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この記事は私がまとめました

鉄道ジャーナリスト加藤好啓です、本日も戦後の国鉄に関するお話です。今回は、戦後の官公労の代名詞と言われた国労が誕生した頃のお話を中心にさせていただこうと思います。毎度地味な内容ではございますが、このまとめを参考にhして国鉄の歴史に興味を持っていただければ嬉しいです。

blackcat_katさん

戦後の労働運動 国労誕生とナショナルセンター発足

国労の誕生

統合組織への機運が高まった昭和21年、2月27日には北陸の片山津で「国鉄労働組合総連合会」の結成大会が開催され、同年3月15日、東京の飛行会館で第一回の国鉄総連合中央大会が開催されました。これが国労の前身となる国鉄総連合です。
 この大会で発表された組合員数は50万8,656人で、国鉄全従業員の96%に達しました。
 これは、省電闘争のために、全国鉄単一労組準備会が東京の地方協議会から除名されていたためです。

ナショナルセンターの発足

昭和21年8月全国には、単位労働組合を都道府県別に結集した、戦前の総同盟の流れを汲む日本労働組合総同盟(略称「総同盟」)、21の産業別単位労働組合連合組織として共産党の影響力の強い、全日本産業別労働組合会議(略称「産別会議」)が発足しました。
 政党的に見ると。「総同盟」が社会党(現・社民党)系、「産別会議」が共産党系という棲み分けとなっていました。
 そういったなか、戦時中に多くの人を採用した海員と国鉄では人員整理の方針が政府から発表されました。
 国鉄の場合戦時・戦後直後に受け入れた人員及び、復員兵等受け入れで膨れあがった人員を整理するため、約75,000人が対象となりました。
 当時の国鉄職員が約51万人ですから、いかに大量であったかとわかっていただけると思います。
 ただし、その内訳は戦時中に採用した女子職員や、年少者(戦時中は満14歳で国鉄に就職した人も多数居ました。)が対象でした。
 国鉄総連合は闘争委員会を組織し反対闘争を開始します。一部に反対はあったものの国鉄総連は9月15日ゼネストを予定、9月14日当局側が整理案を撤回すると言うことで妥結。この問題についてはひとまず終止符が打たれました。しかし、この問題はここで解決したわけではなく、当時のハイパーインフレの中、運賃収入に対する支出が1.7倍さらに、戦争で破壊された設備の復旧や連合軍専用列車の運転などの負担などで収支は全く取れていませんでした。
 当然、これがその後の大幅な人員整理の対象となっていくのですがこれは後にお話したいと思います。

労度運動関連を抜粋しました。

国鉄、12万9千余名の職員整理方針(婦人・年少者対象)を組合に申し入れ、国鉄労組総連合会、対策委員会設置 7/24
国鉄労組総連合会、国鉄当局の大量人員整理提案に対し、馘首対策委設置 7/24~9/14

国鉄労組総連合会は、運輸省鉄道総局に対して「解雇絶対反対」を申し入れ 8/3→7/24
婦人有権者同盟、国鉄女子従業員馘首問題で運輸省に撤回を要求 8/17
国鉄労組総連合会は、運輸省鉄道総局長官に人員整理案撤回問題の交渉打切りを通告 8/27
国鉄東京地方労組婦人部,婦人従業員馘首反対大会を開催 8/27
国鉄・海員・全炭・新聞通信放送・港湾の各労組代表が、首切り反対ゼネスト共同闘争委員会を設置 8/29

国鉄・海員の人員整理に対し産別会議・総同盟など馘首反対闘争共闘委結成 9/4
国鉄労組総連合会の闘争委員会、首切りの撤回を要求し、15日の24時間ゼネストを決定 9/10→9/14
国鉄労組総連合会、翌15日の国鉄ゼネスト中止を指令。運輸相と総連合のとの間で協議が成立 9/14→参考(日本国有鉄道私見)
全関西交通関係労働者による国鉄馘首反対大会開催、3千人参加 9/14

併せてご覧ください。

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