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レイトンハウスF1 1987-1991

このページはバブル期F1の象徴的存在、レイトンハウスF1を振り返るページです。

更新日: 2019年09月21日

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この記事は私がまとめました

本の図鑑さん

バブル経済の時代、日本にはF1チームのスポンサーになるだけでは飽き足らず、チーム運営にまで乗り出す企業・事業家たちがいた。
このページでは、そんな「バブル系F1チーム」の代表的存在、レイトンハウスF1をマシンを中心に紹介します。

丸晶興産改め、初めてのレイトンハウス。
85年・ル・マン参戦のトムスをスポンサード。
まだレイトングリーンは控えめ。頭に洗濯カゴを載せているキャラクターは、後に問題になり姿を消した。

マーチ・87P(1987)

871の完成が遅れたため、F3000用の87Bベースの87PをブラジルGPの1レースのみ使用。当然の如く予選は最下位、レースもDNS。
そもそも87B自体、問題の多いシャシーだったからね。

開幕戦のイワン・カぺリ。87年のマーチは1台体制だった。
ビシッとスーツを決めているが、マシンはF3000の改造車だ。

マーチ・871(1987)

サンマリノからデビューした871は、極々ノーマルなNAマシンだった。
カぺリは85、86年にスポット参戦の経験があるが、フル参戦は87年が初。

モナコで6位に入賞し、復帰後初のポイントを獲得したマーチ。

入賞トロフィーを掲げるマーチの関係者。
・・・誰だろう。

完走6回。獲得ポイント1で87年シーズンを終える。
カぺリはNAマシン搭乗のドライバーを対象にしたジム・クラークカップで4位。
NAマシンを走らせるコンストラクターを対象にしたチャップマンカップで、マーチは最下位の4位に終わった。

レイトンハウスは87年からクレマー・レーシングと組んでJSPCに参戦。
ル・マンでもクレマーをスポンサードし、4位完走の好成績。

ワールドソーラーチャレンジ出場の、チーム・ソーラージャパンにもスポンサード。

マーチ・881(1988)

88年の開局30周年記念企画として、オリエント急行を日本で走らせる事を思いついたフジテレビ。
ヨーロッパからソ連・中国まで走らせ(台車を一々履き替えるのが超面倒)、日本には船で運んできた!

平凡なNAマシンの871から、エアロダイナミクスの最先端を行く881を手に入れたレイトンハウス。
エイドリアン・ニューウェイ設計の非常に美しいマシン。
新人のマウリシオ・グージェルミンは、開幕戦を13番グリッドからスタートしリタイアに終わった。

開幕戦で9番グリッドを獲得したカぺリ。こちらも決勝はリタイアに終わる。

予選22位と振るわなかったカぺリは、決勝では10位まで順位を上げてゴール。
熱対策のために、エンジンカウルを外しているのが目を引く。

マーチ881のリアビュー。
エンジンカウルをここまで絞ったデザインは、それまで存在しなかった。

グージェルミンは、イギリスGPで予選5位スタートから4位に入り初入賞。

カぺリは5位でゴールしたが、後にベネトンの失格により3位に繰り上がった。
この後ポルトガルでシーズン最高の2位に入り、ランキング7位に食い込んだ。
マーチもコンストラクターズランキング6位と、前年の13位から大幅に上昇した。

88年のル・マンもクレマーをスポンサード。
ジャガーとポルシェによる一騎打ちの激戦の中、8位でゴールした。

レイトンハウスは、日本人ドライバーの海外武者修行にも資金援助を行っていた。
イギリスのフォーミュラ・フォードに参戦中の田中実。

レイトンハウス・CG891(1989)

三菱地所のロックフェラーセンター買収。
2,200億円の巨額買収も、バブル崩壊とともにアッという間に不良資産化。
95年にはついに経営破綻し、大半を手放すことに。

前年の躍進から一転、大不振に陥った89年のレイトンハウス。
カぺリはまさかのシーズンノーポイントに終わり、前年の若手の有望株、との評価はあっという間に消え失せてしまった。

カぺリの開幕戦・ブラジルGPは、予選7位スタートからリタイア。

12番スタートから、母国GPで初の表彰台を獲得したグージェルミン。
しかし、シーズンを通してレイトンハウスのポイント獲得が、この1戦のみに終わろうとは。

モナコで待望の89年型、CG891がデビュー。
ニューウェイがジャッドに特注させた空力エンジン、EVを搭載しシャシーも更にシャープになった。

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