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日本国有鉄道史 国鉄誕生と鉄道事故 第2回 混乱期の事故

終戦後の混乱は、下記のように列車に乗ることすら命がけ、そんな時代であったそうです。当然、民心は安定せず、生活のため国民は配給だけでは足りず、ヤミ米などを求める日々が続きました。

更新日: 2018年09月22日

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この記事は私がまとめました

鉄道ジャーナリスト加藤好啓です、今回は国鉄誕生と鉄道事故の2回目として、当時の鉄道事情を振り返ってみたいと思います。

blackcat_katさん

事故のない日が珍しいと言われるほどの日々

終戦当時はその疲弊した設備もあいまって多くの事故が発生し、事故の無い日のほうが珍しいと言われるほど混乱していました。
詳細は、幣ページの昭和20年からを見ていただくとして、多くの事故が発生しています。
 これには、戦時中の酷使などで発生したと思われる蒸気機関車のボイラー破裂事故などもあります。
 主だった鉄道事故を拾ってみても
 肥薩線内トンネル事故 8/22
 荷重超過のため上り勾配のトンネル内で立ち往生した列車をバックさせようとしたところ、既に列車を降りて線路を歩いていた乗客と接触し49人が死亡、20人が負傷した事件であった。
 八高線 小宮~拝島間八高線で正面衝突 8/24
 買出しで満員の列車が、小宮~拝島間の多摩川鉄橋上で衝突、104人が死亡した事故
 これは、前日の台風の影響で通信が途絶えており、本来であれば指導式と呼ばれる運転方法を行うところこれを行わずに列車を発車させてしまったために起こった事故で、保安の基本が判っていない事故であった。
 ボイラ破裂で機関車転落 10/19
 醒ケ井駅構内で、D52形蒸気機関車のボイラーが爆発、機関車は近くの川に転落、この事故で乗務員2名が即死、一人も後に死亡の事故
 この種の事故は当時多発したとされており、今後調査の上まとめていければと思っています。
 東海道線の列車追突事故 11/19
 山科駅で停車中の普通列車に、貨物列車の機関士が居眠り運転で追突。6名が死亡
 津山線 車軸折損による脱線事故 11/27
 など・・・・
他にも、昭和21年6月4日には、中央線 東中野~大久保間で急行電車が走行中に木製ドアを破損、数人の乗客が転落死という事故も発生しています。当時の電車は、ガラス窓は無くて板を釘で打ち付けていたりといった車両が多く、この事故がドアの鋼製化を進めるきっかけとなりました。

肥薩線内トンネル事故 8/22

肥薩線吉松駅 - 真幸駅間の山神第二トンネル内において、蒸気機関車(D51形)牽引(もう1両のD51が後押し)の上り人吉方面行き列車が勾配を登り切れず停車。先頭の本務機はトンネルから出たものの、排煙の充満するトンネルの中で客車や後補機が立往生する事態となり、排煙を逃れようと線路に降りた乗客がトンネル内を歩いていたところ、同じように排煙から逃れようとブレーキを緩めて後退してきた列車に次々と轢かれ、53名が死亡した。

八高線 小宮~拝島間八高線で正面衝突 8/24

1945年(昭和20年)8月24日 7時40分頃
八高線小宮駅 - 拝島駅間の多摩川橋梁中央部において上り6列車(8850形8869号機牽引・客車5両編成)と下り3列車(8850形8853号機牽引・客車5両編成)が正面衝突し、客車が川に転落。少なくとも105名の死亡、67名の重軽傷者が確認された。終戦直後の混乱期のため、列車は通勤通学客に復員兵や疎開先からの帰宅者も加えて満員で、その多数の乗客が衝突により多摩川の濁流に流された。当日は激しい雷雨により多摩川が川幅いっぱいに増水していたこともあり、遺体が海まで流されて確認されなかった死者も相当数いるのではないかと言われている。

ボイラ破裂で機関車転落 10/19

中央線 東中野~大久保間で急行電車が走行中に木製ドアを破損、数人の乗客が転落死

併せてご覧くださいませ。

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