラシーにも後押しされて、労働運動が活発化しました。

第一節 戦前の国鉄と国鉄労働運動

弊サイト日本国有鉄道 労働運動史から引用しますと、国有化の発端は、日露戦争であり

日露戦争における、軍事輸送は、国内、朝鮮、満州を問わず、鉄道が中心的役割を担ったことから。この戦争を契機に国有化の動きは一気に進むこととなり、1906年、鉄道国有法が発布され、主要民営鉄道が買収されました。
建設費をはるかに超える補償金が公債で賄われ、営業収入の2割近くの利子負担となった他、軍事的・政略的理由による新線建設も行われ、割高な旅客運賃と割安な貨物運賃、社会政策的運賃割引制という運賃政策も取られるなど、その後の国鉄が抱える矛盾はこの頃から芽生えていたといえます。
この莫大な利子負担や経済合理性を超える、新線建設・運賃政策が、そのまま国鉄に引き継がれたことは注目してください。
1907【明治40】年、関西鉄道、参宮鉄道(現在の参宮線)を買収、鉄道国有法による17私鉄の買収が完了し、国有化は完成した。営業キロ数は7,152km、従業員は9万人であった。この国鉄は、規模では当時の世界の鉄道の中でも最大のものであった。しかも当初、10年を要すると見られた国有化が、日露戦争後の財政逼迫にもかかわらず2年間で完成したことは、国家権力が以下に強力に国有化を推進したかを示していた。

鉄道省設置と戦時下の国鉄

第一次大戦を契機に、日本資本主義の重化学工業化が進み、日本は独占資本主義段階に突入しました。この日本資本主義の発展は、鉄道など陸上輸送や海上輸送部門にも急激な需要の増大をもたらし。国鉄は年々、営業距離を伸ばし、1919【大正8】年度末には、9,990kmに達し、職員数も16万人に増大。こうした鉄道の業務規模の拡大を背景にして、鉄道院の「省」への昇格問題が懸案事項となり、1920年、鉄道省への昇格が実現しました。
同時に改正鉄道敷設法が公布され、ここに国鉄経営機構の整備、線路網の拡充の基礎が築かれた。また陸運監督権を掌中にして、名実ともに陸上交通の行政官庁としての地歩を固めたのでした。また、国鉄の技術水準は、第一次大戦後、すでに国際水準に達していたといわれています。
 日本は、1931【昭和6】年の満州事変に始まり、37年の日華事変で決定的となる戦時体制に突入し、国鉄の軍事輸送は増大。鉄道は、旅客輸送・貨物輸送の両面で、戦時輸送=戦争目的遂行が第一義となりました。
1940(昭和15)年には、陸運統制令が公布され、戦時輸送のため、旅客輸送制限などが実施されました。また鉄道への資材の供給が悪化し、職員の極端な減退をもたらした。戦争で鉄道は荒廃し、国鉄経営も破滅的状況に陥った。この破局状態にある国鉄にとどめを刺すアメリカ軍による爆撃が行われたうえ。さらに、アメリカ軍は、本土上陸を前に鉄道への集中攻撃を計画していましたが。この作戦計画が遂行する前に、敗戦をむかえました。
実際には、それ以前から鉄道は飛行機の攻撃の標的とされたりしました。

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