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「死に山」世界一不気味な遭難事故・ディアトロフ事件の真相とは

1959年1月23日、ウラル工科大学の学生とOBら9名のグループが、ウラル山脈北部の山に登るため、エカテリンブルクを出発した。彼らは遺体で見つかった。どうして彼らは死んでしまったのか?オカルトめいた真実とは。

更新日: 2018年09月19日

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firk12さん

●ディアトロフ事件

1959年2月2日の夜、当時のソ連領ウラル山脈北部でスノートレッキングをしていた男女9人が不可解な死を遂げたことで知られる事件。

・9人の若者たち

Еще одна версия произошедшего на перевале Дятлова dlvr.it/QkKMTy pic.twitter.com/26Sus0sBuB

男性7名、女性2名からなるグループは、全員が長距離スキーや登山の経験者で、トレッキング第二級の資格を持っていた。

当時のソ連でトレッカーの最高資格を獲得するために、困難なルートを選んでいた。資格を得られれば「スポーツ・マスター」として人を指導することができる。彼らはこの資格がどうしても欲しかったのだ。

・何かが起きた夜

2月2日、グループのリーダーであるディアトロフの指揮のもと、彼らは猛吹雪の中、ホラート・シャフイル山の斜面にテントを設営した。

・見つかった遺体

ディアトロフは麓の集落・ヴィジャイに戻ったら電報を送ると話しており、到着は2月12日頃と想定していた。しかし1週間過ぎても何の連絡もなく、遂に捜索隊が結成された。

Шокирующие показания медсестры о погибших на перевале Дятлова: Их было 11 https://t.co/IVNHMoCoQD pic.twitter.com/m6lGBcJgrC

・謎が多い遺体状況

テントは半分引き裂かれ、雪で覆われていた。中に人の姿は無く、グループの所持品や靴はすべて残っていた。

わかっているのは、何らかの理由でメンバー全員がテントを飛び出し、マイナス30度の闇の中に散り散りに逃げていったということ。

彼らはろくに服も着ておらず、靴もはいていなかった。検死の結果も不可解だった。6人は低体温症で死んでいたが、残る3人は頭蓋骨を骨折しており、女性メンバーのひとりは舌がなくなっていた。

気温が摂氏マイナス25度から30度と極めて低く、嵐が吹き荒れていたにも関わらず、遺体は薄着だった。彼らの内の何人かは片方しか靴を履いておらず、同時にその他の者は靴を履いていなかったか、靴下しか履いていなかった。

オカクロ書籍版でも劈頭を飾る「ディアトロフ峠事件」。謎の要素としては「放射線を浴びた」「内側から切り裂かれたテント」「舌が消失した死体」あたりが不思議で良い。

●今も真相は闇の中

1959年2月2日 ディアトロフ峠事件で謎の死を遂げたグループの最後の写真。登山経験ガある9人の男女は、極寒の雪山でテントを自ら引き裂き、骨折や凍死など不可解な死に方をした。 #ソ連 pic.twitter.com/JcPhoszmcv

事件が起きた一帯は後にトレッキング隊のリーダー、イーゴリ・ディアトロフの名をとってディアトロフ峠と呼ばれるようになった。

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